特定の個人を助けることに意味があるのか?
先日、play miningのLucky farmerというゲームのNFTで支援NFTというものが発売され、play miningユーザーの間で物議を醸しました。
Lucky Farmerというゲームはplay miningというブロックチェーンゲームのプラットフォームにあるコインプッシャーゲームで農地NFTを購入してプレイするとDEPという暗号資産がもらえるゲームです。
支援NFTというのは、そのゲームにおいて、それをセットしてプレイするとゲーム報酬の一部が支援NFTのモデルとなった人に渡り支援ができるよっていうものです。
今回売り出されたのはフィリピンのバナナ農園を始めた人の支援NFTでした。
このNFTの発売を受けて、play miningのユーザーの反応はネガティブな声が多かったように思います。
自分自身も、「困っている人は死ぬほどいるし、もっと他にやり方あるだろ」というような内容のtweetをしました。
ユーザーの否定的な発信を見たからなのか、play miningを運営するDEAのCEO自らがスペースを開催し、AMAみたいになっていました。(内容についてはここでは誤謬が生じてしまうといけないのであえて割愛します)
困っている人が世界にはたくさんいる中で、特定の誰かを助けることに意味があるのか?という話ですが、ここで一つの寓話を紹介したいと思います。
最近愛読している戸田智弘さんという方の「座右の寓話」という本の中に紹介されている寓話です。
以下は引用となります
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百万分の一の命
私の友人がメキシコを訪れた時の話です。
夕暮れ時、人影の途絶えた海岸を歩いていると、
遠くのほうに誰かが立っているのに気づいた。
近づいてみると、メキシコ人の男が何かを拾っては海に投げ入れていた。
よく見ると、それはヒトデだった。
男は、引き潮で波打ち際に取り残されてしまったヒトデを、
一つ一つ拾い上げては海に投げ入れていたのだ。
どうしてそんなことをしているのだろうと不思議に思った友人は、男に話しかけた。
「やあ、こんばんは。さっきから気になっているんだけど、
何をしているか聞いてもいいかね。」
「ヒトデを海に帰してやっているのさ。見ろよ。
たくさんのヒトデが波で打ち上げられて、
砂浜に取り残されてしまっているだろう。
おれがこうやって海に投げてやらなかったら、
このままひからびて死んじまうよ。」
「そりゃあ、もっともな話だが、この海岸だけでも、
何千というヒトデが打ち上げられているじゃないか。
それを全部拾って海に帰してやるなんて、
どう考えても無理な話じゃないか。
それに世界中には、こんな海岸が何百もあるんだよ。
君の気持ちはわかるけれど、ほんの一握りのヒトデを助けたって、
何にもならないと思うがなあ。」
これを聞いた男は白い歯を見せてニッと笑うと、
友人の言葉などおかまいなしに、
また、ヒトデを拾い上げて、海に投げ入れた。
「今、海に帰っていったヒトデは心から喜んでいるさ。」
そう言うと、また、一つヒトデを拾い上げ、
海に向かって投げ入れたのだった。
すべてのヒトデを救えないのだから、その行為は無駄である。
一匹のヒトデだけを救うのは不公平である。
これは屁理屈だ。その理屈は、自己欺瞞(自分の良心や本心に反しているのを知りながら、無理に正当化すること。)の匂いを含んでいる。
海に帰っていったヒトデが心から喜んでいるのであれば、
その一匹のヒトデを救うことには意味がある。
困っている人の存在を知った時、私たちはまず
「自分に何かできないだろうか」と思ったりする。
しかし、すぐに「自分一人ができることなんてたかが知れている。
そんなことをしたって何も変わらない。」と思い直す。
しかしながら、人間一人の力は決して無力ではない。微力なだけである。
無力はどれだけ足し合わせても、掛け合わせても、その力はゼロのままである。
それに対して、微力を足し合わせたり、掛け合わせたりすれば、大きな力になりうる。
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確かに、困っている人はたくさんいるし、特定の誰かを助けるのは不公平というのはわかる気がします。だからといって目の前で困っている人を助けなくていいってことでもないですよね。目の前で転んでいる老人に手を差し伸べる行為は無駄でしょうか?
play miningにとって、そのフィリピンの人は目の前で困っている人だったのかもしれません。
このフィリピンの人を助けてどうなるんだ、もっと他に助ける人いるだろ、もっといいやり方あるだろっていうのはあると思いますし、各人が判断し、いいと思えばNFTを買って支援すればいいかなと思います。
この試みはあくまで第一弾で、今後支援が広がり、バタフライ効果のように世界に大きなインパクトを残すかもしれません。支持しなければ買わないのも自由ですが、逆に炎上させて辞めさせる権利は無いかなと思いました。
自分はこの寓話に出てくる友人と同じことを言っているなと思いました。自分自身もネガティブな意見を発信して少し反省しています。申し訳ありませんでした。
たまたまタイムリーにnoteのアカウントを開設したこと、この本のそのページを開いたことなど偶然が重なったのも何かの縁と思い、記事を書いてみました。
最後に、スペースを開催し丁寧に説明をして下さったKozoさん、誠にありがとうございました。応援してます。じゅんさんのまとめには感心しました。(じゅんさんがわからない人はエンジョイ勢の生存戦略で調べてみてくださいね)
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