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とある少数民族についての報告

 はじめに

 レポートを書き始めるにあたって、まずはチュン氏のことを記しておきたい。滞在中、通訳をしてくれたり生活のサポートをしてくれたりした。彼女がいなければこの物語を書くことができなかっただろう。
 本来ならば「この物語を○○に捧ぐ」などという文言がふさわしいのだろうが、残念ながら彼女には届かない。

 だからせめて、彼女とその家族が無事でいることを願うばかりである。

とある産院の記録

 今から30年ほど前のこと。現在大学生であるティエンさんのお母さんはその時、ティエンさんのお兄さんを出産するため小さな産院に入院していた。

 ある日彼女は自分の部屋と間違えて別の部屋に入ってしまった。

 扉を開けた彼女は思わず悲鳴を上げそうになった。

 そこにあったのは、棚にずらりと並んだ瓶詰の嬰児。ざっと見ただけでも百個はありそうだった。黄色がかった液体で満ちた瓶に、嬰児が入っていた。瓶の中の子の大きさはまちまちで、みっちりと瓶に詰められた大きな子もいれば見るからに胎児と分かる爬虫類のような形の小さな子もいた。

 その棚の下の段にも瓶が並んでいたが、そちらには赤い肉の塊のようなものが入っていた。上の段の嬰児たちの臓器だと思われた。よく見ると腹が大きく開いた嬰児もいた。

 標本にでもするのだろうか、そう考えて彼女は部屋を出ようとした。

 その時、上の段で何か動くのが見えた。

 一人の嬰児が口を大きく動かしている。

 ――まさか、生きている?

 口を動かす度に水位がわずかに上下する。

 息をのんで見つめていると、突然

「何してるの!」
 と看護師が入って来た。

「あの子供たちは……」

「死産だったのよ、かわいそうにね」

 彼女はそれ以上何も聞けなかった。
 入院中、注意してその部屋を見ていると毎日のように医師と中年の男性が連れ立ってその部屋に入っていくのに気が付いた。中年男性はその地域の"偉い政治家"だった。日本で言えば議員先生といったところだろうか。

 ティエンさんを出産する際も同じ産院に入院していたそうだが、その時も男性は相変わらず病院を訪れていた。彼らが嬰児や胎児を集めて一体何をしていたのか、そもそも本当に死産だったのか、死産だったとすれば瓶の中で動いていたあの子供は何だったのか――
 この国ではとある政党の党員になると就職でも何でも優遇されることが多い。ところが、国民の中にはあえてなりたくないという人もいる。ティエンさんもその一人だ。家族も同じだというので理由を尋ねたところ、教えてくれたのが上記の話である。

「党員の特権なんて一般市民には縁のない話ですよ。恩恵があるのは会社の社長とか芸能人とかのお金持ちだけじゃないですかね」

 隣にいた通訳者のチュンさんも
「私も党員ではないですし、なりたくもありません」
 と言う。

 その言葉の中に微かな憎悪を感じ、思わず黙ってしまった。しばらく沈黙が続いた後、静かにチュンさんが話し始めた。

祖母について、通訳者談

 おばあちゃんはシャーマンみたいな仕事をしていました。神様や亡くなった人の声を聴いて、人々に伝えるといったような仕事です。その能力は一族の女性が踏襲していたようです。直系ではないと思います。能力を継ぐ人は子供を産めないので。
 あ、おばあちゃんって言ってますけど、私のおばあちゃんじゃないんです。私は全然、そんな力もないですし。近所に住んでて、小さい頃から私を可愛がってくれてた人です。ほら、私の目、ちょっと気持ち悪いでしょう? 生まれてすぐ病気になって右目だけ爛れたままでもう視力もほぼなくて……でもおばあちゃんは私のことを「可愛い可愛い」って、言ってくれてたんですよ。
 そのおばあちゃんですけど、一族最後のシャーマンなんです。理由は……あの、何十年も前にこの国で革命が起きたのはご存知ですか? そうです、それです。その時にシャーマンとかお祓いとか、そんな非科学的だとされる物すべてが悪だと非難されて、みんな廃業に追い込まれたんです。中には逮捕され、酷い拷問を受けた同業者もいたそうです。

 それでも、人々の暮らしは急には変わりませんでした。おばあちゃんがシャーマンの看板を降ろした後でも「死んだ人と話がしたい」という人たちがこっそり家に来ていたそうです。
 ある日、綺麗な身なりの男性がおばあちゃんを訪ねて来ました。はい、党員の人でした。幹部だったと後で聞きました。彼は交通事故に遭った息子の命を助けて欲しい、もう一週間以上も意識が戻らないのだとおばあちゃんに泣きついたそうです。自分たちのグループが罪もない霊能力者やシャーマン達にどんなことをしたのか知らないはずがないのに、助けを求めて来たんです。

