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推しの影を捕まえたくて新潟に行った話①

私は「じっとしていることが苦にならないタイプの人間」である。もっと言うと、「ごく狭い範囲で同じことをし続けるのを、それほど苦痛と思わない人間」である。
インドア派であることは大前提として、とにかく決まりきった範疇、型から逸脱せずにそこそこの時間(あるいは期間)を過ごせてしまう。読書、料理、インターネット、ぼんやりする「無」の時間、たまに手芸、その繰り返しで一日が終わり、一ヶ月が終わり、一年が終わる。学生時代もあれだけの時間的猶予がありながらほとんど旅行に行かなかった(流石にゼロ回ではないが)。もっともこれは、東京生まれ東京育ちの関東暮らしで、生まれてこの方ずっと娯楽に事欠かない環境に浸かっているからかもしれない。外に出ていく必要性がないから。あるいは、母が妊娠中に流産の恐れありということで一、二ヶ月の間絶対安静を命じられ、その間に私の骨身に「静」という起源が刷り込まれてしまったのかもしれない。いずれにせよ、私がそう簡単には見知らぬ土地・場所に足を伸ばさず、休暇中でも精々片道30分圏内くらいまでの通い慣れた場所にしか行かない暮らしをずっと送っていることには変わりない。
地方在住の友人は、コロナ前は事あるごとに新幹線で東京に来ていた。色とりどりの観劇、イベント、コンサート。その体力とバイタリティに私は感服するばかりだった。交通費だってタダじゃないし、大体は弾丸だから体力的にもキツい。チケットを取って、新幹線を調べて予約して、ホテルを押さえて、朝五時には家を出る。その一連の手続きの手間を考えただけでちょっともう億劫になる。真似できない。その手間を差し置いても、彼女は動くのだ。そんなにも自分を動かす「何か」があることが羨ましかった。要するに私は怠惰なのだ。それからほんの少し、「私はそんな楽しいことをしていい身分ではない」「私には身に余る贅沢すぎる」とも思っていた。誰に責められ咎められたこともないのに、私は自分で自分を雁字搦めに縛るのが得意なのだった。

そんな私が、自らの意思で、縁もゆかりもない新潟へ一泊二日の一人旅をした。三十一年生きてきて初めての、ささやかな、けれど私にとってはとんでもない冒険だった。会ったことも話したこともない男を、心の底から愛してしまったからだった。

男の名前は、坂口安吾という。
私が生まれるより遥か昔に亡くなった、偉大なる落伍者だ。

***

「文豪とアルケミスト」というゲームを、かれこれ三年半プレイしている。
社畜真っ盛りで私生活は塵以下、オタクらしいことが何もできておらず、半ば燃え尽きかかっていた私に友人が勧めてくれたのが切っ掛けだった。結論から言うと、どハマりした。なんなら食い気味だったし、助走をつけて沼に飛び込んだ節もある。
学生時代、恥ずかしながら所謂「文豪」達の作品にはほとんど触れてこなかった。教科書で読んだ『羅生門』にも『富嶽百景』にも然程関心を抱かなかったし、なんなら芥川や太宰を読むより江國香織を読んだ方が何十倍も面白いと思っていた。そんな自分が文豪のゲームにハマった理由は恐らくシンプルで、所謂「関係性の沼」であること、そして美男が勢揃いだったことだ。

安吾が明確に「推し」になった瞬間を私は覚えていない。プレイし始めてまだ日が浅い頃、自由が丘のブックファーストで新潮文庫の『不良少年とキリスト』が面陳されていたのを手に取ったのが始まりだった。初めはよく分からなかった。一段落読んでも、自分はこの人の言いたいことの三割くらいしか理解できていないのだろうという気がした。けれど何か、心に引っかかるものがあって、読むのを断念はしなかった。一冊読み終わってもやっぱりよく分からなかった。けれど面白いと思った。この人が何を言いたいのか、分かるようになりたかった。その次に買ったのは『白痴』だった。そして『堕落論』を買った。小説は面白かったが、評論はやっぱりよく分からなかった。少しずつ、二度、三度と繰り返して読んだ。そのうちに、講談社文芸文庫の『風と光と二十の私と』を買った。忽ちのうちにのめり込んだ。『古都』を読んでげらげら笑った。『石の思い』を読んで、そのいじらしさに安吾少年を抱きしめたくなった。『二十七歳』『三十歳』を読んであまりの瑞々しさ、せつなさに絶句した。この人が好きだ、と思った。古本を漁り始めた。気がつけば本棚が安吾だらけになっていた。なぜ私はこの人の生きている時代に生まれなかったのだろうと考えるようになった。安吾に会いたい、と思った。文アルのキャラクター・坂口安吾を通り越し、私はいつの間にか、御本家・坂口安吾を愛していたのだった。

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