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ちゃぶ台の上から#2

ちゃぶ台を手に入れた。

引っ越しをして、荷物が少し片付くと、どことなく物足りなさを感じた。
そして、その正体をテーブルが足りないからではないかと決めつけた。

試しにテーブルをインターネットで検索していたが、ふと思い出した。
実家に使われていないちゃぶ台があったな、と。
リビングには元々使っているテーブルがあるし、和室に置くにはおあつらえ向きではないだろうか。
良いじゃないか、週末にでも実家に行ってみよう。

仕事をしていると、割とあっという間に平日が過ぎていく。多忙というほどではないが、やる事はそれなりにあって、イレギュラーな事もまま起きる。
心の底から楽しいとは思わないけれど、やりがいのある仕事だと感じてはいる。
良くも悪くも自分の気持ち次第なのだ。
故に週末もすぐに来る。
目的があると尚更なのかもしれない。

早速実家に赴く。車で20分ほどだ。
慣れた道と見覚えばかりの町並みを眺めて、安心したりする。

どうでも良いことかもしれないが、両親へのただいまはなるべく元気にするようにしている。
癖みたいなものなのかもしれない。

さて、ちゃぶ台はどこか?
両親に聞くとすぐに、2階にあると返事が来る。
今は使われていない、2階の子供部屋。
かつて、兄が使っていた部屋の片隅に埃をかぶったまま立てかけられていた。
タオルで拭いてみたけれど、天板は割れているし、よく見ると脚の建て付けにもガタが来ている。
随分とくたびれた様子ではあるが、安定感はまだしっかりあるし、なんとか使えそうだった。

話を聞くと亡くなった祖父の幼少期からある物らしい。
とすると既に7,80年くらいは経っているはずだ。
その間、ずっと家族のそばにいてくれたのだ。
いわゆるヴィンテージ、そういうワードでは片付けられない重みのようなものを感じた。

ちゃぶ台の最期を看取る気持ちで連れ帰ってきた。
新居の和室に置いてみると、どこか誇らしげに鎮座して、まだやれるぞ、と言ってくれているような気がした。
このちゃぶ台に、新しい暮らしを静かに見守ってもらおう、そしてちゃぶ台としての役割を全うさせてあげられたら、なんて人生の先輩を前にして偉そうに考えるのであった。

ともあれ、何卒、よろしく頼む。

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