僕はアドセンスを貼れなかった

生き方を他者に任せられるほど僕は強くなかったから。

初めましての方初めて。
久しぶりの方、お久しぶりです。

舌背酸と申します。

以前まで

https://nekoshisei.hatenablog.com

ドストエフスキーを読んだと嘘をついた

というブログを運営していました。
思いの丈を述べるにあたり、ドメインを取得して、色やってたのですが、この度noteに移行しました。

これからよろしくお願いします。

はてなブログの有料会員からの見地を含め、このnoteがどんなnoteになるのか言及できたらと思います。

僕がはてなブログの有料会員になったのは、2017年の6月頭。
ブログでお金を稼ぐぞ。なんて意気込みはないものの、僕の意見や視点、価値観に共鳴してくれたらいいなという、他力本願なスタンスで始めました。

有料ブログになってのメリット、稼げているという報告、自分の意見を全面的に肯定してくれる信者。
色んなメリットがあるんだ!ということをSEOを意識して書いた、お手本をなぞるだけの、独自性のない、吸い殻のような薄っぺらさをほこるブログやサイトから学びました。

「好きなことで生きていく」ではないですけど、自分を彩っている文字の羅列というもので、何かを変えられるのならという単純な思いで、はてなブログの有料会員になりました。

1年という短い期間であったものの、いいこと・悪いことが見えました。

広告が運用型になり、ユーザーのストレスが臨界点ギリギリになっている昨今。広告を消した記事を読んでもらえるというのが有料会員の最大のメリットだと思います。

そこそこ有名なメディアサイトの運用に関わっているということもあり、僕はネット広告にかなり煩わしさを感じています。
それをなくして、自分の手で、知名度の高いものはてなブログという名を借りながら、ブログを運用できるというのは、最大の利点だと思います。
一国一城の主であるがごとく、思いのままに身を振れますから。

しかしデメリットも存在します。
副業で稼ぐという生活スタンスが認められ始め、インターネットにおける副業は手近で、人気になっているという世の流れに逆らって申し訳ないのですが、収入を得ずらい。というのが最大のデメリットだと思います。

これは、ワークライフバランスや、ワークアズライフという、価値観の根底への問いかけとなるので、あまり書きたくないのですが、あなたは何に対しての対価を得たいのですか。という話になります。

DeNAのキュレーションサイトや、個人のライフハックをなぞった記事、グーグル先生の価値の低下から分かる通り、お手本をなぞった学び屋が増え、情報の価値が転換しました。

我々は推測による思考の展開すら、煩わしいゴシップと捉えるようになったのです。

しかしながら、情報サイトの主要な収入源はグーグルアドセンスを始めとする、広告収入です。

広告を張り、amazonで商品を買ってもらうという流れを、納得し、誇りを持ってサイトに位置付けられる人はどれくらいいるのでしょうか。

広告収入というのは、PVやクリック数。言い換えれば自分への注目度です。

インフルエンサーが流行る世の中。
注目度がお金に変わるという感覚はさほど違和感がないように感じられます。

けれど僕はnoteに移住するにあたり、
自分の城ではなく、交流を深めるnoteへ引っ越すにあたり、
はっきりさせておきたいのです。

注目度をお金に変えるということは、他人の時間を自分の糧にすることだと。
他人の時間を奪うも、自分の生活を支える重要なピースを、ファンから見えない位置に隠すことだと。

かつてのテキストサイト全盛期。
流行の根底にあったのは独自性と観察眼。他にはない面白さでした。

広告を貼ればお金になるという経済モデルが誕生するとともに、我々は視点をお金に変えるという、クリエィティビティにおいて、もっとも満足度の高い、収入方式を確立しました。

しかし、ググレカスの方程式が崩れ去るとともに、我々は改めて、物質主義を肯定するか、批判するかの瀬戸際に立たされたように思えます。

我々が欲しかったのはお金なのでしょうか。
それならば別に今のやり方が朽ちるまで、うまい蜜を吸ったらいいのだと思います。

しかしながら、僕のように、始まりは言葉の列挙だったなんていう、
著者ならではの視点が生み出す表現が好きで、それを自分も生み出したいと思った、青い春で片付けられる我々を、騙し続けていいのでしょうか。

稼げるからやってみる。それも間違いではありません。
けれど、推測や、憶測、テレビの書き起こしが人気に繋がるこの世界で、我々の感情を突き動かしたあの文書を我々が繋がなくては、きっと読解力のなさをセンシティブで埋める、確証なき想像が、文書、文字群を生み出すようになってしまいます。

そう考えた時、僕はグーグルのアドセンスをサイトに貼れなくなりました。
そんなに閲覧数が多かったわけではないですが、ニュースに精通し、メディアサイトの運用に慣れた僕の『情けない日記』は一定の評価を得ていたのではないかと思います。

それでも僕は、広告を貼れませんでした。

別に広告で収入を得ることが悪いわけではない。
むしろ、好きなことで生きるにあたり、これほど、人生を支えてくれるものもないだろう。

けれど、僕は数値ではなく、誰かの心に響くかで戦いたかった。
青くさい理想論だっていい。

全より個を見たかった。

僕の描く、社会情勢を基にした意見や小説が誰かの意見を補強できるなら、誰かの発言になるなら、これほどまでに嬉しいことはなかった。

僕は、僕への注目を捨てた。
だからアドセンスが貼れなかった。

それは、ただの言葉の羅列でしかない。
けれど、たしかに僕に向けて書かれたと言い切れる、感情を揺さぶるあの言葉に僕もなりたかったから。

真夜中一人きり、呟いてしまうような、あの一説に僕自身がなりたかったから。

だから僕は広告収入ではなく、他の術で生きていくことにした。

僕が欲しいのは注目より、誰かの生活を支える槍だっから。

インスタグラマーやYouTuberなど、生き方に多様性が生まれたのは好ましいことです。
けれど、それを絶対視しては、比較対象にしては、いけないと思ったのです。

これからはnoteで色々書きます。
多数に必要とされなくても、あなたの何かを突き動かす、その言葉になれるように。

長くなりましたが、これからよろしくお願いします。

採算を超えて、その先にある、人間関係を紡げるように。

では、また。

#日記


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