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あんた地獄に落ちるわよ

というわけで、地獄に落ちた坊主の話でもしようと思う。いや、彼自身はまだ落ちてはいない。それに坊主とはいえちゃんとした坊主ではなく、見てくれだけが坊主の似非坊主なのだが。

彼は遠い遠い遠い親戚だった。親戚の誰かの家に不幸があると必ず袈裟を持参してやって来て(もちろんその家は檀家になっているお寺のご住職を呼んでいる)、勝手に読経していた。なんとも迷惑な人だったのだ。幼い私は法要や葬儀というのはそういうもので、1列目に偉いお坊さんが座って位の高いお経をあげ、2列目には格下のお坊さんが座る。そして格下なりのお経をあげるのだと、そう思っていた。ところが周りの大人が「は?あの人まだ坊さんの真似事なんかしてるの?」「気持ち悪いわよねぇ」という話の意味が分かるようになると、それは異常なことなのだと理解した。そして周りの大人と同じように忌み嫌った。

そんな彼と最後に会ったのは私が高校に入学したばかりのころだったはずだ。近しい親戚ではなかったのに何故かうちに入学祝を持って来た。ところがその時飼っていた犬に鬼のように吠えられて家の中には入らずに帰っていった。それが最後。

その後、父から聞いた話では彼の奥さんが亡くなったそうだ。何でも、彼の奥さんは彼に言われて日々木彫りの仏を作っていたという。それを彼の信者に売っていたのだとか。何度も言うが、彼はお坊さんになるための修行をしたわけでも、仏教系の大学を卒業したわけでもない。それなのに何故か信者がいて、彼ら相手によくない商売をしていた。奥さんは彼には逆らえずに仏を彫り続けて亡くなってしまった。

それと同時に、彼は「うちの庭に鳥居を作りたい」と言ってうちの父に連絡を寄こしてきたらしい。手伝えという彼からの要求を父はもちろん断った。似非は似非でも坊主なのだから、鳥居はおかしいだろうと。それ以前におかしいところが山ほどあるので断った。父の兄にも連絡したそうだがもちろんそちらからも断られた。仕方がないので彼は近所に住む大工さんに頼んで鳥居を作ってもらった。直後、その大工さんは亡くなった。

おい、本人に何も罰はないのかよ、と読んでいる方は思うだろう。私は思った。何でお前が死なないんだよ、と。どうやら世の中はそういうものらしい。憎まれっ子世に憚るという言葉もあるではないか。そういうものらしい。私たちにできることはただ一つ、犬を飼うことだ。犬は何でもお見通し。業を背負った人間を嗅ぎ分けることができる。


……といっても犬を飼えない人もいるだろう。少なくともこの拙文を読んでくださった皆様には似非坊主から十分な距離を取ってほしいと願っている。そこで、彼が今どこで何をしているのかについて、ヒントだけ書いて終わろうと思う。彼に服の裾を掴まれて地獄になど行かれませんように。


F県K郡S町にある〇番札所という寺に潜り込んで、本物の住職になっている。

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