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推しの影を捕まえたくて新潟に行った話③

寄居浜を後にして、マリンピア前から再びバスに乗る。目指すは「安吾風の館」だ。ここまで来たら昼食が何時に遅れようが同じことである。
バスの中で坂口安吾デジタルミュージアムの案内に目を通す。今の企画展示は「安吾の捕物帖」展。若干、不安な気持ちがあった。私は所謂ミステリーや探偵小説の類に興味がない。苦手、とまでは言わないが、おもしろさにうまく乗っかれないことが多い。安吾を好きになってからも探偵小説には食指が動かなかったし、唯一買った『安吾捕物帖』も序盤で挫折したままだ。そんな私がお邪魔して、ちゃんと味わうことができるのだろうか。
結論から言うと、残念ながら企画展示はあまり印象に残らなかった。けれど、常設展示や館の雰囲気はとても佳かったので、今回はそちらを中心に書こうと思う。

風の館は、住宅街にひっそりと溶け込んでいた。元は市長公舎だったという、年季の入った、昔ながらのこぢんまりした建物だ。ちなみに観覧料はかかりません。無料。なんでよ。推しに課金させてよ。活動支援したいよ。
玄関から左手すぐの突き当たり、安吾の身長が壁にマーキングされていた。「171.2cm」。エッ!?!?安吾って171cm強しかないの!?!?この旅行で一番驚いたこと、これです。確かに私よりは高いが、「巨きいなあ」と言う感想を抱くほどではない。ちょっと背伸びしたら目線が合う。当時を生きた人々は全体的に小柄だったのかもしれない。
広い和室に、大きな縦長のテーブルがある。テーブルを囲むようにずらりと配置された一人掛けのソファ。田舎の旧家だな、と思った。テーブルの上には安吾に関連する催し物の案内、チラシ、刊行物が数多く並んでいた。その中に紛れるようにひっそりと、『白痴』の生原稿、のコピーがあった。手を伸ばし、わくわくと胸を躍らせながら紙束を捲る。褪せた原稿用紙を埋めているのは、紛れもない安吾の字だった。かわいい、と思った。恐らく「かわいい字の文豪」というと、犀くん(室生犀星)あたりが真っ先に上がる気がするが、私は安吾の字を一番かわいいと思っている。鋭さと円さ、丁寧度合いと崩れ度合いのバランスがきれいで、読みやすくて、愛らしい。特に署名の四文字は、すごくすごくかわいい。いま自分は、好きな人の書いた文字を抱き締めている。それが心から嬉しかった。午後いっぱいここにいて、一ページ目から最後まで安吾の筆致をじっくりと味わう、もうそれでいいんじゃないかという気すらした。

座り心地のいいソファ。中央手前に写っている紙束が原稿のコピーです。

廊下の壁には、歴代「安吾賞」受賞者の受賞コメントがパネルになって掛けられていた。私のハートに特に突き刺さったのは、第一回受賞者・野田秀樹さんのコメント。全文佳すぎるのでちょっと各位じっくり読んでください。特に7行目から11行目、わかる!!!!!!になった。流石第一回受賞者。最高。同担大歓迎です。(※館内は撮影許可をいただいています)

私も安吾の魂とたまさか会いたい。
安吾の全作品リストもあった。これ、拡大印刷して部屋に貼れないかな。読んだ順にレ点付けていきたい。

そうこうしているうちに結構な時間が経過したので、後ろ髪引かれながらも館を後にする。手入れの行き届いているのがわかる、静謐で、居心地の良い空間だった。

***

午後二時過ぎ、やっとの思いでぴあBandaiに到着。そしてそこから更に、「弁慶」のテーブルに座るまで一時間半待った。なぜなら超絶人気店だから。ふらふらで辛かったので外のベンチでルマンドを食べていた(他の屋台で買い食いをしたい衝動に駆られたが、寿司が入らなくなることは目に見えていた)。普段の自分なら間違いなく待たないだろう。けれど、ここは新潟だ。いつものように「まあいいか、また今度にすれば」はできない。もう一生来れないかもしれないのだ。ここぞとばかりに好きなネタばかり頼んだ。疲労もぶっ飛ぶ抜群の美味しさだった。

艶がすごい。

しっかりと腹を満たしてお土産も買ったあと、いざホテルに移動しようとタクシーを探す。が、タクシー乗り場と思しき場所には一台も車の影がない。なんなら並んでいる人もいない。こんなに「観光地」然とした場所なのに?三分ほど周囲をうろうろしたが、埒が開かないので不安を抱えたまま案内所に向かう。タクシーを呼んで欲しいのですが、と伝えると、案内所のお兄さんはちょっと躊躇いながらも電話をかけてくれた。が、なんだか雲行きが怪しい。はい。はい。ああ、やっぱりそうですよね。わかりました、すみません。電話を切ったお兄さんは、申し訳なさそうに頭を掻く。
「実は今日、サッカーの試合がありまして」
「はい」
「新潟の、地元のJ2のチームの、J1昇格がかかった試合で、タクシーが全部そっちに出払っていて……おそらくどのタクシー会社さんも捕まらないと思います……」
そんなことってあるんだ。よりにもよって運命の決戦が行われる日に初上陸しちゃった…。めちゃくちゃウケてしまった。
結局、ホテルには徒歩とバスで何とか辿り着いた。チェックインの時間は一時間遅らせた。

***

宿泊先のホテル・イタリア軒は瀟洒で可愛らしい佇まいのホテルだった。駅前エリアではなく、少し離れた古町エリアにある、いかにも古き良き上流のホテル、という感じだ。注意事項として、部屋の鍵の開け閉めがめちゃくちゃ難しい。回し方にコツが必要で、五分くらい格闘した挙句、半泣きでホテルスタッフの方に開けてもらう羽目になった。改装に伴い全室カードキーに変更予定とのことだが、近日中に宿泊予定のある方はよくよくスタッフさんに確認することをおすすめする。

フロントのステンドグラスランプがかわいい。

朝食のみプランにしたので、晩御飯を確保しないといけない。気になっていたラーメン屋に向かったが、定休日ではないはずなのに閉まっていた。これもサッカー事情なんだろうか。仕方なしにそのまま夜の街へ繰り出す。古町自体が(元)花街というだけあって雰囲気がすごい。「ちょっと大規模なアーケード街」なだけかと思いきや、いきなり爆裂オシャンティ&お高級な店構えの飲食店が登場する。敷居が高い。東京民に伝わるように喩えると、武蔵小山と神楽坂が融合したような感じだ。素人が一人でウロチョロしていいエリアではないのかもしれない。
「すみません、本日はご予約のお客様で一杯でして」を三回繰り返したところで心が折れ、結局、ごく普通の蕎麦屋で野菜天せいろをいただいた(新潟名物なはずのへぎそばはメニューになかった)。こういうところが私という人間のつまらなさなんだよな、と凹んだが、蕎麦はコシがあっておいしかった。
ちなみにホテルまでの帰り道、和菓子屋の自動ドアに「祝!アルビレックスJ1昇格」と書かれた貼り紙が貼られていたのを見かけた。勝ったんだ……良かったね……。私はタクシーに乗れなかったけど……。

明日の予定は全くの白紙。まあ、朝起きてから決めればいいか、くらいの気持ちで眠りにつく。幸福な疲労感でくたくただ。とんでもなく充実した、贅沢すぎる一日だった。

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