『行動展示』から世界の構造を考えてみる(行動展示に関するいくつかの考察 Advent Calendar 2017)

 この文章は行動展示に関するいくつかの考察 Advent Calendar 2017の参加記事です。


 こんにちは。shiryu(@ribbit_komei)です。よくいる謎解き好きな大学生をしています。
 『行動展示』の考察をアドベントカレンダーでやると目にして、気づいたら登録をしていました。以下に考察を書きますが、一つだけ注意点があります。
 この文章は、最後にある曲を紹介して終わります。あまり深い意味はありません、ただお勧めしたいだけです。もし途中で「こんなクソ文章なんて読んでらんねえ」と思われた時、最後に曲だけ聴いてこのページを閉じて頂いても構いません。


 さて、kikiさんの記事をお読みになりましたでしょうか。まだの方、あるいは記憶があやふやになっている方はこちらを読んでください。
 僕は初読の際、この『行動展示』を、無意識のうちに僕らの世界に即して、ぼんやりと考えていました。しかし、本当にそれで良いのでしょうか?『行動展示』が展開されている世界は僕らにとって、疑いなく受け入れられるものなのでしょうか?そもそも僕ら人間の住まう世界・社会はどのように展開されているのでしょうか?
 そこで、『行動展示』をきっかけとして、僕らの世界がどのような構造をしているのか少しばかり考えてみようか、というのが僕の考察です。文章自体かなり長い、またその中にかなり拙い部分があるかと思いますが、ご了承ください(マジで長くなってしまいました、本当にごめんなさい)。


 まずは『行動展示』から幾つかの要素を仮定しました。他にもあるかもしれませんが、下のようにまとめました。
  ①少なくとも4つの空間が存在する(それぞれ空間1、空間2、などと名付けましょう)
  ②それぞれの空間には「人間」が1人以上いる(カギカッコをつけたのは、生物学的に人間でなくてもよいからです)
  ③空間2の人間は空間1の人間を監視し、空間3の人間は空間2の人間を監視する

 この3つの仮定から世界の構造をちょっと考えてみます。

 僕が最初に考えたものは、複数の入れ子構造で成り立っている世界です。「入れ子世界」とでも名付けておきましょう。「入れ子世界」の性質を簡単に言うと、①をどんどん拡張したものです。①と同様に空間4は空間3を監視し、空間5は空間4を監視し、…………と続いていきます。

 この時、一つの疑問が浮上します。それは、この世界に「果て」が存在するのか。どんどんと入れ子構造を考えた時、その果て、つまり一番外側の空間と呼べるものは存在するのでしょうか?
 もし存在するのであれば、当然そこには一番外側の空間が、そして②より、そこには内側の世界や人間を監視する人間がいるはずです。一番外側なので、「内側を監視する」とは「自分を除いた世界の全てを監視する」ということを意味します。
 この一番外側に住まう人間、それは一神教における「神」と似ています。キリスト教におけるイエス=キリスト、イスラム教におけるアッラーのことですね。一神教の話をするとまた長くなるのでやめておきます。
 逆に、「果て」が存在しないとすると、世界は無限の入れ子構造によって成り立っていることになります。そしてそれぞれの空間にいる人間も無限となってしまいます。これはもはや、僕らの思考が全く追いつきません。僕らの世界では人間は有限ですし、先ほどの「神」を持ち出しても結局無限の問題は解消されません。もしかしたら解決法があるのかもしれないですが、ここでは解決不能としておきます。

 以上より、「入れ子世界」には果てが存在し、そこには僕ら全体を監視する「神」が住んでいる、という結論が得られました。しかし、この結論には問題点があります。
 特に、人間の相互的な監視についてです。僕らの世界では人々が互いに監視するという状況がしばしば起こります。例えば、ドッキリ企画でAさんがターゲットであるBさんの様子を監視していると思ったら、実は逆ドッキリでBさんもAさんの様子を監視していた、という感じでしょうか。……分かりづらかったら申し訳ありません。
 ところが「入れ子世界」では、同じ空間に属する人間どうしについて言及されていません。また、内側の人間が外側の人間を監視しない、という保証がありません。そのための条件を考えるのも非常に困難でしょう。

 では、「入れ子世界」の何が問題なのでしょうか。「入れ子世界」を考える際に、①〜③の他に仮定していた要素はなかったでしょうか。
 その一つとして、内側の世界「全て」を監視できるという思い込みが挙げられます。「入れ子世界」では、空間3の人間は空間2だけでなく、空間1の人間も監視することができます。確かにこの部分だけなら『行動展示』とも一致しますが、それを全体にも当てはめてしまったのが問題だったのかもしれません。

 それでは、③の解釈を少し変えてみましょう。「空間3の人間は、空間2と空間1の人間を監視している」のではなく、「空間3の人間は、空間2の人間の『空間1の人間に対する行動』を監視している」とするのです。具体的に言うと、空間2の人間がボタンを使って、ホワイトボードを運ぶ空間1の人間に対して干渉をする。その空間2の人間の行動自体を空間3の人間が監視している、ということです。
 この解釈なら、先ほど問題となっていた相互的監視についても「入れ子世界」よりは妥当な説明ができるでしょう。

 では、僕らの世界は一体どのような構造なのでしょうか?ネットワークのような網の目をした構造なのでしょうか、あるいはもっと他の構造をしているのでしょうか?
 ……ここから後は皆さんの思考にお任せしたいと思います。正直僕もわからないからです。でも、こういう「わからない」って、なんだか楽しくないですか?たまには明快な答えがない「謎解き」もいいのではないでしょうか(これが謎解きと呼べるのか、は置いといて)。


 最後になりますが、『行動展示』は「見られる」を軸に置いた作品です。僕らの社会では「見られる」ことがアイデンティティ・意思決定・行動に影響を与えます。昨日のワイドショー番組で、路上に放置されたペットのフンをチョークで囲み、見つけた日時を書く、という取り組みを自治体がしたところ、フンの数が激減したという内容を目にしました。人間はその見られ方によって社会における役割を見出す存在です。
 そして、見られ方というのは変化をしていきます。時にはポジティヴに、時には残酷なほどネガティヴに。
 ……この「赤い鬼」も、その一人ではないでしょうか。

 アドベントカレンダーの「アドベント(advent)」はキリスト降臨、つまりクリスマスまでの約4週間を意味する言葉だそうです。
 僕が狂おしいほどに大好きな、クリスマスに相応しい曲でこの記事を締めさせて頂きます。最後までありがとうございました。


千年紀末に降る雪は / キリンジ

https://www.youtube.com/watch?v=txmLejZC68g

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