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物語で勝手に経済学その4(終)

前回までのあらすじ

とある天才児が自動水撒き機を開発しました。世界に産業革命が起こったのです。しかし、労働者の負荷が減り、物価が無料に近づくと言うことは起こりませんでした。世界は産業革命以降、あちこちで更なる技術革新が巻き起こります。それに伴って、我々労働者は寧ろ創造的な仕事をしなければならなくなったようです。それでは例の如く状況を整理してみましょう。そろそろ定常状態を仮定するのが厳しくなってきましたね。

資源:50×0.7 = 35ナーシ
労働:30ナーシ
商品:65ナーシ(1.3ナーシ/個)
自然:梨の木50本、自動水撒き機

金融の世界

産業革命以降では、物の流通が激しくなるに従って、貨幣の動きも激しくなっていきました。金融市場の発展です。

*解説1
今まで見てきた世界は梨の流通に関する世界でした。それは、より分かりやすく言うと物質の移動を説明しているだけです。物質は自然から資源という形で人間社会に取り込まれます。そして、労働という付加価値を付けられて、商品として流通し、最後に消費されて自然に戻るのです。貨幣経済では、この流通を貨幣によって補助します。つまり、価値の評価を貨幣によって行うことで、物々交換を容易にするのです。では、貨幣の流れはこの循環に則すとどうなるでしょうか?
正解は単純に物質の流れと逆向きの矢印になるだけです。貨幣と物質を交換するので当たり前です。でもここで大きな問題が生じます。自然が貨幣を支払ってくれるでしょうか? 消費によって拡散する物質について、自然は大抵の場合買い取ってはくれません。つまり、物質は大きな循環をしていますが、貨幣は地球の働きによって循環している訳ではないのです。貨幣というのは人類が作り出した概念であり、人間活動によってのみ循環します。なので、貨幣の循環のために新しい領域を定義します。これをB領域と命名します。
こうすることで、資源の対価で得た貨幣はそのままB領域に行きますし、労働の対価もB領域に運ばれます。そして、B領域にある貨幣が市場を通して商品の購入代金となるわけです。当たり前の事ですが、大事な事です。貨幣は物質とは異なる経路の循環をしているのです。現実との対比ではB領域は銀行とかタンス預金などに相当するかと思います。

貨幣の不足

人類は開発によって人工的な資源を作るもの(自然)を増やしてきました。これらを所有するものを資産家と呼びます。資産家達は資金をB領域に貯めながら、更なる開発に投資し指数関数的に人工的な自然を増やしていきました。世界に流通する資源の量もまたそれに伴って指数関数的に増加して行きます。
そこでまず問題になったのは貨幣の量です。流通量が増加し、商品やそれを消費する量つまり、人口や一人当たりの消費量も増えていきましたが、貨幣がなければスムーズに交換できません。貨幣が足りないと物に対する貨幣の価値が上がってしまうのです(例えば梨1個1ナーシだったものが、梨2個で1ナーシになるようなものです)

*解説2
貨幣の価値は物質の需要と供給には本来関係ありません。梨2個が1ナーシとなっても、労働対価が0.5ナーシになれば梨1個と労働対価がつり合う状況に何も違いはないからです。貨幣の枯渇はこのような物質の需給バランスではなく、物質の流通量(ここでは梨50個)に対して貨幣の量(たとえば世界に25ナーシしか貨幣が無いなど)が充分でなければ相対的に貨幣の価値が上がるだけなのです。

しかし、このような価値の変化が日々起こってしまうと大迷惑です。B領域にある貨幣の価値が日々変わってしまう事になるからです。タンス預金をしていたら明日には買える梨の数が半分になったら困ります。王政を打破した人々は、とは言え貨幣を製造する人が必要になりました。なので、貨幣を管理するものとして政府を樹立するのです。政府は日々、貨幣の量と市場の商品の量を見比べて、貨幣を製造しました。これで貨幣の価値が変動しなくなったので、人々は安心して経済活動を継続しました。

資本主義経済

人々の経済活動は人工的な自然を所有する事を目的としはじめました。資本主義経済の始まりです。考えても見てください。(産業革命によって)ものの価値がどんどん上がっていく世の中では労働の価値はいつだって追いやられる危険と隣り合わせになります。自然を所有し資源を販売できれば黙っていても貨幣が手に入るので、人々は自分も投資をして自然を所有したいと考えたのです。そのため、人々はB領域に十分な資金が貯まればすぐに投資をして、自然を入手しようとしました。この所有している自然を資産と言います。しかし、資本主義の考え方ではB領域にある資金も資産に含めます。つまり、自然の所有量とB領域の資金保有量を最大化する考え方が資本主義と言えます。

