さよなら、440

一週間前の5月16日土曜日、ししまる、獅子丸が私たちのもとから旅立った。いつもいた場所から敷布やトイレが無くなっても、ふとした瞬間、存在をいまだに感じてしまい失った悲しみと、16年半の楽しかった思い出が交互に押し寄せてくる。

2+1=3、3+1=4、4-1=3

川崎のブリーダーさんのもとへししまるを迎えにいったのは12月30日の誕生から2ヵ月がすぎた2004年3月のひな祭り前後。それまで何度か訪問と面接をして仔犬をもらいうけるのを許可してもらった半年後だった。

パグのブリーダー犬舎として有名だったサンボーイズ舎の佐藤さんは会社経営をしつつ、数十年にも渡るパグ育成や専門書の執筆で有名な日本パグ界の第一人者であり、パグに対するその愛情の深さはお話を伺うたびに私たちを更なるパグファンシャーの道へと惹き込ませた。もらいうけ指定された日は仕事でどうしても迎えにいけず、一週間後になってしまった。

フォーンの男の子、わたしたちが希望したタイプの仔犬は3匹生まれていて、この日最後に残っていた暴れん坊ししまるだったのである。

そう、2ヵ月のししまるは自分の胴体と同じ大きさの豚耳のおやつをブンブン振り回すようなヤンチャなぷっくりした男の子だった。ペットとして暮らす老犬のチワワとの関係も良好であり、明るい性格の人懐っこい子が我が家に来てくれたんだなと、帰りの新幹線のクレートで震えるししまるをクレートごと抱きしめた。

ちなみに獅子丸と名付けたのは夫で、忍者ハットリくんの獅子丸からである。もちろんパグのししまるはチクワを食べない。好きなものはキャベツやブロッコリーの芯というエコで健康志向な犬なのだ。

川崎で暴れん坊だったのが嘘のように名古屋へ来てからは大人しく、全くワンのひと言も言わずこんなものかなと1ヵ月思っていた。初めて抱っこして散歩に連れ出した初っ端の時もいきなり出会した小型犬に吠えられてもワンとも言わずなかなかたいしたもんだなと思っていたら、ワクチン接種で訪れた初めての動物病院の待合で入ってきた犬に対して小さくウウウと唸っているのを耳にした。

ん?

そしてそれをきっかけに以降ワンワンしゃべくりまくるようになったのである…後々になって振り返ると、どうも対犬にびびりな性格で、これは初対面だったあの犬にいきなり吠えられたことがトラウマになってしまったのかもしれないとあちゃーってなった。

初対面の人に対しても腰が引けてギャンギャン言うものの、こちらに関しては自宅へ遊びに来る人たちについては興奮してからのキャンキャン!となってベロベロ!抱っこ抱っこ!になるのでどうやら内弁慶な気質なのもあったのかもしれない。そして散歩途中に近寄ってくるお姉さんたちにも尻尾を振っていたのをわたしは見逃さなかったぞ…

対して、男性、しかも作業着を着た男性に対しての警戒心はひどかった。親の仇か!と思うほどのワンワンギャンギャン、もちろん事前にクレートへ入れ布を隠す対応、滞在も5分かからないものがほとんどだったにもかかわらず、業者さんが帰った後も警察犬なみに匂いを追い回し3時間近く興奮状態。仔犬時代にしつけ教室に通ったり、友人の協力で何十回練習しても老犬になるまでそれは治らなかった。きっと家族を守りたかったんだね、うん。

この臆病さと内弁慶さ、言いかえると慎重さがししまるが最後一匹だった理由の一つだったのかもしれない。陽キャ犬じゃなくて、陰キャ犬。しばらくして発売された犬種ガイド本で飼い方モデルになっていたししまる写真を見るとその性格が想像できる…

いわゆる社会性…がアレだったものの、それ以外の日常生活で困ることは何一つなかった。病気しない、食欲旺盛、留守番してても騒がない。散歩の時にこちらが気を付けて、散歩の犬と遭遇する時には飼い主さんへ事情を説明したところ、皆さんそれでもししまるを可愛がってくれた。

たくさんの犬友さんができた。昔からこのあたりで暮らす現役引退の方が多くその犬友ネットワークから信頼できる動物病院や町内会についても情報をたくさん頂いた。こちらからは逆に最新のペットフードや治療法、幼稚園、小学校情報をあれこれを伝えた。この犬友ネットワーク情報網はすごいのである。後に当番で町内会に関わるとその情報や関係が役立った。

