第2話【Icebreaker】2nd Brake 運転士の悪夢

「今日はカフェラテだけでいいわ」

浮かない顔で、カップをスプーンでかき混ぜているのは、運転士の藤川アキだ。彼女は、清春とヤスと同期入社で、ヤスとは高校の同級生なのだという。ヤスと同様、清春に連れて来られたのをきっかけに、ポラリスの常連客になっていた。

ゆるくウェーブした髪を一つにまとめ、切れ長で意志の強そうな目は、渚が憧れる「デキる女」像だ。ところが、いつもであればよく笑い、よく食べる彼女が、今日は様子がおかしい。

「見てよこれ、最低じゃない!?」

アキが示すスマホを見ると、SNSの投稿で『美人なウテシ発見!』のコメントと共に、運転席に座るアキの写真がモザイクなしに掲載されていた。ちなみに"ウテシ"というのは運転士を示す略語らしい。

「え!隠し撮りじゃないですか。しかもSNSでアップするなんて、ひどすぎる…」
「ほんと…やだ…私、芸能人でもないのに晒されて…」

アキの声は怒りと悲しみで震えていた。無理もない。鉄道ファンの中には車両を撮る「撮り鉄」のほか、仕事中の鉄道員を隠し撮りする悪質なファンも存在する。特にアキのような美人はターゲットになりやすいのだろう。

「許せないです」
「ね、ほんと、嫌になっちゃう」
「もし、この店にそんなやつが来たら追い出して、出禁にしてやります!」
「ふふっ、何それ出禁って、面白い」

ぷりぷりと怒りを露わにする渚に、アキが吹き出す。自分に同調してくれるのはうれしいが、出禁、つまり「出入り禁止」にするのは無理だと思っているのだろう。

「ほんとですからね?涼子さんの許可はもらってます」

冗談ではなくポラリスには出禁者リストがある。星乃川電鉄社員ファーストなポラリスならではだろう。

ここ喜多水駅には、星乃川鉄道の関係者が集まることは、星乃川鉄道のコアなファンには周知の事実だ。ところが、中には休憩中や非番の星乃川電鉄の社員に過度な接触を図ったり、盗撮をしたりするという不届き者がいる。だからこそ、星乃川電鉄の社員以外の客が来たら目を光らせてほしいと涼子が言っていたのを思い出したのだ。

「ありがと、頼りにしてる。追加でいつもの2つ注文していい?食欲出てきた」
「もちろんですよ。アキさんがたくさん食べてくれると私もうれしいです」

渚は本心からの気持ちを伝える。彼女はいつも気持ちいいぐらい美味しそうに食べてくれるので作り甲斐がある。渚はウキウキしながら、アキの大好物の、たっぷりたまごサンドとベーグルサンドの準備に取り掛かる。

ちらりとアキを覗き見ると、その表情が明るくなっていた。一見、完全無欠のスーパーウーマンに見えるが、話してみればどこにでもいる頑張り屋さんの女性だ。傷つくのは当たり前だ。

「渚ちゃん、いつも愚痴聞いてくれてありがとね。私たち、喜多水のホームで乗務員交代するんだけど、帰ってきたら渚ちゃんがいるんだって思うとホッとするの」

「アキさん、私の方こそありがとうございます。またいつでも帰ってきてくださいね。待ってます」

ポラリスでのアルバイトを始めて半年。接客は向いていないかもと悩んだこともあったが、誰かの帰ってきたい場所になれたことがうれしかった。これからも頑張ろう。

+++++

夕方、星乃川電鉄の作業着を着たヤスがポラリスに来た。作業着を着ているので、仕事の前後か休憩中なのだろう。彼の作業場である車両基地からは少し遠いのにわざわざ来てくれたことに、渚はうれしくなった。

「ヤスさん、お疲れ様です」
「…お疲れさん」

ヤスと会うのは2回目だが、初めて会った時とは顔つきがだいぶ違い、5歳以上年を取ったように見える。仕事の緊張が彼をそうさせるのだろうと渚は思った。

「ヤスさん、何かあったんですか?」
「一宮に…あ、悪ぃ、後輩の名前なんだけど、ちょっとにガツンと言ったらすねちまいやがって、あぁ、またやっちまった。どうしても衝突しちまう」

渚が話を切り出すと、ヤスがため息交じりに吐き出す。後輩を責めるのではなく、自分を責めているようだった。

初めて会ったときに聞いた、砕氷船というあだ名がよぎる。仕事に妥協しないかつ、ストレートな物言いをしてしまう昔気質の彼のことだ、イマドキの若者と衝突してもおかしくはない。なんとかヤスを元気づけたいが、仕事のことも相手のことも知らないのに、知ったような口はききたくない。