「あなたの息子は誰の声も光も届かない場所にいる。四肢を引きちぎられる痛みが永遠に彼を苦しめる、誰にも救えない」

 おばあちゃんはそう告げました。それを聞いた瞬間、彼は泣き崩れました。息子さんは本当に手足が轢き潰されていたんです。もちろんおばあちゃんは知りません。ただ視えただけでしょう。
 その日の夜、おばあちゃんは投獄されました。密告です。後で聞いたことですが、息子さんは一瞬だけ意識が戻り「苦しい、痛い、お前が死ねばよかったのに」と叫んで亡くなったそうです。逆恨みしたんじゃないかと私たちは思っています。おばあちゃんが呪いをかけたせいで息子が死んだと吹聴していたようですし。
 ……もちろん、一族の力は誰かを呪い殺したりするようなものではありません。視えるものを視えない人に伝えるだけですから。人の役に立つ仕事です。その男性の一族に時々不治の病を持った子供が生まれてくるのも、私たちには何の関係もない、ただの偶然です。

通訳者自身について

「だから、私も家族も近所の人も全員、あの政党のことを憎んでいます」
 チュンさんはおばあさんの話をそう締めくくった。

 決して楽しい話ではなかったが、私はもっと彼らに纏わる話を知りたくなった。そんな私の好奇心をチュンさんは意外にも喜んでくれた。そして不思議な話をたくさん教えてくれた。とりわけ、彼女の故郷の風習やそこに住まう少数民族の話は興味深かった。経済が大きく発展したこの国に、本当にそんな場所があるのかと疑いたくなるような内容だった。

「本当に辺鄙な田舎でしたから」

 聞けば、チュンさんは大学進学の際に都会に出てきたのだそうだ。外国人の私でも知っている有名な大学だ。そこで日本語を学んだという。道理で彼女の日本語は他の通訳者に比べて流暢なのかと納得した。そんなに優秀なんだからもっと待遇の良いところで働けるのにと言うと、彼女は

「ここの社長には感謝してるんですよ。私の目、こんなだから雇ってくれないところがほとんどなのに」
 と右目を覆った。

 社長――私は彼の仏頂面を思い出していた。数えるほどしか会ったことがないが、あまり良い印象ではない。外国人が嫌いだという噂もある。実際、私の前任者も彼とトラブルになって辞めたという話だ。そのため極力顔を合わさないようにしている。だから彼の人となりはよく知らないが、チュンさんの話を聞く限りはそう悪い人でもないのだろう。

「面接の時に自分から右目のこと話したんです。ほら、潰れてるみたいで気持ち悪いでしょ。これが原因でどこも雇ってくれませんでした……でも社長は、僕には左右の目の大きさが少し違うだけに見えるけどって、そう言ってくれたんですよ」

 そんな話をした数週間後、社長が逮捕されたという話を聞いた。

とある病院職員談

 尊大な態度の男でしたね。社長だか何だか知りませんけど、自分の息子が死んだのはうちの病院のせいだって恫喝して。息子さんのことは気の毒だと思いますよ。まだ小さかったのに頑張って臓器移植を受けて……。
 あ、手術は成功したんです。術後しばらくは安定してたんですよ、それが急に……原因は今も分かりません。まぁでも、先天的な疾患があった子のようですし、こんな言い方は良くないけど、いつ亡くなってもおかしくない状況ではあったんじゃないでしょうか。
 それをあの男が、「どうしてくれる!」って怒鳴り込んできて……だからうちの病院はまず臓器の提供元を調べたんです。そしたら、はい、あの例の産院に辿り着きました。まさか! 先生は知りませんでしたよ。普通ならドナーはうちを通すんですが。あの人たちは特別だからって外部から受け入れたらこれですよ。うちも医療ミスの汚名を着せられないように必死でしたから敢えて大々的に公表したんです。その甲斐あって一応は逮捕されたようですけどね。あくまでも表向きですよ。私たちと違って特別な人ですから、もう外に出てたりして。

少数民族についての記録

 その国の南部に少数民族が住んでいる。彼らは「人間だけでなく水や草木にも霊魂が宿る」と信じ、一年のうち十数回以上もの祭事を行うという信仰生活を送っている。以前は霊媒師や呪術師を生業にしていた者も多く、招魂と呼ばれる方法を用いて死者と会話をしたり病を治したり、反対に病を宿したりしていたという。招魂をしていた人々は特別な力と引き換えに子孫を残せなくなる、或いは、視力を失うとの記述もある。
 1950年代に入り政府から「迷信活動は国の繁栄を妨げる」と弾圧されたため、現在はそのような儀式は一切行われていない。
 

 社長がいなくなると同時に姿を消したチュンさんとは、いまだに連絡が取れないでいる。


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