人間の大人2人とパグ一匹。たぶん名古屋で暮らし始めると川崎時代のことは忘れてしまったんだと思う。自宅パウダールームでわたしに抱っこされた自分の姿を見た時、衝撃を受けた表情をしていたから。ピノキオみたいに”ボク、おとうさんとおかあさんとちがうの?”と絶対思ったよね!?とは夫と意見が一致した。

初めて近所ではない、少し離れた河川敷へ連れていった時は”普通の犬”のようにはしゃいで飛びまくったのを今でもとてもよく覚えている。しかしその時一回だけのはしゃぎようだったのもよく覚えている。ちょ、感動一回きりかよ…

遊ぶのは老犬になるまで大好きだった。子供の頃は追いかけっこ、ロープ引っ張り合いの綱引き、ボール投げ、ずっとずっと子供だった。

食べること大好きだったのでおやつを使った躾やルール付けは得意で、10年近く買い続けたペットフード屋さんへ車で行くと店がわかるなり大喜びだった。

オーナーさんのことが本当に大好きで、お店の中も我がもの顔で周回。途中、療法食へ切り替えてしまったのと、実店舗が閉店となった時期がかぶりオーナーさんとはそれ以降お会いする機会がなくなってしまい、今それを思い出すともう一度会わせてあげたかったな…と切に思う。ししまるが家族以外で家族と同等に大好きだった人だから。

私たちが名付けた”へこへこ”という、オス犬が腰を物体に押しつける行為をし始めたのも一歳になるかならないかの頃だっと思う。自分のクッションに対してのみで、人に対してはやらないのである程度はほっておいたものの、あまりにもしつこい時は苦笑しながらやめさせたのも思い出の一つだ。

パグ走りも若い頃よくやっていたなぁ。あとパグ臭なのかな?いつも草っぽい、ひだまりのような香ばしい匂いがした。自宅でもよく日なたぼっこを好んで太陽とともにジリジリ床移動してた。

ダブルコートなので抜け毛はとんでもだった。一回のブラッシングで抜け毛サッカーボールくらい。みんな犬毛フェルト作ろうと考えるはず。

平日の散歩は自宅周辺、その代わり週末の散歩は緑地公園まで通った。1時間近く様々な樹木が清々しい新緑の季節、蝉やトンボが飛び交う汗がまつわりつく夏、どんぐり拾いや落ち葉の谷歩きが楽しい秋、落葉樹が、木枯らしが寂しいけれど澄んだ空気の冬といった何気ない季節のうつろいや自然を肌で感じるのは犬と生活するならではだと思う。

公園で1時間以上のアップダウンある散歩から帰るとししまるは大人しくすぐ眠ってしまっていた。骨太で筋肉質な体格だったので本来はそれくらいの散歩が必要だったのだろう。水はガブガブいっぱい飲んだ。

車に乗ると楽しいことがある!とそこは単純に学習していたせいか、動物病院へ行く時も病院へ着くまではご機嫌で入り口では入りたくない!とモップ犬化し、待合で抱きかかえている間中も他の飼い主さんに苦笑される程のガクブルぶりであった。

不思議なことに診察台ではキョトンとしていて、後からあれ看護師さんたちお姉さんたちだからじゃね?と想像。注射も打たれるのがわかってないみたいでほぼ毎回?な顔をしてる間に処置が終わる。

おやつタイプの薬は大好きだったけど、錠剤は苦手、粉薬はヨーグルトに混ぜて与えるも吐かれてしまうことがほとんで薬を飲ませるのは苦労した。食べ物に関しては意外と警戒心があって散歩途中に変な物を口に入れないのはありがたかった。

娘はししまるの後に産まれ、家族へ加わった。退院する前から匂いのついたタオルを嗅がせて慣れさせる準備はして一週間ぶりに私との対面は超ハイテンションで喜んで、とその前に大好きなおじいちゃんおばあちゃんたちが滞在してくれててそこからハイテンションだったと軽く想像できる。

抱っこした娘と対面させた時はほんの少し警戒したような気もしたけど、大好きなみんながいっぱいいたのでどうでも良かったんだと思う。そういう後を引かない、適当なところはししまるの長所だと言えよう。

それ以降、特に問題なく当たり前のような日常が始まった。娘に対して吠えることも、引っかいたり、噛みつくことは結局一度もなかった。他人に対しても吠えても噛みつかないのだけはしっかり守れててよかった。

