2022年の振り返りショートスプリント

酒も年越しそばも終わってしまったので制限時間1時間そこらでつらつらとやっていきます。よーいスタート。


今年のベストバイのおはなし

なんだかそのへんのガジェット系Youtuberっぽい語りはじめになりましたが。
今年のベストバイは何といっても大型バイクです。KTM 890DUKE-R(2020年式)。

そもそもわたしはこの2年は中型バイクで走りまわっていたわけのですが、勢い余って大型の免許を取り、いつのまにか昔からのあこがれのバイクを契約していました。いやあ、勢いって怖い。

なんで大型免許とってたの

そもそも、去年の年末の時点では大型を買う計画などというものはありませんでした。もともと、中型を4~5年は乗り回してからその次のバイクのことを考えましょう、みたいなスタンスだったはずです。
だったはずなのですが、去年の年末~今年の2月頭にかけて、平日は職場と自宅の往復、休日は路面凍結を懸念してあまり行動せず、のような生活になり、耐えかねて何か目新しいことをはじめようとした結果、なぜか残業代をはたいて自動車学校に再々入学していました。目新しいとは。
教習自体はとんとん拍子でおわったのですが、今年の3月の大きな地震によってわたしの仕事は爆発的に増量&環境悪化し、そのうえ職場異動が重なり残務引継ぎの準備をしなければいけないとかいう史上最大空前絶後超絶怒涛の修羅場を迎えてしまい、趣味も何もあったものではないような生活を2週間ほどこなし、結局免許の書き換えは4月ぐらいにずれこんでしまったのでした。ああ、思い出すだけでも頭を抱えたくなってきました。

いつのまに大型買っちゃったの

そんなこんなで免許の書き換えが終わったわけですが、大型バイクの購入は4月末ぐらいから検討していました。とりあえず見積りだけでも……と思っていたら、実は分割でうまくやりくりすれば案外なんとかなる(なんとかならないかも)ぐらいの予算で買えちゃうことが判明していたからです。
そこに†なぜか†通常の1.8倍ぐらいに膨れ上がった3月分給与の振り込みがあり、(これはやってしまえるのでは.......?)と頭の片隅にひょっこりとヤバいアイデアが去来するようになってしまったのでした。
とはいえ、かなり大きい額の買い物になるため、さすがに躊躇いの気持ちが強く現れたことは言うまでもありません。そもそも自分の今の乗り方的に大型はあまり合わないのでは、大枚を叩くわりに得られる便益はすくないのでは、毎月の収入に資金拘束がかかるせいで他のやりたいことができなくなるのでは、そのたもろもろ。確か、1カ月ぐらいは悩んだ覚えがあります。
でも結局最後は気分と気合と勢いで買ってしまいました。悩み事は全部後回し。いつもの癖ですね。
正直な話、買ってから納車までの間、あ~やっぱ買わない方がよかったかな~失敗したかな~と毎日のようにぐだっていました。なんなら契約したその日は動悸で夜眠れませんでした。マジです。

じゃあ失敗だったの

そんなことはない。

というのも、大型バイク以前と以後とで、行動の選択肢がいくつか変わった(だいたいは増加の方に)ように思われるからです。
たとえば、1泊2日で青森に行くにしても、大型で楽に飛ばしてちょっと遠回りしていろいろ回ってみたり。
あるいは、ちょっと日帰りで山に登りに行きたいなあ、と思い立ったときに、中型では1泊2日で組まないと危ないなあと思っていた岩手山を選択肢に入れてみたり。
もしくは、雑に気が向いたときに福島あたりまで行こうと思ってみたり。
いずれも、中型では厳しいなあと思っていた(なにも知らない頃ならやってみるか~とか思えていたけれども)ような強行走行ですが、すべて今年のうちにやってしまっています。
結局、わたしは大型バイクというモノを買っただけでなく、なにか無茶なことをする機会まで買ってしまっていたというわけですね。
まことにいい投資でした。残債は○○万円。

今年の投資方針のふりかえり

実は、今年は買うもの・金をかけるべきものの優先順位を決めるための投資方針・投資哲学みたいなものを決めていました。大型バイクを買い渋ったのも、この投資方針にそぐわないんじゃないか?というところで自分をうまくなだめすかせなかったのが一因です。
で、せっかくなので公言すると、「人と関わる機会のために」というのが今年の投資方針でした。すごく俗っぽく言えば、人と会ったり人と一緒に酒を飲んだりするのに金を使いましょう、ひとり寂しく晩酌とか一人遊び用のなにかに金を使うのは少し抑えましょう、という感じでしょうか。
現に、今年の日本酒消費量は昨年に比べればだいぶ落ち着いた方です。毎週四合瓶1本ペースで開けていたのが、月平均1本プラスちょっとぐらいに落ち着いています。その代わりに缶ビールの消費量が多少増えたのはないしょ。
この方針にした背景には、何も意識しないと一人で過ごす時間を増やそうとしているように思われたことがあります。さらにその前には、就職以来、たいていはバイクで一人旅、誰かと会うなんてことも(時勢が時勢ということがあるとしても減ってしまい、人と関わるのってどうやるんだっけ?というか、バイクとも仕事とも関係ない人とのかかわりってあるか?ないなあ、という自問自答があったりします。だったら昔の知り合いにでも会いに行けや、というだけの話です。

