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御縁と維持・継続

前回の「居場所のこと・・」の続きでもあるかなと思います。

1年以上、1ヶ月ほどお休み・離れた月もありましたが、ひとつのことを同じ気持ち・感覚で続けることが出来たと思います。
途中で感じた葛藤や違和感、自己嫌悪や周囲や誰かのせいにしたりしたくなるようなこともありました。

昨年。令和4年6月3日に群馬県の赤城神社へ”御縁”を主で参拝してきました。その、翌日・6月4日に初めて前回書き出した「居場所と小さな啓発」をスタートしました。

この居場所である”逃げBar”を繋いでくれたのは、前職の後輩。
そして、この場所はその前職で新規事業所・移転の候補物件でもありました。結果としては、ここで法人と物件に御縁はなく終わりました。
その当時、別のお店を開いていた当時の元オーナーさんとも繋がることが出来ていたことから、御縁が繋がり始めていたのかな・・と今では思い返されます。
前職の本部から徒歩5分圏内。前職は13年務めたので、この土地にも深い御縁を感じています。

6月4日、緊張しながら、ドリンクは5種類だけに絞り、意外なほど多く来て下さった身内(仕事関係、場面緘黙の元々の知り合い等も多かった)の方々のおかげで、自分自身はいっぱいいっぱいでドリンクを作って、運んで、お会計・・とワタワタしながらも楽しく・満たされた感覚をいただいていました。この日もそうでしたが・・不思議だなと思う事がここから、幾つも続いていきます。(個人情報的な話にも触れるので省略が多くなります)

ここから、基本的には月1回。多いと2回の時もありました。
毎月1回は場を開くことを自分との約束として、自分の体調管理も意識しながら、1日店長というかたちで場を開くことを続けることが出来ました。

少し箇条書きで、書き出してみます。
・毎回、初めて来たという方が、少なくとも1人以上訪れていた。
・他の1日店長さんとコラボというかたちや、新しく入る1日店長さんの研修機会として、自分の日に他の1日店長さんが居ることが多かった。
・初めて来た方が他に来ていた方の所属している他の団体に興味を持ち、新しいコミュニティをつくることも。
・この場所で、知り合ったことをキッカケに、他の場で会ったり、仲良くなる人も居たらしい。
・常連さんのように毎回顔を出してくれる方が居た。
 →少し間が空いても久しぶりに顔を出しても馴染まれる方も居ました。
・仕事に繋がる御縁も生まれはじめた。
 →詳細は省きますが、もう一つ・二つの居場所に自分自身もサポートであったり、コラボというかたちで、居場所を増やすことが出来ました。
・場面緘黙に関係する御縁が改めて広がり、増えていった。
 →遠方から、わざわざ・・(本当にありがたく、イベント等を何かしている訳ではないので申し訳なくもあります)来て下さる方も多く居ました。
・様々な繋がりから、福祉関係の学校で「場面緘黙」をテーマにした授業を1コマされるという、奇跡的なとてもうれしいお話もありました。
・この場所で知り合った方の知り合いと、また繋がっていき、そこで過去の知り合いと不思議な再会等もありました。
・他の方が企画している居場所や啓発の場、交流会等にも積極的に参加は意識していたので、他の場所での出会いも増えていきました。
→逃げBarで何か居場所や啓発をやってる人というイメージも少し出来たようですね。

書き出してみながら、それぞれの項目に幾つもの細かい伏線があり、そこにも御縁の深さ・繋がり・紡がれていくイメージが幾つも浮かんでいきます。

一人で1日店長という機会と、誰かしらと一緒に入っている回数を比較すると、信じられないぐらいの割合で、一人ではなく誰かと一緒に居ます。
(途中から、ほぼ毎回一緒に入って下さる方が出来たので・・それは別としても、上記のコラボや研修だけでも、とても回数が多いように感じます)

