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こども芸術大学認定こども園|齊藤祥子さん(2)

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2020年12月12日(土)10:00〜11:30
東北・山形のクリエイティブ拠点、東北芸術工科大学。そのキャンパス内にあり 「こども芸大」という愛称で親しまれている認定こども園の園長、齊藤祥子さんをお迎えして「しつもん×探究トーク」第5弾を開催しました。

園内での日々の暮らしの関わりが優しくイメージできる具体的なお話が盛り沢山でした。哲学の授業への反響も大きかったです。洗練された言葉が心地よく響いてくる対談をお楽しみください。

「しつもん×探究トーク」最新のお知らせは、しつもん財団ホームページをご覧ください。

<ゲスト講師> 齊藤 祥子さん
学校法人 東北芸術工科大学 こども芸術大学認定こども園 園長

アートとデザインを学ぶ学生が通う大学の中にある こども園の園長。約10年前に、ドイツ ミュンヘンの幼稚園で見た 哲学の授業に大きな刺激を受け、『こたえは自分の中にある』をテーマに日々の暮らしに「問い」をおき想像力・創造力を育む教育・保育に取り組んでいる。人間形成の重要な時期を幼児期と捉え、子どもの学びはもちろん「大人の気づき・築きが大切」という思想のもと、子どもだけではなく 大人の集う場をデザインする。
<対談者>しつもん財団理事 藤代圭一
教えるのではなく問いかけることでやる気を引き出し、考える力をはぐくむ「しつもんメンタルトレーニング」を考案、全国大会優勝チーム、アイスホッケーU14日本代表チーム、さらには地域で1勝を目指すキッズチームまで、数多くの実績を挙げている。現在はスポーツだけでなく、子どもの学力向上をめざす保護者や教育関係者に向けた講演・ワークショップをおこない、高い評価を得ている。著書に『しつもんで夢中をつくる!子どもの人生を変える好奇心の育て方』(旬報社)ほか。

感じること(感情)に言葉を与えていくきっかけの渡し方


藤代:写真見て思うのは、子どもたちの表情がとってもキラキラしてて、好きなんだろうなというのがすごく伝わってきた。

齊藤:好きじゃない子も、もしかしたら最初はいるのかもしれないんだけど

藤代:そりゃそうだよね。だって自分の意思で園に入ってくる子はいないわけじゃない。

齊藤:そうなんですよ。

藤代:「私、この園に行くの!」っていう子はもちろんいるかもしれないけど。最初はお父さんお母さんがきっかけで「ここどう?」とか。もう入ることが決まってからだから。

では、先ほどの話しに戻るんですけど。感じるということを大事にしているということで、ここで今日ご覧いただいている皆さんにも感じるということを改めて振り返っていただきたいなと思ってまして。

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何かを感じるということ、特定した方がいいですよね。今何を感じていますか?という抽象的な質問もできるけど、、、例えば喜びを感じたとか、怒りを感じた、悲しみを感じたという方が皆さんとお話ししやすいかなと思うので。では、
「最近あなたが喜びを感じたことは、何がありましたか?」

その答えをチャットでお答えいただければと思います。喜びの表現はみなさんそれぞれあると思うんですが、これが私にとって喜びだなぁと思えた瞬間がおそらく最近もあったと思いますので、何だったかを思い出してぜひチャットで教えてください。祥子先生も後ほど喜びを教えてください。

・寒い時に子どもの温もりであたたまる
・お母様の介護に必要なヘルパーを紹介できた
・勉強に対して諦めていたこと(が、できたのかな?)
・大好きなカフェが、私が幼稚園の時の先生がやっているカフェだった
・自分のやりたいことが見つかった
・前からずっと見たいなと思っていた映画を借りて、おやつも一緒に見ている
・講座の最終日に受講生の方がお花をくださった
・自分の思いが伝えられた時
・下宿先から息子が帰省しました
・息子と大喧嘩した翌日に、ポスターを作ってくれた
・勉強が嫌いな中学生が「私でもやったらできるかもと思えた」と言ってくれた
・できなかったことができるようになった

藤代:祥子先生どうですか?最近喜びを感じたこと

齊藤:私、結構、そのツボが浅くてすぐちょっとしたことで喜ぶんです。毎日喜ぶことがあるんです。

藤代:例えば?