とりあえず1年弱ぐらいやってみた感想ですが、実際に何を買ったかというよりも、そういう風にお金を使うように心がけることが諸々の効果に結びついていたように見えます。すなわち、二択になったときに方針に合うモノを買うようになった、というよりも、そもそも一択だったところに、もう一択を追加して検討するようになった、ということというと言語化できているでしょうか。
とはいえ、なんだかんだで人に会いに行く計画が頓挫してみたり、あくまで自分のやりたいことに人と会う計画を添えてたりなど、人と関わることをメインとした支出は実はまだうまくいっていないように思われるので、この辺りは来年もしばらく継続になりそうです。

機会を逃さず生かすことを大事にしようというはなし

ここまででぼちぼち50分を費やしてしまったのでいよいよオチを見ながら書いていかないといけないなあと思っているところですが。
今年は激動というか、なかなかにしんどい別れがいくつかありました。大ぐくりにするとふたつ。
ひとつめの軽い方ですが、(数少ない)昔から推していたVTuberが引退しました。あれはたしか5月でしたね。順風満帆に見えていたのもあり、発表されたときにはキョトンとしたことを覚えています。
で、そのVTuberさんなのですが、引退したその日をもって、すでに動画は残っていません。にもかかわらず、彼(彼女)の最後の動画をわたしは見ることができなかったのです。この点、デジタルに記録されることの弊害というか、「どうせ後からでも見直せるでしょ」という感じの、非同期的コンテンツ消費特有の発想がわたしの常識として通用しているのだなあと自省させられてしまった出来事でした。
優れたなにか芸術を鑑賞することにせよ、日常のコミュニケーションにせよ、本来それをわたしが受け取ってなにかを感じる、ということが起きるのはたった一回きりです。さらに言えば、寸分違わず全く同じものを見たとしても、それを見て受け取るわたしはすでに一度目以前と一度目以後とですでに変容して違う見方をするわたしになっていると言えるので、たった一回きりであるという本来のルールを破ったとしても、本当の意味での一回きりはありえないはずなのです。
それにもかかわらず、わたしは「後で見返せる」「今でなくとも見れる」ということに甘え、その日限りのその動画を見ることをせず、そしてできなくなったのでした。あるいは、手を尽くせば当時の動画のクリッピングやらなんやらを視聴できるのかもしれませんが、たとえそれをしたとしても、引退するその日当時に抱えていたわたしのおきもちはもはや形を変えてしまっているので、その日に感じるはずであった感情はもはや感じることができないのです。
それであれば、ということで、わたしはもはやそれを見ないことにしたのです。思い出はしまっとけ。遺品を埋めたところをのうのうと掘り起こすようなことはしない。

もう一つの重たい方ですが、今年の6月と11月に親戚が帰らぬところへ去ってしまいました。お二方とも、わたしの小さいときからよくしてくれた方々です。
毎年お会いして近況の話に盛り上がるような関係でしたが、昨今の情勢もあり、ここ3年はお会いすることがかなわず、両親づてに病気したことなどを聞いていたところ、突然に報せを受けたような別れです。
そのうえ、実は今年は祖母がしばらく入退院を繰り返すような状態になっていました。こちらも、わたしが直接サポートできるような状況ではなく、両親親類に任せっぱなしとなっていました(あるいは、それが普通といえばそこまでですが)。
情勢や仕事の忙しさや足の運びにくさに会えない理由を紐づけることは簡単です。実際その通りなのですから。
しかし、それらの会えなかった理由は、おそらく別れの後の自分に生じるであろう後悔を正当化しないでしょう。生前に会っておかなければ、何かがあってからでは最早会うことはできないのです。

だからこそ、わずかではあれ確かにあるその機会を逃すべきではないし、逃すべきではなかったのでしょう。もう二度と逃さないぞ!と息巻くのはとても体力のいることです。なので、逃さない方がいいぞと思ったものは逃さず生かす、難しいと思ったら無理はしない、ぐらいのスタンスで、できるだけ会いたい人には会う、やってみたいことはやってみる、という感じでのらりくらりとやっていきたいと思います。

語り口がいつも通り子供っぽくスラングライクなそれに戻ってきたところで、今年は筆を置きたいと思います。なんだかんだ1時間半ノンストップ。スプリントというよりジョギング。いつの間に文章が書けなくなったのか。使わない能力は衰えるとはまさにこのこと。

以上。お疲れ様でした。

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