大好きなおばあちゃんへ

2024年2月5日
大好きな母方の祖母(韓国人)が、今日の朝、韓国で亡くなりました。

すぐには会いに行けないけど、きっと愛情深い僕のおばあちゃんは笑って許してくれると思います。

そして、今日は僕の母のお誕生日でもありました。

どうして過去形なのかというと、母の誕生日はまた別の日にお祝いすることにしたからです。

色々事情があって、2月5日というのは僕の母が出生届を提出された日なんです。

だから、母の誕生日は母がおばあちゃんから産まれた日にして、2月5日はおばあちゃんの命日にしようね、という話をしました。

せめてもの救いは、母と一緒に1月に最後の挨拶をすることが出来たことでした。

(1月1日の地震の件で、行けるかどうかがギリギリまで分からなかったので。)

ベッドのまま運ばれてきたおばあちゃんは、頭が半分くらいの大きさになっていて、言葉も発せない状態でした。

それでも、一生懸命拙いハングルで声をかけました。マスクの中でパクパクと口が動いて、マスクが動いてるのを見て、多分、おばあちゃんに僕と母の声はちゃんと聞こえてるんだろうな、と思いました。

母にも、おじさんにもたくさんありがとうと言われました。

母は、僕がいないと飛行機に乗れないし、一人では韓国に行けないと。僕がいてくれたから今回韓国に行けたのだと、言ってくれました。

おじさんには、韓国にいる孫ですらお見舞いに来てくれないのに、日本からわざわざ来てくれて嬉しい、と。

僕は小さい頃からおばあちゃんに何度も会っていたので、国外に住んでることもあり、おばあちゃんからも印象の強い孫だったようです。

おばあちゃんに最初に会ったのは僕が生まれてすぐのことだと思います。僕の記憶にはないけど、母はすぐおばあちゃんに見せに行ったと言っていました。僕は赤ちゃんの時に初めてパスポートを作ってもらったのでした。

おばあちゃんにはたくさんの孫がいて、多分、本当に20人くらいはいたと思います。日本の血が流れてる孫は多分僕を入れて4人かな。

僕は韓国のおばあちゃんに会いに行くのが好きでした。おばあちゃんとお話をしていると、言葉は全ては通じてなくてもあったかい気持ちになって、なんとなく顔を見合せて笑って、そんな穏やかな時間を過ごすのが好きでした。

だから、今回の挨拶でも最後は笑ってお別れしました。


母によると、親が子供の誕生日に亡くなるのは、本当に絆が強いとされていて、天国から見守ってくれてると考えられているみたいです。

だから、今後はいつでも大好きなおばあちゃんが僕のそばで見守ってくれてると思って活動もそれ以外も頑張ります!

韓国と日本よりは天国の方が近いと思ってるので!笑

僕に大好きなおばあちゃんがいたこと
最後に会えてよかったこと
お母さんと僕を見守ってくれてること

ここに書き記しておこうと思います。

大好きなおばあちゃんへ

今まで本当にありがとう。
優しくて、可愛くて、いつもニコニコ笑ってるおばあちゃんが本当に大好きでした。

これからもよろしくね。
天国でたくさん美味しい物食べてあったかくして過ごしてください。

紫宇くりぃむ

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