第3話【Icebreaker】3rd Breke 歩みを止めた時計
「星乃川電鉄に入社した理由?」
高校を卒業後、未だ定職についたことがない渚は、ふと気になって聞いてみることにした。質問の相手は一番話がしやすい清春だ。いつものミルク多めのカフェオレを片手にカウンター席に座っている。
「僕は、大学に行くときに毎日使っているうちに星乃川電鉄のファンになったんだ」
聞けば、就活時には、鉄道会社は星乃川電鉄だけであとは他業種を受けたのだという。そして自ずと一緒にいるヤスとアキにも同じ質問が振られる。同期入社のこの3人はとても仲がよくて羨ましい。
「俺は、高校に求人票が来てた会社で一番実家に近いとこを選んだだけだ」
ヤスらしく実直な動機だった。このあと出勤だという彼は作業着姿でブラックコーヒーを飲んでいた。次にアキが、ロイヤルミルクティーの入ったカップをソーサーに置くとヤスを指差して言った。
「私は、ヤスを倒すためかな!」
「えっ?」
アキの回答がとても意外なものだったので、渚は呆気にとられた。意志の強そうな彼女のことだから、てっきり「他人なんてどうでもいい」というタイプだと思っていたからだ。2人は同じ学校の同級生なので、ヤスの後を追って星乃川電鉄の入社試験を受けたということだろう。
「何回も言ってっけど、そんなんで就職先決めんな」
「あはは、いつか倒せるといいね」
ヤスが呆れ顔でアキを諫め、清春が2人を笑顔で見守る。きっと3人にとってはいつもお馴染みのやりとりなのだろう。それにしても、何をもって"倒す"とするのか、渚には全く見当がつかない。少なくとも、殴り合いではないと思うが。同級生だった2人の高校時代に何があったのかとても気になるところである。
そのとき。
「おはよう、渚ちゃん」
「お~、清春、アキちゃん、いらっしゃ~い」
近頃では開店作業を任せてもらえるようになったので、朝一番は渚一人で回し、息子を幼稚園に送り終えた涼子が合流するというパターンが多くなった。ところが今日は珍しく拓海も一緒に顔を出した。拓海は、いつものように相手が客だろうとお構いなしに絡んでいく。
「おはようございます、拓海さん」
「ん…?あんた…」
拓海はヤスの姿を見るなり、舐めるように彼の顔を見始めた。不躾な視線に気づいたヤスが眉間に皺を寄せる。その表情には、用件によってはただじゃおかねぇという意志が滲み出ていた。
「…俺に何か用か?」
「お前さん…、戸塚さんの息子か?」
「…!」
脈絡もなく突然出てきた名字に、ヤスをはじめその場にいた面々に緊張が走る。
「だって、ヤスくんの名字って宗谷でしょ?違うわよ」
ヤスの作業着の上着に刺繍された名字を見て、涼子は確信したように言う。
「いや、戸塚さんと同じ顔してるぜ?特に目元とか」
ヤスを『戸塚という人物の息子』と言い張る拓海をよそに、ヤスと付き合いの長いアキと清春でさえも顔を見合わせ、知らないという仕草を見せる。
周りの戸惑いに耐えかねたようにため息をついたあと、ヤスが観念したようにつぶやいた。
「宗谷は、母方の名字だ。いろいろ面倒くせぇから、こっちの名字で名乗ってた」
否定をしない、ということは、ヤスは『戸塚という人物の息子』で間違いないようだ。
「お袋さんは元気か?」
「…親父が死んですぐ、病気で死んだ」
「…すまん。悪いことを聞いたな」
「そういうフォローは別にいらねぇ」
「親父さんは運転士だったけど、お前さんは整備士なんだな」
「…悪ぃか」
拓海が父とヤスが違う職業であることをからかったのかと思いきや、その表情が悲しそうに曇る。
「戸塚さん、うちの上の息子が『おれも大きくなったら電車の運転士になるんだ』って言うって、すげーうれしそうにしてたんだぜ。なのに…死んじまった。気のいいおっさんだったのに」
「運転士の戸塚さんって、15、6年ぐらい前に事故で亡くなった人よね?何回か聞いたことがあるわ」
「車両の整備不良が原因の事故だったって…」
アキの言葉に清春が続ける。星乃川電鉄、いや鉄道業界にいる者であれば誰でも知っている事故だ。まさか、その事故で殉職した運転士がヤスの父だったとは。
「なるほど…あれはお父さんの形見なのね」
涼子がゆっくりと口を開く、「あれ」というのはいつか涼子が拾った時計のことだった。
「ごめんなさいね。誰の落とし物かわからなかったから中を見てしまって」
ヤスが、謝る必要はないと首を横に振ると、作業着の内ポケットから布製の巾着袋を取り出す。その巾着袋の中にあったのは、茶色い紐が付いた銀色の懐中時計だった。それは上蓋がなく、電車の運転台にセットすることができる懐中時計だが、仕事中にアキが使っているそれとは大きく違っていた。
