結果を伴わない努力は無駄なのか?

「一生懸命勉強したのに、第一志望の大学に受からなかった」
「一生懸命働いたのに、昇給しなかった」
「一生懸命ブログを書いたのに、稼げなかった」

このように頑張ったのに自分の思うような結果が得られなかった場合、人は努力した時間が無駄だったかのように思えてしまう。

でもこのような結果を伴わない努力は無駄になるのだろうか?

私はそうは思わない。

人はいつでも、頑張れば頑張ったことに対しての結果で努力が報われたかどうかを判断してしまう。

大学受験のための勉強は、大学に受かったかどうかで、
一生懸命働いたことは、給料や肩書きが上がるかどうかで、
一生懸命ブログを書いたことは、PV数や収益が増えたかどうかで「努力が実ったかどうか」を判断してしまう人が多い。

でも実際は、頑張ったことは必ずしも頑張ったことに対して結果が出るわけではない。

例えば私は30歳のときに保険の資格を取ったんだけど、この資格を取ったからと言って昇給することも昇格することもなかった。資格も取りたいと思って取ったのではなく、仕事上、資格を取ることを強制させられたから、全く興味がなかったのに取っただけだ。

保険の資格を取った当時は、「こんな資格、保険業界でしか役に立たないよな。」と思っていた。

ところがその後、転職する際にこの保険の資格が全く違う業界で役に立った。その業界とは、留学業界だ。留学には留学保険が必須となる。TOEIC400点という英語力で私が留学カウンセラーとして転職できたのは、保険の資格が有効になったからだ。

このように努力はときに頑張った対象ではないことで役に立つということがある。それも努力した後だいぶ時間が経ってから。

大学受験のための勉強だって、受験を失敗したからといって無駄になることはない。その勉強方法は別のことを勉強するときに役立つかもしれないし、その集中力が社会に出てから認められて出世するかもしれない。

ブログを頑張って自分の思い通りに成果が出なかった人はやめていく人が多いけど、ブログを書くことで得た文章力や言葉の使い方、集めた情報や知識は必ずどこかで役に立つし、そもそも短期間(数ヶ月)で成果を得られなかったからといって、「努力は無駄だった」と思うのはちょっと違う気がする。

努力は費やす時間が長ければ長いほど大きな成果が得られるし、時間が短ければ短いほど成果は小さくなる。野球を10年やっている人に野球を1ヶ月しかやってない人が、「なんであいつはあんなに上手いのに俺はこんなに下手くそなんだよ!」なんてことを言ったら、「そんなの当たり前やん」って誰もが思うと思う。

それなのに多くの人は、数ヶ月で成果が出ないと「私には向いてない」とやめていく。もちろん、数ヶ月で成果が出ることもあるけれど、人生を変えるような大きな成果を得たいなら、それだけ時間の投資をしなければいけない。

たまに「3ヶ月で人生が変わりました!」なんて人もいるけど、それだって3ヶ月で変わったのではなく、それまで積み上げてきたことがあってこその変化なだけ。

ブログでも半年で成果を上げる人もいれば、1年以上やっても成果を挙げられない人がいる。このとき人は、「その半年で何をやったのか?」というところに注目するけど、実はその成果はブログに費やした半年だけの成果だけではなく、これまで生きてきた中で得た知識や経験も成果に反映している。

「木を見て森を見ず」

多くの人は成功者にどのような方法で成功したのかを聞こうとするけど(木を見ている)、本当に大事なことはその方法ではなく、「その人が今までどんな人生を送ってきたのか(森を見る)」ということだと私は思う。

これと同じで、努力も木を見るのではなく森を見る。
努力した結果ってものすごく後になってから「あの努力は無駄ではなかった」と気付くことが多い。
そのときすぐに結果が出なかったとしても、努力したことに対しては必ず何かしらの成果が出る。だから無駄な努力なんて一つもない。

「今まで何かを成し遂げたことがない」なんて言う人もいるけど、何かを成し遂げたことがない人間なんていない。それはただ、成し遂げたことに今はまだ気付いていないだけだ。

それに生きている限り、人間必ず何かしらは成し遂げている。
何も成し遂げてないと思うのは、他人と比較しているからそう思うだけだ。

今まで自分の思うような結果を得られなかった人は、「努力しても無駄」「成功できるのは一握りの人間だけ」というような「常識」を頭の中に作ってしまうけど、この常識を作ってしまった瞬間、無限にある自分の可能性を閉じてしまうことになる。こんなにもったいないことはない。

努力って我慢や忍耐とセットって思っている人は多いけど、本当の努力ってしんどいことや辛いことではなく、ものすごく楽しいことなんだと私は思っている。

「私は努力をしている」と自分で感じる努力は、自分にとっていい努力ではない気がする。努力は苦痛を伴うものではないし、苦痛を伴う努力よりも苦痛を伴わない努力の方が成果も大きい。

「一日中ゲームをする」
「一日中マンガを見る」
「一日中ひたすらボーッとする」

これらのことでさえも、苦痛を伴わず本人が心から「楽しい!」と思っているのなら、続けることで何かしらの成果は出る。(と私は思っている)

だから他人が「これをすればこうなれる!」ということに対して努力をするのではなく、自分がやりたいと思うことに時間を費やす方が人生は豊かになる。

社会的に地位のある人よりも社会のはみ出しものの方が人生楽しんでいるように見えるのは、きっと彼らが「本当に自分のやりたいこと」をやっているからだと思う。

努力は決して無駄にはならないけど、どうせ努力するなら自分のやりたいことを思いっきりやりたいなと私は思う。

どこかにいる誰かのために、少しでもお役に立てると嬉しいです☆