齊藤:子どものちょっとした変化とかもすぐ喜んじゃって、喜ぶと人に言いたくなって、結構家族にバーって話して。幸せな人だよね。って(笑)
子どもがちょっとしたハードルを越えようとしている。乗り越えなくても乗り越えようとしている、そういう姿を見るだけでも喜びを感じてて。こんなことチャレンジしてたんだよ~とか。

藤代:なるほどねー。僕は、昨日沖縄から島根県の海士町に移動したんですが。この時期波が高いんですよ。そこは本土からフェリーで2時間半から3時間くらいのところにあるので、毎回帰れるかなーってヒヤヒヤしながらフェリーを待つんですが。無事にフェリーに乗れてあまり揺れることもなくいつの間にか着いちゃった。これ、喜びでしたねー。ちゃんと帰ってこれた(笑)

藤代:じゃあ反対に、今度は
「最近あなたが怒りを感じた時はどんな時ですか?」
コメントで教えていただければと思います。こんなことに怒りが湧いてきたとか、イライラしたとか。人間ですので色々あるとおもいますので、その感情を思い返していただき、コメント欄で教えていただければと思います。

喜びのシェアはすごく気持ちが良いですね。皆さんの嬉しかったことを聞くとね。あー確かに!あったかいお風呂に入ると嬉しいよなぁ~。できればあったかいお風呂のあとにふわふわのタオルだとさらに嬉しいです。

齊藤:そうですね~。いい匂いがしたりして。

・人間関係で怒りを感じた
・夫がクリスマスイブに自分だけコンサートに行こうとしていた
・コロナに対しての人間関係にちょっと怒りを感じてます
・同調圧力についてちょっと怒りを感じています
・子どもが、本番が近いのに中々お笑いのネタ作りをせず怒ってしまう
・主人から私の行動を否定されたとき
・話しかけても知らんぷりされたとき
・夫が私が大事にしているタッパを粗末に扱ったとき
・ある人が他の人に仕事を押し付けていたのを見た時
・理不尽な制限を先生にかけられたこと

藤代:皆さんありがとうございます。「夫が」っていうのが多いのが気になりますね(笑)たまたまですよね(笑)
祥子先生は最近怒りを感じた時は何がありますか?

齊藤:ありますね。怒りっていうのは自分の考えや思いとのズレから生じているんだろうなーって。というのは、“なんで私こんなに怒っているんだろう”って考えた時に思って。自分の中で子どもの自主性を尊重してほしいっていう思いがすごくあって。でもその自主性っていうウエイトがやっぱりそれぞれ違うから、ある先生は子どもの自主性を尊重していると思っているけど私にとってはそれは先生がコントロールしてるよね。みたいに思ったことがあって。ちょっと違うんじゃない?って、怒りを感じました。

藤代:なるほどね。

齊藤:でも、なんでそんなに自分は怒っているの?って掘り下げて考えないとな。っていうのは最近思っていて。
自分が大事にしていることとズレているから怒ってるんだなっていうのは感じるから、それをもし相手に伝えられるんだったら伝えなきゃいけないなとは思っています。

藤代:確かにそうですね。感情を感じること自体はまったく悪い事じゃなくって、怒りを感じるっていうのは大事にしていることがあるからだと。

齊藤:うん。

藤代:それを、大事にしていることをちょっと粗末にされちゃったり、ぞんざいに扱われると“どうして?”って悲しさが生まれてそこから怒りがふつふつと湧いてくるってことだよね。だから、怒っちゃダメだっていうことではなくて、人間なんで怒りという感情は必ず生まれてくるから、ただそれを人にぶつけて相手を傷つけてしまうとか、手を出してしまうとなるとそれはまた別の話しで、、感情をコントロールできなかったっていう話になっちゃうから。そうじゃなくて、まず感情を感じるってことはとても大事なことだよねっていうのを、まず園でも大事にしてるってことだよね。

齊藤:うん。うん。

藤代:ちなみにそれは、どういう風にきっかけを作って子どもたちに感じるということを向き合ってもらうの?

齊藤:例えばコップを取り合って喧嘩になってしまったという場面だとすると、取り合った双方に「どうしたかった?」とか「何で取り合いになった?」って聞いたりすると、けんかになってるんだけど2人とも「このコップが欲しかった」っていう、同じ欲求があることに気が付いたり。

藤代:なるほどー

齊藤:だけどやっぱり譲れなくて、自分が欲しいから奪い合うとか、手で持って壊れるとかあるんだけど、でもその時に「欲しいと思った気持ちは同じだったんだよね。きっと違うものを欲しかったら、喧嘩にならないもんねー」って。そこの、まず第一感情っていうか、、、

藤代:そうか。○○ちゃんも○○君も、今一つのおもちゃを取り合っているけどどうしたかったの?っていうことを聞くと「私これで遊びたかったの」って○○ちゃんがいうと、○○君も「僕も遊びたかった」っていう風になると、お互い“遊びたかった”んだっていうことが、まずは認識できる。
それで遊びたかったんだね。が、まず第一ステップってことだよね。

齊藤:その後に、「どうしてこうなっちゃった?」っていうと、○○君が離してくれないからとか貸してくれないからってなるから、「でも自分も貸さなかったよね?それも同じだよね?じゃあどうする?」って聞くと、「○○君が貸してくれれば喧嘩にならない」とか、相手に求めるんだけど「自分ができることは何?」って。

藤代:なるほど!

