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廃村に消えた君へ

今から書くのは変わり果てた親友との再会の思い出である。

20年以上前、小学生だった私には親友がいた。和泉という名前で、私はイズと呼んでいた。同じクラスで同じ習い事。学校にいる時はもちろん学校が終わってからも一緒に過ごした。習い事がない日はどちらかの家で遊んだ。私の家は学校から徒歩30分くらいかかる場所にあったので、大体は学校に近いイズの家で遊んでいた。

ところが、あと少しで学年が上がるという時期に突然イズが遠くへ引っ越すことになった。しかも知らされたのが引っ越しの前日だった。ずっと前から決まっていたことだったが、別れが悲しくてイズは私に言い出せなかったらしい。その時になって、そういえば最近イズの家で遊んでなかったなぁと気が付いた。悲しい気持ちを隠して私と遊ぶのはつらかっただろう。私もとても悲しかったが何とか前向きになれるように送り出さなくてはいけないと思い、「会おうと思えばいつでも会えるし」とか「次の夏休みはイズのところに行こっかな」とか、そんなことを話した。

そして「毎日手紙書くからね」と約束した。当時はインターネットはもちろん携帯電話なんて小学生が持てるものではなかった。そんな約束を、転校する友達、あるいは遠距離になってしまう恋人と約束した人は多かったのではないだろうか。大抵の場合約束は果たされずに終わるのだが、私とイズは守った。さすがに毎日は書けなかったが毎週手紙を送り合った。イズからの手紙が火曜日に届くことが多かったので、その返事を木曜日に出す。そんな文通が1年も続いた。

そしてもうすぐ春休みという時にイズから「春休みに戻ることになったよ~また遊べるね!」と手紙が来た。またイズに会える。そう思うと嬉しくてたまらなかった。返事にはイズと一緒にしたいことリストを書いて送った。イズからはその返事は来なかったが、電話があった。

3月23日に遊べる?お買い物とかしようね!それで……〇〇山まで来れる?おじいちゃんの家に泊まる予定なんだ。おじいちゃんの家は〇〇山のバス停に近いから、そこで10時に待ち合わせでいい?

小学生の私は土地勘というものや地理の知識なんかが皆無で、〇〇山がどこだか分からなかったが了承した。

電話を切って母にそのことを言うと、「えっ?バス停まだあるんだ……だいぶ前に廃線になったはずだけど」と怪訝な顔をされた。しかも〇〇山は学校からも私の家からも遠く離れた小さな集落にあることが分かった。

そういうわけで当日は父の車で迎えに行くことになった。どんどん人気がなくなり木が鬱蒼と生い茂る山道を見ながら「本当にこんなところにイズがいるんだろうか」と不安になった。

約束のバス停に着くと、すでにイズがいて私を待っていた。1年ぶりの再会だ。きっと泣いてしまうのだろうと思っていたのだが、意外とあっさりしていた。

「紫蘇ちゃん!ひさしぶり!おじちゃんもおひさしぶりです」

父にも挨拶するイズは変わらずはきはきしていて安心したのかもしれない。会えなかった1年のことは話さず、まるで昨日までずっと毎日遊んでいたかのような感覚だった。

だからというか、しかしというか、イズとその日何をして遊んだのか詳細は覚えていない。駅ビルで買い物をしてマックで昼ご飯を食べたのは覚えているが、楽しかったという記憶もない。何だか妙な違和感はあった。思ったより会話が弾まず沈黙が多かったことだけは覚えている。流行っていたプリクラも、撮らなかった。

そして帰る時間になり、私は母に電話をして駅まで迎えに来てもらうことにした。イズは電車で帰ると言ったのだが、山の近くに駅はなかったので無理やり引き留めて母の車に乗ってもらった。

母は「うちに泊まってもいいのに」とイズに話していたが、彼女はそれを頑なに断った。おじいちゃんが厳しいからとか言っていた気がする。何となく私は「あ、イズもあんまり楽しくなかったんだ」とちょっとさびしくなった。

そして待ち合わせのバス停に着くと、母はそこで「おじいちゃんの家まで送るよ」と言う。イズはバス停の向こうを指さして

大丈夫ですおばちゃん。すぐそこにあるんです。

と言って車を降りた。暗かったのでよく見えなかったが、おじいちゃんの家はバス停の裏にあるようだった。車を降りた彼女はニコニコしながらこちらに手を振ってお見送りをしてくれている。母はしぶしぶアクセルを踏んだ。手を振るイズがどんどん小さくなり、そのうちふっと暗がりに溶けて見えなくなった。

帰り道、母が「迎えに行った時、イズちゃんのおじいちゃんの家見た?」と聞いてきた。見てないと答えると、母がこんなことを教えてくれた。

昔、母の従姉があの集落に住んでいて時々遊びに行っていたそうだ。母が高校生の頃、山のバスが廃線になり小学校も廃校になると集落から人はどんどん去って行きとうとう誰もいなくなった。バス停の近くにはかつて住人だった人のお墓があるだけだという。

それから、「家に帰ったらイズちゃんの家に電話してみようね」と言った。母の話にピンと来なかった私はイズが家族には内緒で家出をして来たのだと勘違いし、一人で慌てていた。

帰宅して早々、イズから教えてもらった引っ越し先の電話番号に電話をした。ところが誰も出なかった。時間を置いて何度もかけたが、やっぱり誰も出なかった。イズは無事だろうか。警察に通報した方がいいだろうか。そんなことよりイズはどうして家出したのだろう。色々なことをぐるぐると考えてもどうすればいいのか分からなかった。イズから貰ったお土産をカバンから出して開けてみると、ディズニーランドの飴で、どれも全部溶けて袋にくっついていた。

それから何日かして手紙を書いた。「ちゃんと帰り着いた?楽しかったね!」という内容の手紙だった。イズからの返事は来なかった。

しばらくして、イズのお母さんから返事が来た。

いつもお手紙ありがとう。和泉は今病気で入院しているから手紙は書けないけど、元気になってそっちに帰った時にはまた遊んでね!和泉も、帰れる日を楽しみにがんばっています。

変な手紙だった。手紙を読んだ両親も、変な顔をした。

それ以来文通は途絶え、イズとは二度と会っていない。

色んな国で怪談を集めるようになった今、当時の両親が何を思っていたのかよく分かる。実際、そんな話をいくつも聞いた。

もちろん、イズが今も元気でいたらいいなと思う。同時にそうじゃない可能性があることも理解している。その上で、私は今もずっと後悔している。最後にイズに何を話したのか、全く覚えていないことを。

今まで発言したすべての言葉を全てはっきりと覚えているわけではないが、大事な人との会話は心に残っていると言う人は多いと思う。私にとってイズは大事な人だったのに最後に会った時何を話したのか覚えていない。そんなぼやっとした私だったからこそ、イズにしても”立場”をはっきりできなかったのではないだろうか。

今はこんな状況だし、誰がいつあちら側へと変わるか分からない。自分かもしれないし大事な人かもしれない。あるいは今話している人がもうすでに、ということも十分にあり得る。向こうに何を持って行けるのか分からないからせめて、気持ちのこもった言葉だけでも覚えていたいなと思う。また、大事な人にも覚えていてほしい。

私は今もあの日の会話を思い出そうとばかりしていて、あったはずの大事な思い出もイズの顔もぼやっとしてきてしまった。もしあの時はっきり「また会いたい」と強い気持ちで伝えていたら、それをずっと心に残しておいたらもしかしたらいつかどんな形でも会えていたのだろうかと後悔するばかりだ。

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