ぼざろの文化祭ライブが最高だという話をさせてくれ

ぼっち・ざ・ろっく!には数々の印象的なシーンと演出があるが、
その中でもとりわけ印象に残っているシーンの1つが「文化祭ライブ」だ。

漫画では半ページで終わった喜多ちゃんのアドリブソロだが、アニメでとても表現が膨らまされていて、漫画派の方も一見の価値アリなので是非観てほしい。

そしてその文化祭ライブのシーンがいかに良いのかを話させてほしい。


星座になれたら
アニメの文化祭ライブシーンの良いところといえば、まずなんといっても演奏するのが「星座になれたら」だということ。

あの曲の歌詞の意味は恐らく
ぼっちちゃん(インターネットでは大人気、プロ級の腕前を持つギタリスト)から
喜多ちゃん(クラスでは人気者、しかしギターは初心者でバンド内でも実力が低いのを自覚している)への
「例えどんなに私とあなたがとかけ離れているように感じたとしても、変わらず一緒にバンドを続けたい」という思いを伝える歌詞に思う。

ギターソロ直前の歌詞は
"つないだ線解かないで 僕がどんなに眩しくても"
だ。

それに対する喜多ちゃんのこたえが
"みんなに見せてよ、本当は後藤さんはすごくかっこいいんだってところ"
だ。

もう完全に集まって星座になってますよね。

喜多ちゃんアドリブ
喜多ちゃんのアドリブソロは大変かっこいいのだが、やはりギターソロとしてはぼっちちゃんのソロの方がわかりやすくギターソロ然としていて目立つ。
喜多ちゃんもそれはわかっていたはず。

加えて、最悪、ギターソロ無しでも曲が成り立たないことはないのだ。
そしてそれも喜多ちゃんはわかっていたはず。

その状況で「機材トラブルも乗り越えてかっこいい姿を見せてくれる」ということを信じて、みんなにぼっちちゃんに気づかせるため、ぼっちちゃんが立ち上がるためにアドリブでギターソロを弾いたのだ。

これはもう一生つないだ線解けませんね。

喜多ちゃん弾き方
「星座になれたら」の演奏シーンでは、喜多ちゃんはほとんどギターの方を見ていない。
つまり、手なんて見なくても自然と演奏できるレベルまで練習している。
そこから、以下に真剣に練習してきたかがわかる。
(バンドをやっている身からすると、楽器をはじめて一年足らずの人が弾きながら歌うには中々難易度の高い曲に思う。)

そしてそんな喜多ちゃんがアドリブを弾く時はギターを傾けてギターを睨みつけんばかりの勢いで演奏している。
つまり慣れていないのだ。

打合せもしていない状況なのだ。ただコードだけ弾き続けて場を繋ぐ方が簡単だし、その方が安全なのは間違いない。

でも、それでぼっちちゃんは立ち上がれただろうか?
そして立ち上がれなかったら、ぼっちちゃんは文化祭後にどうなっていただろうか?

きっとだからこそ喜多ちゃんは必死で、ぼっちちゃんから教えてもらったギターを、他でもないぼっちちゃんのために弾いたのだと思う。

ここでより一層、喜多ちゃんは自分のバンド内での役割を意識したはずだ。

立派に色とりどりの光を放つ星座になってます。

喜多ちゃん足
喜多ちゃんがアドリブに入る瞬間の右足を見てほしい。
それまで両足を閉じて立っていたのだが、強く地面に踏み出しながら足を広げるのだ。

これはまるでオーディションの時のぼっちちゃんみたいじゃないか。

オーディションでは、ぼっちちゃんが決意して足を踏み出し、アドリブを弾いた。
文化祭では、喜多ちゃんが決意して足を踏み出し、アドリブを弾いた。

ありがとう、喜多ちゃん。
ぼっちちゃんが「ギターの弦切れても頑張ったね」と言ってもらえたのはあなたのおかげです。


なぜ今になってそんな話をしたのかと言うと、舞台ぼざろの続編が発表されたからだ。
2023年夏の回は劇場で観劇したが、あの続きとなればやはり文化祭までということになるのではないだろうか。
(弦切れるシーンどうするんだろうね、守乃まもの魔物パワーで弾き千切るのだろうか)

現実でも語りたいのだが、そんなことをしたら早口の饒舌で一方的に捲し立てるタチの悪いアニオタでしかないのでnoteで我慢します。

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