齊藤:「自分ができることは何?」っていうと、「先に貸してって言ってみる」とか、「どうしても使いたいから今貸せないから待ってて」とか、「明日になったらいいよ」とか、方法はそれぞれなんですけど。逆に「喧嘩になるのが嫌だから貸してあげる」っていうパターンとかもあって。自分でそうやって決めるんだけど、本当にそれで良かった?というのは最後に必ず確認するようにしています。

藤代:あーなるほどねー。その場しのぎで終わっちゃったりとか、先生の顔色をうかがってそういう答えを言おうとしている子も中にはいるかもしれないから。。。あなたはそれで良かったの?ってことを聞くということ?

齊藤:うん。あとは、喧嘩をしないのがいいっていう風に刷り込まれている子もいて、そこは「いいんだよ、喧嘩したって。だって喧嘩しないと相手の気持ちも自分の気持ちもわからないじゃん」っていう。

藤代:そうなんだよね。整理をすると、まず、どうしたかったのか。自分はこうしたかったと同時に、まずは自分が感じたことだよね?

齊藤:うん

藤代:相手は何を感じたかってことも知り合う機会を作って、「じゃあどうしたいの?」っていう話をして。「自分がどうしたいの?」ってなると、多くの人は主語が相手になって○○君がこうしてくれたらいいのに。とか。。これ、大人でもそうですよね。

齊藤:そうそう(笑)

藤代:うちの部長が変われば・・・みたいな・・・(笑)
子どもだからかわいいなぁと思いつつ、自分に考えて置き換えてみたら僕もやってるよなーって。あの人が変わってくれれば僕は大丈夫なんですけどねって。

齊藤:だから子どもたちに、「人は変わらないんだから自分ができることを考えないとね。」とか言いながら、先生たちと“これ、自分ができてないから”って、、大人が。。。(笑)

藤代:ブーメランで返ってくる。『子どもに言ってること、あなたできてますか?』って(笑)なるほどねー。

・私も喧嘩をしてはいけないと、かなり刷り込まれていました

藤代:喧嘩の中にも種類があって、相手にけがをさせてはいけないよね。とかそういうことは、ダメだよって教わることも多いと思うんですけど。

小さい頃って色んなものを口にするじゃないですか。サッカーグランドとかも、ゴムチップとか石とかあるから、危険なものを口に入れないよう排除してたんだけど、色んな人に話を聞いたら口に入れることで何か菌を取り込んで免疫を作っていると。だから無理やり何もない超清潔環境にいると、心身共に色んなダメージを受けやすい人になっちゃうんだよみたいなことを聞いて。それを聞いたときに、汚いから触っちゃダメとかって言ってた自分がちょっと恥ずかしくなった。もちろん口に入れて詰まっちゃうとか、それは気にするんだけど、泥だらけになることとか前は避けてたんだけど、お母さん洗濯大変だし。でも積極的にそういうのをやるようになってから、確かに風邪とか引きにくい子どもたちが育っていったなぁって、すごく感じてて。
それと一緒で、他者との関わりで○○君と喧嘩することってよくないよねってなるけど、喧嘩することでわかることが出てくるってことだよね?

齊藤:うん。うん。喧嘩で解決することもあるんだけど、喧嘩しなくても解決できるんだっていうのも学ぶから。

藤代:確かに。

齊藤:だから物を取るのが早いか、それとも考えるのが早いのかっていうスピードが、思考が発達するにつれて変わってくるから、だんだん喧嘩が少なくなっていく。

藤代:なるほどねー。一般的な喧嘩は感情だけで戦うことを喧嘩って言うんだよね。きっと。

齊藤:うん。

藤代:いわゆる自分の感情だけをわかってほしいってやると喧嘩になりがち

齊藤:うん。うん。

藤代:だけど、相手はどう思っているだろう?という視点が出てくると対話になってくるというか。いいですね。

哲学の授業を実践して感じたこと

藤代:そもそも祥子先生が変わったきっかけとして、ドイツの視察ツアー、しつもん財団で企画した、5年前くらい?
ドイツに行って、哲学の時間ですね。しつもんの授業を幼稚園で拝見した時に結構衝撃を受けたということなんですが、その辺の話を聞いてもいいですか?

