無題

こんばんは。

一つ一つの「思い」に自覚的になり、他者と生きるために自分の在り方を定義付けていく試みの文章化。自戒として、公開

・歪み
自分に纏わる社会的指標に自信と劣等感を併せ持つ。劣等感により大っぴらな開示は避けるが、その自信を脈々と飼い広げている。その自信は他人の目を恐れ、大きく育った自分が傷つくあらゆる情報を避け続ける。そのくせ、自分を褒めてくれる確実性を持った他者には積極的に開示し、その快楽を得るために利用しているんだ。
山月記の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」は自分の内面を著しく侵食し、全ての思考(この文章の書き方すらも)が育つ土壌となってしまった。他人にどう思われるかを常に気にするこの態度の堆積が、発する言葉をいつも飾り立てている。思考力が弱く低俗な興味に動かされているが、それが露呈することを恐れている。全ての他人を自分だけのものさしで測り、哂い貶し妬み自分を保とうとする。親しい人間にも臆病な自尊心を守るためなら醜い言葉を浴びせかけ、冗談という盾で自己中心の関係を守ろうとする。自分の思う通りに人が行動してくれないとすぐに不快感を示す。

つまらない人間だと思われたくないし、自分の失敗を認めたくない。
恥ずかしい思いをすることがとにかく嫌いで、精神的に成長しない自分と向き合うのはもっと嫌い。


書けば書くほど醜さが見えてきて辛い。この文章も自分の内面に向き合えて偉いでしょという巧妙な虚栄心なのかもしれない。醜さに終わりが見えない。

自分はもう変われないのかもしれない。ここまで育ってしまった内面の汚さをどうすればいい。人を傷つけておいて見ぬ振りをする自分として生きるのを辞めたい。辞めたい。ずっと見ぬ振りをしてきた。人間として、屑。




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