ふと、渚は涼子の言葉を思い出す。別にいいコメントをしようだなんて思わなくていい。相談や愚痴を言う人は、たいていは自分の中に答えを持っていて、それが絡まってしまっている状態。それを話して誰かに受け止めてもらうことで、頭の中が整理されて自己解決することが往々にしてある、という内容だった。

「どうしても衝突してしまうんですね。何か打ち解けるきっかけがあるといいですね」

渚は思案の末、彼の言葉を受け止め、解決を願っていることを伝えるに留めた。これが正解だなんてわからないけれど、渚は自分に嘘はつけなかった。

「…きっかけか」

ヤスはその言葉を最後に黙り込む。かといって、渚の言葉に腹を立てたのではなく、クールダウンをし、これから自分が何をするべきかを考えているように見えた。渚はその邪魔をしないように彼を見守ることにした。

+++++

「そうだ。夜食買っていく。持ち帰りで」

渚が食べ終わった食器を下げようとすると、ヤスに声を掛けられた。

「はい、ありがとうございます。夜食ってことは時間が経ってから食べるんですよね?」

ヤスは、うんと唸るように返事をする。

「この季節だったら、傷みにくいメニューがいいかなと思います」

涼子に教えてもらった、"Railroad worker"という名前のサンドイッチを提案する。”鉄道員”の名を冠したそのメニューの考案者は先代のオーナーで、不規則な時間に食事をとることが多い鉄道員のために、時間が経っても傷んだり、固くなったりしにくい素材を使ったサンドイッチを考えたのだ。ポラリスのテイクアウトで人気no.1メニューである。

「あんがとな。じゃ、それを2つ頼む」
「わかりました。おしぼりも2つの方がいいですよね?」

渚の想像が正しければ、おしぼりは2つあった方がいいだろう。

「…おう、助かる」
「お仕事頑張ってくださいね」

ヤスは顔を伏せ、手だけで返事をした。相変わらず最低限の言葉だけだったが、来店時より表情が明るくなった気がする。いつか一宮さんとヤスが2人で来てくれたらいいなと渚は願う。

+++++

親父を亡くしてから16年が経つが、未だに親父を夢に見る。

「お父さん、おれも大きくなったら電車の運転士になりたい!」
「そうか、そうか。父さん、うれしいぞ」

子煩悩だった親父。親父から仕事の話を聞くのが大好きだった。俺の頭を優しく撫でてくれる大きな手。俺の憧れだった。

だが、その夢は、いつも決まって事故でひしゃげた車両と苦しそうな親父の顔で幕を閉じる。

それをなんとかしたくて、何度手を伸ばしても届きそうで届かない。事故を防げなかった、助けられなかった…夢を見るたびにそんな思いで心が押しつぶされそうになる。

「…親父!」

ヤスは目覚ましのアラームで現実に引き戻される。

汗びっしょりで喉がカラカラに乾いていた。最悪の寝覚めだ。
こんなときは枕の下に手を入れ、”お守り”を握って気を落ち着かせるのが常だった。

(…?)

ところが、いつもなら固く冷たい感触があるはずだが、まったく気配がない。枕をひっくり返しても、作業着の上着の内ポケットや私服の上着をくまなく探したが同じだった。親父が残した「あれ」がない。いてもたってもいられなくなったヤスは、服を着替えると部屋を飛び出した。

+++++

「おはようございます、ヤスさん」
「悪ぃ、今日は客じゃねぇ。このへんに落とし物なかったか?」

走ってここまで来たのだろう、息を切らしたヤスがポラリスに現れた。渚と話しながらも、前に来た時に座っていたカウンター付近にせわしなく目を向ける。

「涼子さんに聞いてくるから待ってて」

ヤスのただならぬ様子に、渚は駆け足でバックヤードに向かう。遠くで、渚と涼子が話す声が聞こえる、あ~と要領を得る声がした。

「ヤスくん、おはよう。もしかしてこれ?」

バックヤードから出てきた涼子の手には、手のひらに収まるサイズの布製の袋があった。

「すまねぇ、助かった」

ヤスが、涼子からその袋をを受け取ると、安堵の表情を見せる。渚は、袋の中身が気になり、遠慮がちにヤスに声を掛けた。

「これって…?」
「中は時計だけど、見ねぇ方がいい…。悪ぃ、今日は急ぐからもう行く。また来る」

必要最小限のやり取りをしたあと、ヤスはポラリスを後にした。

テクニカルライターをするかたわら、趣味の着物やオタ活をしています。