20240601_「ギター」「社会性フィルター」

■ギター

全然楽しくない。

なんか雑に激しくやってればいい感じになると思われがちだけど、ギターってルールが多すぎるんだよな。暗記することも多いし。ルールは好きじゃない。暗記も嫌いだから、ミクソリディアンとかまったく憶えていない。フレットを1個飛ばしで押さえたらいい感じの音が出て、たまに1個飛ばしじゃないところを押さえるとそれもあり、くらいしか理解しないまま弾いている。YouTubeの動画のTab譜ってコード書いてないからコードも知らないし、手の形だけなんとなく暗記している。


こんな、木でできてて重くて、1本100円くらいする鉄の糸をちいこい穴に通して、上の方のねじみたいなとこ回して音整えなきゃまともに音も出なくて、左の指の位置をちょっと間違えただけで変な音が出る欠陥楽器の何がおもろいんだ。アホくさくて仕方がない。


最初はそういうものだと割り切っていたけど、1・2弦が切れたときのストレスがいやましてきた。2日で切れたときは本当にイライラした。1弦だけ切れると、弦を替えるのが面倒くさくてしばらくは「元から5弦のそういう楽器」としてそのまま弾いている。



一応毎日弾いてはいるけれども、下手だなと感じるにつけ、イライラするようになった。

漫画『チェンソーマン』に、最初めちゃくちゃ金のなかった主人公のデンジくんが最後らへんは毎日ステーキとか食いたいと思うようになるくだりがあって、その気持ちがすげえわかると思う。

はじめのうちは音が出るだけで楽しかったのに、継続してやってるとそれだけでは飽き足らず、欲望がストレートに加速していって、ちゃんと上手くなりたいと感じるようになる。それで、あるべき姿と現状のギャップが許容範囲を越えるとイライラしてくる。

僕は自由になるためにロックをやっているんですけど、なんで自由になるためにこんな規範に基づいておのれを律して、強迫観念にさいなまれなくてはならないのか。全然わからない。なんで労役という義務から逃れて自由になりたいのに、別の義務を背負わなければならないのか。


趣味って、こういう些細なストレスの蓄積で嫌いになってフェードアウトしていくんだろうな思う。嫌だね。




■社会性フィルター

あるに越したことはない。根が委員長タイプの人間だから、アウトローに憧れるんですけど、マジでふつうに社会性フィルターはないよりはあった方が全然いい。最近わかってきた。当たり前すぎる。


社会性フィルターがないと、まともな職に就くことはできない。

はじめのうちはいい。案外バイトとかでやっていけるし、自分は自由だと感じることができる。社会性がなくてもやっていけるなら、規範意識の強い真面目な人間は損をしているように思う。でも実態は違う。

インターネットにいると錯覚するけれども、社会性のなさを売りに自分の人生を切り売りするタイプの人々は、最終的には目を覚まして正規ルートに軌道修正して就職するか、もしくは貯金が底をついて普通に破滅したりしている。

破滅。具体的には、最終的には駅前とかにいる歯のないジジイになって生きさらばえるか、還暦を迎えることなく早死にする。


社会性フィルターのない人間が滅(ほろ)んでいく様には、ある種のカタルシスがある。

おそらくもう時効だから言ってしまうと、他人が因果応報で不幸になる様は、端から見てるとシンプルにエンタメ性がある。これは別に特別いじわるな人間だからそう感じるとかでは全くなく。

人生エンジョイしまくり、イキリ散らかしまくりの大学生とかが卒業前後で社会に屈する様を目にするにつけ、本当に心の底からスカッとする。そういう他人の不幸は、週5日労働している多くの社会人にとって、人生にちょっとした彩りを与えてくれるスパイスのような役割を果たしている。みんな、不幸になってくれて本当にありがとう、と社会人たちは感謝している。俺達って間違っていなかったんだという安心感を得られるからだ。トンパの気持ちがよく分かる。


芸術家タイプの人間が滅ぶ様は、いっとう興味深い。

彼らにはある種の特権意識があり、芸術や哲学をレゾンデートルのように考えている。けれども、社会というのはまあまあ残酷なので、そういう自意識みたいなものとは無関係に、滅ぶときは普通に滅ぶ。あるいは、こんな繊細な自意識で仕事は無理だろうとか考えている人でも、1年後にはちゃんとデスクワークをしていたりする。


ただ、社会性フィルターというものが存在していることがわかっていて、それを身に着けようとしても全く理解ができないという人もいて、そういう人はかわいそうだと思う。


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