コロナ渦に結婚・妊娠・出産をした私が語る「清潔のマイルール」の変遷
久しぶりにインスタの投稿を見返した。数年前の私は、こんなことをストーリーにあげていた。
私がなぜこんなことを呟いたのか、説明しよう。
この日、私はトイレの便器に買ったばかりの財布を落とした。自宅ならまだしも、コンビニの汚いトイレ…しかも用を足した後である。
「やってしまった~」という激しい後悔の後、私はこの財布をこのまま使い続けるかどうか数秒悩んで、素知らぬ顔をして使い続けることを即決した。
2019年 独身時代のマイルール「ばれなきゃいい」
お恥ずかし話はこれだけではない。 私は自分が生まれた時にくるまれた毛布をいまだに持って寝ている。愛称は「ねんねこ」。もう30年物だ。洗濯しすぎると風味や触り心地に影響を及ぼすため、頻繁には洗わない。だから、気になってきたらとりあえずファブリーズでカバー。
「お気に入りVS 汚い」の対決、私の場合は余裕で「お気に入り」が勝つ。
黙っていれば気づかれない。だって、私がトイレに落とした財布を使っていようが、いつ洗ったかわからない毛布を持ちながら寝ていようが、だれにも迷惑はかけていないから。ばれなきゃいい。これが私のマイルールだった。
2021年 コロナ渦に結婚式を挙げて感じたマイルール「清潔も見える化が大事」
その後、私は毛布を理解してくれる優しい男性と入籍をし、「ねんねこ」とともに東京へ嫁いだ。しばらくは楽しい生活を送っていたが、コロナ蔓延により、3度の結婚式延期を余儀なくされる。
最終的に挙げられたのは、2021年5月。もうこれ以上延期ができない最終日程だったため、緊急事態宣言発令中・デルタ株蔓延・お酒の提供NG・20時消灯の史上最悪な環境の中、東京のど真ん中で執り行われた。
当然、結婚式のコロナ対策はウェディングプランナーさんと何時間も話し合った。その中で、提案されたのがこのフェイスガードとアクリル板。
確かにお洒落だが、はたしてこれが本当に飛沫防止になるのか…。半信半疑な私たちにプランナーさんもこう言った。
帰り道、トボトボと帰りながら旦那と話す。
結果、私たちはアクリル板をつけることにして、結婚式は感染者を出さずに無事終えることができた。
それぞれの「清潔のマイルール」
今だから率直に言葉にするが、コロナ渦の花嫁は本当にキツかった。来れると思っていた友人が来れなくなって、親族は直前まで返事が保留。「自分の結婚式に来るのが怖い」と思われていることが悲しくて、それぞれの「清潔の価値観」や「コロナに対する価値観」の違いをダイレクトに味わった出来事だった。
でも、そんなときに私が救われたのは友人の一言だった。
清潔のマイルールは、誰かに強要すべきものではない。自身の正論に基づくキツめのアドバイスをくれる人もいたが、私は私で別の正論を持っていると内心ずっと思っていた。だから、私を思う気持ちでそっと寄り添ってくれた「友人のマイルール」が一番私の心を軽くしてくれたかもしれない。
2022年 子どもが生まれて変わったマイルール「清潔は先回りして作る」
波乱の結婚式から半年後、私の妊娠が発覚した。この頃から「ばれなきゃいい」の私のマイルールが、お腹の子の安全を願うアワールールに変わっていったように思う。
お酒はもちろん、大好物のお寿司は食べなかったし(夫も監視していた)、家の中も綺麗に掃除した。里帰り先へ会いに来てくれる夫も毎度PCR検査をしてくれ、夫婦で赤ちゃんを迎えるための準備ができていたように思う。そうやって、今か今かと待ちながら無事生まれてきた赤ちゃん。私は新生児を育てる環境への配慮に驚く。
この配慮、育児をしている人からしたら「あたりまえ」なのだ。自分が経験して初めて、0から命を育む重みを知る。
そして、こうして赤ちゃんを育てていくと「清潔は先回りして作るものなんだな」と感じる。娘に何かあってからでは遅いから。
昔も今も、菌は見えない
昔も今も菌は見えないのに、私の「清潔のマイルール」は、私を取り巻く環境と時代の変化から年々アップデートされていった。私の場合は自然とルールが増えていったが、不思議なことに苦ではない。うまく言葉にできないが、清潔にしているとなんか気持ちいいのである。
普通の人からしたら同じ見た目でも、きちんと洗った服を着ていると自覚をしている方が自分は気持ちがいいし、赤ちゃんが何かを舐めていても、抗菌されている安全なおもちゃと自覚している方が安心してその様子を見ていられる。
清潔とはお守りのようなもので、身にまとうことで安心感が生まれる。そうやって私たちは皆、それぞれ自分のお守りを持っているように感じている。