産まれた時から当たり前に犬と一緒に暮らす娘は小型犬から大型犬まで犬を怖がることなく、また散歩での実践と私たちが教えた犬の知識をもって先に飼い主に話しかける、決して頭を撫でにいかず匂いを嗅がせることをごく当たり前に習得した。

名古屋では犬を飼う世帯が多いものの、実は子供がいるニューファミリー世帯では犬も猫も小鳥も小動物も一切生き物を飼っていない世帯が多く、犬の扱いを知らない子供も多い。

あ!犬だ!ブルドッグだ!と公園でししまる目がけて走ってきては頭から撫でようとする子供たちへ、娘が犬の取扱いをししまるを使ってレクチャーする姿はちょっと笑えるものであり、いつの間にか身体的にも精神的にもししまるよりも大きくなって、守ってあげている姿はちょっと嬉しいものだった。

一回やらかしたのは幼稚園時代ホワイトデーお返しのカップケーキ事件。もらった袋ごと玄関に置いて戻った時のことだ。皆さまのご想像通りであろう…変わり果てた袋を…全て、1枚も残さずにやられたショックは大きかった…カップケーキにチョコレート使ってなかったのが唯一の救いである…また飼い主も学習した。決して食品を床へ置かないことを。

夫には夏休みが存在しないため娘が小学生までは千葉房総の実家で半月ほど過ごした。前後に余裕がある時は名古屋から東京の家、千葉まで車で行き、実家へ車を置いて夫だけ電車で帰宅、半月後に電車で千葉まで迎えにくる、そんな年も何度かあった。

実家は2階建て、田舎の一軒家なので我が家と違って広く、毎回ししまるも階段登り下りして廊下走り回って、食べ物おねだりして楽しそうだった。特に実家の父はししまるに甘く、パンやら果物やらすぐ与えてしまいみんなを困らせていたけど、夜はフローリング部屋のクレートから出てそんなおじいちゃんと一緒に布団で大の字で寝ていたっけ。

ハウスの近くのぬかるみに落ちてしまい、それ以降真菌症状が出てしまったのはこちらの注意不足のせいでかわいそうだった。また小さい頃から水辺が苦手で砂浜を歩く姿は毎回挙動不審なのである…

三河在住の夫の母は実家よりも近いのもあって行き来は頻繁で預けたり、留守を頼むことも多かった。散歩へもたくさん連れてってくれた。

毎回そんな義母が来るたびに気配を察して玄関や部屋まで迎えに行ってキャンキャンクンクン言って甘えてたのが、だんだんと気づかずに寝る時間が増えてきたのは老犬になってきてるんだと実感した瞬間でもあった。

いつもの3人以外の人の気配があるとテンション上がって起きて構ってもらっていたのがずっと寝てるし、耳も遠くなってきてるのも。療法食を指定されだしたのもこの前後だったような気がする。

療法食になってからもそれまでのフードと変わらない食欲旺盛状態は続いたけど、その代わり皮膚トラブルが若干増えてしまう。セルフシャンプーでマイクロバブルバスがコイン料金で使える店を発見し毎月通ったりもした。シャンプーも調べて、家でも炭酸バブルバス錠剤を買って浸からせた。

去年の夏ごろから極端に散歩を嫌がるようになった。

獣医には股関節が弱いので歩くのをそのうち嫌がるようになると言われてたその時がきてしまった。ほんの少しだけでもと庭を歩かせる日々が続き、そして年末にとうとう歩けなくなり食事を摂ることも難しくなった。

食事を与えても食べなくなり、これはもしかしたら年越しできないかもと覚悟した。急いで流動食と介護食、犬用ミルクを用意して与えたらガツガツきた。ああまだお腹すいてる。食欲ある。生きる力がある。

そこから約半年、前日までがっつりいっぱい食べた。

いつも絶対3人がそろわない土曜日の昼。新型コロナの影響で3人がその時全員いたのはある意味幸運だった。3人で自宅でその最後を看取れたのは。3人で抱きしめて声かけて撫でてあげて、きっとそれだけは幸せだったであろうと私たちも思いたい。

2+1=3、3+1=4、4-1=3

まだ気持ちの整理がつかず、ししまるに対する言葉も何を言ってあげればいいかわからない。今はただ悲しんだり、楽しい思い出を繰り返しつつ、大きな海の穏やかであたたかな波のような気持ちへいつかなりますように。

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ししまるの特徴は鼻上のシワ、毛色と2枚目1番上の警戒心ありまくりなところ…この2ページは全てししまるがモデルと思われます。

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