御縁と御縁は紡がれていき、重なり合い、時に何重にもなっていくこともあります。それは、疲れてしまう可能性も秘めています。
御縁があれば良いではなく、自分にとって本当に大切な御縁を見極めながら、その御縁を大切にしていくことに意味があるように思います。
御縁は永遠ではなく、一時的なものかもしれません。
御縁は一時的で、その御縁は他の御縁と繋ぐキッカケだけかもしれません。
御縁は永遠に、自分が死にゆく時まで続くものかもしれません。
御縁は交差して交わった後に離れていくものかもしれません。
御縁は再会を繰り返していくものかもしれません。

もちろん、答えはなく、様々な御縁があると思います。
自分にとって大きな縁が、相手にとっては不要であったり、小さいことも。
その逆も・・。 中間的なものもあるかもしれません。

縁切りという言葉があるように、縁は良縁ばかりではありません。
悪縁を切っていく作業もまた、必要な時があると思います。
良縁とは何か? 悪縁とは何か? ・・・
考えていくときりがありません。

個人的に思うことは・・
何かしてもらえて、少しでも嬉しいと感じた時、感謝の気持ちを忘れないこと。
そして、年齢や経験・知識等関係なく、謙虚さを忘れないこと。
最後に、自分の足で、一歩を踏み出して、歩けるようになること。
この3つが大切に思います。

「ありがとう」。たった五文字のこの言葉すら、昔は言うことが出来なかったり、タイミングを逃すことが多くありました。今でもそうです。だけど、可能な限り、その場・その時に何らかのかたちで感謝を伝えられるように。直接が無理であれば、自分が感謝の気持ち・感覚を忘れないようにしておきます。次にその人と会った時・思い出した時、笑顔になれるから。

自己反省会の繰り返し。上記のありがとうもそうですが、話せないこと=自己嫌悪や自責に繋がることが多くありました。そんな中で、周りの人は思っている以上に自分のことは見ていない・考えていないという言葉を良く言われましたし、自分でもそう思う事で凌げたり超えてきたことも多くありました。逆に自分は出来るんだと思い込むあまり、他人のしてくれていることや思いやり・優しさに気付けなかったり、自信過剰に近いふるまいをしてしまっていたこともあったかもしれません。自分自身は謙虚であることで、相手の凄さや持っている力を感じ、敬意を忘れずに。そこから沢山のことを学んだり、経験させていただくことが大切かなと。

最後が、一番大切に思っていることで。
はじめの一歩を踏み出す勇気。
そして休んだり、脇道にそれたり、逃げても良いから歩むこと。

御縁が紡ぐ先にあるのは・・。
自分で立って、歩ける場所や時間を増やすことかなと思います。自分の過去を思い返した時に、毎回出てくるものが、他人の力ではなく、自分の力で何かを成し遂げた時に得られる自信と経験の大きさです。
誰かを頼れる力が大切・サポートがあるなら受けた方が良い。これはそう思います。だけど、頼らずに(頼ったとしても)出来ること・サポートなしでも出来ることを増やしておくことは、自分の好きなことをしたり、自由を増やす為には必要と思います。

今の居場所を始めた頃から、大切にしている「はじめの一歩」の重さと個人差。はじめの一歩の先の道も・歩き方も人それぞれです。そんな全然違う人達が繋がるのが御縁だとするなら・・それはとても絡みやすく切れやすい。繊細過ぎる糸のようにも見えます。はじめの一歩の先の二歩・三歩。歩き続けた十歩。100歩先・・。 遠すぎる先を想像すると、今ある御縁を大切に。 ここに戻ります。

書きながら、ぐるぐるとまわっているなと思いました。
なので、このぐらいにしておきます。

備忘録メモとしての結論・要点は。
・御縁に感謝。 御縁は巡り巡っていく。
・小さなことにも感謝は忘れない。
・謙虚さを忘れずに。
・自分で踏み出せる一歩は苦しくも得られるものは大きい。
(はじめの一歩を踏み出す勇気と歩み続ける継続・維持の難しさ・大切さ)


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