「ロード・オブ・ジムナスト ~元女子校からはじまる無名の覇道~」第3話

 なんともいえない表情で更衣室を後にした高沢さんと入れ替わるように、僕は再度男子更衣室に入って練習着に着替え(そこでもさっきの光景が襲ってきて時間がかかったけど)、体操場に足を踏み入れた。
「おお……」
 広い。それが体操場を見渡しての感想だった。男子用の器具と女子用の器具が勢揃いの体操場は、もともと女子だけで使っていたとは思えないほどに余裕を感じる。男子用の器具がなかった頃はもっと広く使えていたんだろうか。
「こんにちは! よろしくお願いします!」
 一礼して体操場に入る。そこには、桐谷さんや高沢さんをはじめ何人かの女子部員がウォーミングアップしていた。
「よろしくね、駿河くん」
 高沢さんが声をかけてくれる。先ほどのやりとりなんてなかったかのように真顔で声をかけてくれたのは、僕にとってもありがたいことで。
「うん、よろしく。ひとまず、松川先生からは無理のない範囲で器具に慣らす程度と言われてるからそうさせてもらおうと思うけど、ここで何か気を付けることはある?」
「そうね……女子のゆかの練習のために音楽を流すことがあるけど、それは大丈夫?」
「もちろん。そこは気にしないよ。こっちが使いたくなったら高沢さんに言えばいい?」
「ええ、それでお願い」
「了解。じゃあ、この辺を借りるね」
「どうぞ」
 僕は体操場の端を借りて軽くアップする。怪我をしないよう、入念に。
 女子部員たちはなにやらおしゃべりしながらアップをしていて楽しそうだ。僕にも男子部員が増えたら体操談義や雑談に花を咲かせることができるんだろうか。

「さて……」
 アップを終えて、僕はさっそく器具にかかることにした。
 新品の器具はある程度使い込まないと少し硬く感じるものもある。激しい動きや難しい着地を伴う練習はできなくても、器具を慣らすためにも使い込むに越したことはない。
「久しぶりだな」
 僕が最初に手を伸ばしたのは、あん馬だった。2つの取っ手(ポメル)が付いた細長い台の上を、2本の腕で全身を操って旋回し続ける必要がある種目で、これを苦手としている人は多い。
(落下に気を付けて、基本の旋回だけ……)
 しばらく器具にかかっておらず、ウェイトトレーニングで筋力は増している。おそらく旋回の感覚も以前とは異なるはずだ。だからこそ、早く体を体操になじませないといけない。
「……ふっ!」
 僕はあん馬に飛び乗ると、反動を使って旋回をはじめる……前に、足がポメルに当たって体勢を崩してしまった。
「っと……反動が弱かったか」
 久しぶりに器具にかかる緊張からか、思ったより反動がつかずに最初の旋回すらできなかった。これは、何度も繰り返して体に覚え込ませる必要があるだろう。
「もう一回……!」
 僕は胸をぎゅっと握りしめて、再びあん馬に手を伸ばした。

 ◆

 桐谷華にとって、体操とは自分を磨く手段であり、それさえできれば難度の上昇は重視してこなかった。体の柔軟性やバランス感覚、適度なトレーニングができるから体操を選んだともいえる。
 唯一の男子生徒が体操部に入ると聞いたときも、身近な友人がひとり増えるくらいにしか考えていなかった。
「あっ!」
 トレーニング中、眼で追っていた正樹があん馬の旋回に失敗してあん馬を降りた。思わず声が漏れたものの、それに対してなにか感じることはなかった。
 しかし。
「えっ、笑ってる……?」
 旋回は失敗だった。だというのに、彼はむしろそれを喜ぶかのように笑みを浮かべ、胸元を握りしめている。
 その後も何度となく失敗を繰り返しながら、それでも練習を続ける正樹に、いつの間にか見入っていた。彼の笑顔は失敗するほどに明るさを増し、それに比例するかのように旋回も長続きするようになっていく。そして、おそらくは実際のあん馬の演技構成に挑戦した正樹は、華の目には完璧とも思えるほどに正確なものになっていた。
「しゃあっ!」
「すごい……!」
 満面の笑みで着地した正樹に、思わず拍手を送る。正樹はガッツポーズでそれに応えた。
 華には、正樹の演技は会心のものに思えた。しかし、彼が浮かべていた満面の笑みはすぐに崩れ、うつむいて手のひらを見つめる。そして、にらみつけるように前を向くと手のひらを強く握りしめた。
 その表情は、これではまだ足りない。もっともっと強くなれると言っているようで。
(どうして、そこまでできるの……?)
 強さを知らない華の胸の内に、小さな炎が灯った。


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