「ロード・オブ・ジムナスト ~元女子校からはじまる無名の覇道~」第2話

 全校朝会を終え、僕はクラス担任に連れられて教室へと向かう。
「あなたの所属するクラスはスポーツ特待クラスです。授業時間が短く、そのぶん部活動に時間をかけることができます」
「はい、聞いています」
 桃義女学園は文武両道と聞いていたが、それでもスポーツ特進クラスは特別待遇らしい。
「とはいえ、定期テストはありますし難易度が低いわけではありませんので、勉学を怠らないように」
「わかりました」
「それから……スポーツ特待クラスの中では、共学の賛成派と反対派が存在しています。賛成派は男子の参入による部活動設備の拡張に期待して、反対派は主に男子からの過剰な接触……いわゆるセクシャルハラスメントを恐れてのものです」
 それは……わかるかもしれない。女子体操部のレオタードなどは体の線をなぞるようなつくりになっているため、男子の視線を集めやすい。僕がとくに気をつけなければならないと思っていることでもあった。
「反対派をいたずらに刺激しないよう、言葉や行動にはじゅうぶん注意を払ってください。いいですね?」
「はい、気を付けます」
 僕の返事に、担任は「よろしい」と言ってうなずいた。

「それでは、編入生の駿河正樹くんが今日からこのクラスに入ります。駿河くん、改めて自己紹介をどうぞ」
 担任に促され、僕は再度自己紹介をする。といっても、全校朝会で語った内容と代わり映えのないものだったが。
「体操部については、女子体操部の桐谷さんと高沢さんに聞くといいわ。ふたりとも、よろしくね」
「はい!」
「わかりました」
 担任の呼びかけに、快活そうな声と涼やかな声が答える。あのふたりが体操部員なんだな。
 ……あれ、ふたりだけ?
「それじゃ、積もる話は休み時間にしてもらうとして、さっそく一限の授業を始めましょうか」
 抱えていた教科書を開き始めた担任に、不満の声が漏れる。おそらく賛成派と思われる何人かの女子が興味津々といった様子でこちらを見ていたので、すぐにでも質問攻めにしたかったのかもしれない。
 僕はひと息つく時間を与えられ、ほっとしながら指定された席についた。

 一限が終わった休み時間。担任が教室を出ていくのを待たずに駆け寄ってくる人物がいた。
「駿河くん。今時間大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
 真っ先に声をかけてきたのは、女子体操部員らしい桐谷さんか高沢さんのどちらかだった。
「私は桐谷華。女子体操部員だよ。これからよろしくね!」
「うん、これからよろしく」
 差し出された手を軽く握ると、思いっきり握り返されてしまった。肩より少し長い栗色の髪を左右でゆるく束ねていて、笑顔がまぶしい。
「駿河くんは放課後に手続きがあるんだよね? 高沢さんから、放課後に体操場を案内するように頼まれたの。手続きが終わったら一度教室に戻ってきてもらっていいかな?」
「わかった、大丈夫だよ」
「ありがとう! それでね……」
 桐谷さんはそれから矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。これまでの体操のこと、前の学校のこと、住んでいる場所や趣味まで……。気づけば周囲に人が集まっていて、僕は彼女たちに伝わるように応えていった。
 いつの間にか始業時間を過ぎていて、次の教科の担当教師に怒られるまで。

 休み時間のたびに質問攻めを食らいながら、なんとか放課後を迎える。僕は職員室に向かい、ある人物の下を尋ねた。
「松川先生、来ました」
「おっ、待ってたよ」
 松川先生は男子体操部の顧問であり、今後は松川先生の指導の下で部活動をしていくことになる。といっても、女子体操部の顧問が主であって男子の方は別途指導者を雇用する予定らしい。
「これが、男子用の器具庫の鍵ね。なくさないように気を付けて」
「はい、気を付けます」
「それと……普通、練習するときは補助が必要でしょう?」
「……まあ、そうですね」
 体操の練習で難しい技をするときは、失敗したときにケガをしないよう補助してくれる人物が必要になる。だけど、部員が僕ひとりでは補助なんて望めない。
「一応、手を考えてはみるけど……今日は無理のない範囲で器具に体を慣らしてちょうだい」
「はい、わかりました」
 ここで反発しても何にもならない。僕は器具庫の鍵を握りしめて、職員室を後にした。

 ◆

「ごめん、桐谷さん。待った?」
 僕が教室に戻ると、そこにはひとり机で読書している桐谷さんの姿があった。さすがは体操選手というべきか、読書の姿勢ひとつとっても体線が綺麗で隙がない。
「ううん、大丈夫。それじゃ、行こうか」
 桐谷さんに先導されて校舎を出て、体操場があるらしいエリアへと向かう。さすがは部活動に力を入れるという元女子校、敷地は広大でそこかしこに部活専用と思われる建物が見受けられる。
「ここだよ」
 広大な敷地の端っこに、それはあった。
 端っこといっても、だから古いというわけではない。むしろ、遅くに建てられたからこそ敷地の余っていた端っこを使わざるを得なかったんだと思う。
「男子更衣室はその部屋ね。女子はこっちだから注意して」
「うん、わかった。ありがとう」
「それじゃ、また体操場で!」
 桐谷さんと別れて、男子更衣室の扉を開ける。
 ……僕は警戒しなければいけなかった。ここがほとんど女子校で、どこに女子が潜んでいるかわからないと。なにをするにも最大限の警戒をしなければならなかったのだと。
 更衣室を開けた僕の視界に飛び込んできたのは。
「えっ……?」
 高沢さんが制服を脱いで、練習着に足を通そうとしていた、その瞬間の姿だった。
「うわっ!?」
 慌てて更衣室から飛びのいて、扉を閉める。
「なななっ、なんで駿河くんがここに!?」
「いやっ、桐谷さんからここが男子更衣室だって聞いたから……ごめん!」
「えっ!? あっ……!」
 言われて思い至ったのか、高沢さんが声を上げる。
「しまった、確かにそうだったわ……大声を出してしまってごめんなさい」
「僕の方こそ、ちゃんと誰もいないか確認してから開けるべきだった。ごめん……」
 気まずい沈黙が流れる。だけど、そのままにもしておけなかった。
「とっ、とにかく、僕は少し離れたところにいるから、着替えてから出てもらっていいかな? 高沢さんが出たら僕も着替えるから」
「え、ええ……ちょっと待ってちょうだい」
 僕はその場から十メートルは後ずさり、その場でストレッチを始める。
(忘れろ……忘れろ……)
 まかり間違っても、あの光景を目に焼き付けたまま部活を始めるわけにはいかない。
 僕はピンク色のもやを振り払うかのように、その場で何度も首を振った。

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