時計の盤面を覆っているはずの硝子は粉々になり、かろうじて残った部分もテープで補強してあった。わざわざ聞くまでもなく、事故の衝撃で割れたのだろう。その針は歩みを止め、時計としての機能は失われている。
「だから星乃川電鉄の整備士になったのね。高校の時から一緒にいるのにそんなこと一言も話してくれなかったじゃない!」
「全くだよ、僕たち同期の仲じゃないか」
アキと清春が声を震わせる。幼くして両親を亡くしたこと、父を思い車両整備士になったこと、そしてそれを胸に秘めて抱えて生きてきたこと。彼の今までの人生を思うと、胸が締め付けられる思いだ。
「言えねぇよ。どうせアキはピーピー泣くし、清春はいらねぇ気を回すだろうが。嫌なんだよ、そういうの」
俯いているヤスの表情はわからなかったが、鼻をすすり、声が揺らいでいた。
「泣くのは私の勝手でしょ」
「…気遣いぐらいさせてよ」
アキは涙声で何を言っているか怪しい状態だったのに加え、清春も右手で目を覆い、寸でのところでこらえていた。
「悪ぃんだけど、タオル貸してくれねぇか。こいつらのみっともねぇ顔を拭いてやらねぇと」
「私が行きます、…待ってて!」
バックヤードに向かいながら、タオルは3枚必要だろうと渚は思った。
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9月。台風の季節だ。天気予報が、台風による暴風雨が神奈川、東京を直撃すると告げていた。
星乃川電鉄では、安全のため、通常より間引いたダイヤで運行するらしい。この天気でも出勤しなければならない人がいる限り、運休にするわけにはいかない。
「こんな日は何もないことを祈るだけね」
「…そうですね」
渚は窓ガラスを叩きつける雨を目で追いながら、今日は仕事だと言っていた清春とアキの顔がよぎる。
ポラリスの店内には、オレンジ色の作業着を着た保線員が数名、食事をしていた。保線とは、線路の歪み、傷つき、摩耗、変形がないかを点検したり、異常があれば修繕をしたりする業務のことだ。事故が起こった際は、線路を閉鎖して復旧作業を行う。今日は台風という悪天候であるため、何かがあったときの呼び出しに備えて待機をしているというわけである。ポラリスはこういうときの待機場所としても機能している。
「架線(がせん)が切れねぇといいけど」
今日は非番だったヤスも、落ち着かず、このポラリスに来ていた。彼の場合は、別に悪天候でなくても来ているが。
架線というのは、線路上空に張られた電線のことで、電車はこの電線から電気を得て走行している。一般的には架線は「かせん」と読むが、「河川」との混同を防ぐため、「がせん」と発音する鉄道員が多い。
すると、ヤスの言葉を聞いていたかのように、店内に携帯電話の着信音が響く。そして、まるで輪唱のように、続けざまに着信音がどんどん増えていく。最初に鳴った男性が電話に出ると、店内の空気がピンと張りつめた(ちなみに、ポラリスでは仕事の電話に限り、店内での通話を許容としている)。電話が鳴っていない人も、電話の内容を聞こうと耳を澄ます。
そのとき。
オーナーの拓海が、雨音とともに血相を変えて店に入ってきた。差していた傘も役に立たないぐらいびしょ濡れになっていた。
「何かあったのね?」
「これから忙しくなりそうだぜ…」
「拓海さん、どうしたんですか?」
「この台風で鉄柱が倒れて列車に当たったらしい。被害はまだわかんないってよ」
拓海は星乃川電鉄の社員ではないが、幹部とのつてがある。また、過去に何度も有事の際に駅構内にパンやコーヒーをデリバリーした実績があるので今日のような場合も連絡が入ることが多い。
そして、ヤスの姿を見つけた拓海は、深呼吸したあと、ゆっくりと諭すように言った。
「…ヤス。落ち着いて聞け。事故ったやつに乗ってるの、アキちゃんと清春らしい」
「…!」
拓海の言葉に、ヤスは一瞬言葉を失ったが、思い直したかのように出入り口のドアに向かう。その表情は鬼気迫るものがあった。
「おい、どこに行く!?」
「あいつらがヤバい状況なのに、黙って待ってられるかよ」
拓海はヤスの後を追うと、右手で彼の右手首を掴んだ。
「やめろ!お前さんに何ができる?!」
「大丈夫、俺だってガキじゃねぇんだから邪魔したりはしねぇよ」
「…わかった。お前さんを信じる」
拓海が右手を緩めると、ヤスはポラリスを後にした。
「心配ね…」
「ヤスさん…」
(神様、お願いします。これ以上、ヤスさんから大切な人を奪わないでください)
渚は、祈るような思いでヤスの背中を見送った。
テクニカルライターをするかたわら、趣味の着物やオタ活をしています。