齊藤:はい。行く前まで「哲学の授業って何だろう?」って。哲学って、ソクラテスとか哲学者のものだと私は思っていて。
でも、『哲学と哲学することが違う』っていうのを

藤代:おおー。もう一回いいですか?

齊藤:哲学と哲学することは違う

藤代:哲学と哲学するは違う

齊藤:哲学することは、みんなができる。

藤代:なるほど!

齊藤:子どもでもできるんだなっていうのが、ドイツに行ってわかって。
子どもたちの哲学の授業を見た時に、結構長い時間、答えのないことをみんなで話してたんだけど、、

藤代:うん。すごいよね。

齊藤:「どうしていろんな言葉があるの?」とか、「木を『木』って決めたのは誰?」とか、あと「神様がどうやってできたか」とか、テーマが色々あって。

藤代:僕は祥子先生と同じタイミングで行けなくて、翌年か翌々年に行ってるんですけど。
どうやって哲学の授業をつくっているかという背景を説明すると、子どもたちが普段、日常的に言った質問や疑問を、自分で書ける子はメモに書いて、書けない子は先生がメモしてくれて、大きな瓶にためているんですよ。それで、哲学の時間だよってなると、みんなで車座に座って、先生か子どもが、そこから1個引くんだよね。それでその質問を読み上げて、それがたいてい答えのない問い、正解がない問いで、それに対してみんなはどう思う?っていうのを、先生がファシリテーター役になって話をする場を作っている。それが哲学の時間。
その中で出てきた質問が?

齊藤:「神様はどうやってできたか?」とか「なんで人は死ぬの?」とか「木を『木』って決めたのは誰?」とか

藤代:面白い・・・

齊藤:そういう質問の紙が入っていて、それを先生がテーマを拾いあげてみんなで哲学するっていう時間。それは多分年長さんかな?5〜6才くらいの子どもたちの授業。

藤代:1時間くらいやってるよね?

齊藤:1時間くらいやってた。その時、本当に子どもたちがキラキラしてて、なんでこんなに答えのないことに対して、みんなであーでもないこーでもないって言えるんだろう?っていうのがすごく不思議だったし、まず“やってみたい!”っていうのがあって。

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その哲学の授業が終わった後に、先生に色々質問する時間があって、質問した時に“これはすごく自分の中でも大事にしていきたい言葉だなー”と思ったのが、「何を大事にしてこの時間をすごしているんですか?」と質問した時に、先生が「子どもの本当の思いがどこにあるのか、自分で探りあてることを大切にしています」って言われて。

藤代:おおー。子どもの本当の思いがどこにあるのか、「自分で」って、子ども自身?

齊藤:子ども自身が探しあてることを大切にしているって言ってて。
それまでは子どもの言葉とか言動とかに左右されて、本当に子どもの思い、うわべだけじゃない思いがどこにあるのかっていうのをこっちも知ろうとしていなかったし、子ども自身がそれを探しあてるっていうことも、自分の中では視点がなかったなーって思って。その言葉にすごく影響を受けて、ちゃんと自分が自分なりの答えを探しあてるというか、そこを見つけるってことが大事なんだなって。それができるから楽しいし、満たされるんだろうなってその授業で感じて。

藤代:なるほどね。そうか。子ども自身が、自分で答えを見つけていくというか、しつもん財団が目指している所でもあるんだけど、そういうことを大事にしていると先生がおっしゃったんですね。
僕もすごいなぁと思ったことがあって。あくまでドイツの中で僕たちが視察させていただいた園のことなので、1つの例として聞いていただきたいのですが。

先生がお二人いらして、ファシリテーション、質問を読みあげて、「君はどう思う?」「そうなんだね。じゃあ君はどう思う?」っていう感じで、子どもたちの意見を促進させていく先生と、もう一人の先生は、ずーっとメモを取っていたんです。後で見せてもらったら、子どもの言葉を一語一句全部書いていたんです。「これ何に使うんですか?」って聞いたら、このメモをもとに、二人の先生で振り返りをして、あの子はどんなことを考えていたのだろうね?っていうことを感じる時間をつくるって。なかなかできないですよね。大変だもん。すごいな~って思ったね。

教育で観察するってすごく大事だよってよく耳にする言葉だけど、ただ見るだけではなくて、本当に全身を使って観察する。そしてその材料をもとに、後でその背景を二人で考えてみるっていうのは、本当にすごいと思ったなぁ。
ちなみに、僕が行ったときのね、最も衝撃的な質問は「どうやったら好きな人が運命の人だとわかるの?」って。

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藤代:誰も答えを持っていない(笑)えー幼稚園児だよ?(笑)ほんとにね、幼稚園児ぐらいの年齢の子の方が本質的な問いをつくるね。

齊藤:そうなんですよ。すごくシンプルというか。

藤代:そうなのよ。僕たち大人がつくる問いはダメです、頭で考えた問いだから。心の問いがないんですよ。

齊藤:心の問いがない

藤代:フランスの映画で「小さな哲学者たち」っていうのもあるので、よかったらぜひ見てください。

・ドイツでは幼児教育の哲学は一般的なんでしょうか?

藤代:どうなんでしょうね?僕たちもリサーチできていなくてわからないんですけど。でも日本でも、祥子先生や他にも実践されている方がいらっしゃるのを僕は知ってますけど。。

藤代:ドイツから戻ってきて“やりたい”って思ったことを、実際どうしたんですか?

齊藤:やりましたねー

藤代:どうでしたか?

齊藤:その時も、私がファシリテーターをやって、もう一人先生に入ってもらってメモしてもらうってやったんですけど、終わって振り返りをした時に共通していたのは、本当にその子たちが愛おしくてたまらなかった。“こんなこと考えてたんだ”とか、“こんな風に思ってたんだ”みたいなところに気がついて、可愛くてしょうがないというか。。。

藤代:なるほどね。
今までは、そういうような時間は作ってなかったんですけど、子どもたちを知ろうとしてたわけじゃない?

齊藤:もちろん、知ろうとしてた。

藤代:ちょっとやり方を変えてみたところ、何がそんなに違ったの?

齊藤:ちゃんと子どもが自分の思いを、自分の中に出せているというか。。。すごく考えて答えを出しているんだなということが分かったし、その考える姿勢もすごいなって思ったし、あーできるんだなーとか。。

藤代:そうだよね。決して語彙がまだ多いわけじゃないけど、がんばって自分の今感じていることとか考えていることを表現しようとしているところがすごいなと思えたってことだよね?

齊藤:最初に話したことと同じで、答えはないのも正解だし、答えが出ないこともあるから、話せなくてもそれは当然だと思うよ。っていう話を子どもたちにしていって。でも話したくなったら話してっていう感じで。話をしている時に伝えたいんだなっていうか、自分を知りたいんだな、この子達。って。

藤代:なるほどなぁ。おもしろい。確かにああいう時間は決して効率的じゃないんだけどすごく重要な時間っていうことは多くの人が認識しているんだけど、“すぐやるべきことじゃないでしょ”って、後回しにされちゃうことが多いなって思ってて。僕たち大人でも、例えば最近コロナ禍になって、“自分にとって、どこに住むのが一番心地よいかな”とか、“どういう働き方が心地よいかな”“幸せってなんなんだろう”って考えた方も多分多くいると思うんですけど、そうやって立ち止まって正解のない、ぼんやりとしか正解がわからないような問いを持ってちょっと時間を過ごしてみるっていうのはすごくいいですよね。

齊藤:考えるってやっぱり癖なのかなって思って。考える癖があるかどうかってすごく大きいなと思って。

藤代:そこでね、いいなと思うのは、子どもから生まれているんですよ問いが。僕たちも目指しているゴールとしては、子ども自ら問いを作り、その問いに自分で答えるということをやりたいんですよ。やっぱり僕たちが問いを投げかけることの方が多くて、ステップとしては、、もしかしたらそのステップを踏まないとできない子もいて、それも大事なんですけど。
例えば、今僕は人口2300人しかいない離島で暮らしているんですけど、子どもたちは小学生の時から離島の課題に向き合っているんですよ。将来この島のために働いてほしいんです。僕たち大人は。(笑)
じゃあ、島の課題を探してきてほしいってなるんだけど、それがだんだん子どもたちから生まれた問いではなくて、僕たち大人が問いを投げかけて“この島をもっと発展させるにはどうしたらいいと思う?”って。それって、やる気にならないし、夢中にはなれないよね。人から与えられた問いは。

齊藤:ただそこで、郷土愛みたいなところにつながる可能性はあるよね?

藤代:あるある。あるし、変化はする。人からもらった問いが自分の問いになることもあるし、最初から自分の問いになることもある。そこはすごく意識して関われるといいよね。

齊藤:きっかけが子どもにとってどうかな?っていうところも見ていきたいな。

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