ソフト経済主義

暫くの間、人々は自然の所有量を増やしていったので、物質の流通量も順調に増えていきました。梨の生産量は50個から100個まで拡大し、人口も100人まで増えました。

資源:100×0.7 = 70ナーシ
労働:30ナーシ(30人工)
商品:100ナーシ(1.0ナーシ/個)
自然:梨の木100本、自動水撒き機

労働生産性も向上し、30人工の労働で100個もの梨を生産できるようになりました。ところで、人口100人に対して30人工では残りの70人工は何に使われているのでしょうか?働かずに資産で暮らしているのでしょうか?
いいえ違います。残りの人間はB領域で経済活動を行なっていたのです。

*解説3
実は残りの70人はB領域内で売買を行なっていました。これを簡単のためにソフト経済と命名します。このソフト経済とはどういうものでしょうか?
経済発展と共に梨の流通量は50個から100個に増加しました。この流通の為に貨幣の製造をしていましたね。しかし、物質である梨自体は消費される事で拡散していきますが、貨幣はどうでしょうか? 当然行き場がないのでいずれB領域に戻ってきます。つまり、その製造した貨幣はB領域に貯まってしまいます。例えば、2,000ナーシ程貯まっていたとしましょう。
ある人が投資話を持ってきます。みんなが貯めているこの2,000ナーシを集めて投資をしたら莫大に儲けられるはずです。みんなはすぐにその人に資金を投資します。しかし、その資金をあろうことかギャンブルですってしまいました。
この時のお金の流れを見てみましょう。2,000ナーシがある人のもとに集まって、ギャンブルで勝った人に更に流れます。この時お金はB領域から全く出ていませんね。しかし、流通としては確かに2,000ナーシ存在します。物質の流通、本稿ではハード経済と命名します、はたったの100ナーシしかないにもかかわらずです。それでも流通は流通です。貨幣の不足がソフト経済でも起こりました。2,000ナーシのやりとりをしている間に梨の取引を止める訳にはいかないからです。つまり、2,000ナーシの流通を担保する為にさらに貨幣やそれに似たような働きをするものを生み出していかなければならなくなったのです。
現実世界ではこのようものは詐欺に当たると思います。多くの場合実際には、ハード経済を一旦経由するでしょう。広告、保険、労働力のみの各種サービス、仮想通貨なども、実際には人間の信用を確保する為に、ハードディスクやプログラム、映像やコンテンツなどと言った物質に一部依存しています。しかし、その比率はどんどん小さくなっているようです。また、ソフト経済による貨幣の不足への対策としては、株券、債券、ポイントなどといった、貨幣に似たようなものも使われているようです。

このようにソフト経済はハード経済を置き去りにしながら拡大を続けていきました。もはやB領域にある資金は物質の価値を遥かに凌駕していますが、流通を保っているのでハード経済における貨幣の価値は特に変わっていません。変わらないように造幣しているのですから。人々は次第にB領域での資産を増やす事を優先するようになっていきました。これをソフト経済主義と名付けます。

未来の社会

金融市場の拡大と共に世界はソフト経済主義の社会へと徐々に転換していきました。ただし、各々は別々の戦略をとっているようです。
アの国ではB領域での経済の成長を市場に任せて推進しました。B領域の経済でも労働力は発生するので、労働の価値もどんどん向上し、溢れ出る資金でハード経済も緩やかに成長を続けます。
一方、イの国では少し方針が異なります。B領域での経済成長を促しますが得られた利益を無理矢理ハード経済の成長に誘導する事にしました。これによってハード経済による労働対価の増大を狙ったのです。強力な行政介入が必要ですが、アの国よりも圧倒的なハード経済の成長を達成し、資源の消費量を拡大させます。
そして最後にウの国が生まれます。この国では労働者の保護に重きを置きました。生活に必要な消費を定義し労働の対価をその定義を基準として決定する事にしたのです。これならば、労働さえすれば飢えることもなく、ある程度努力すれば労働者も資産を獲得することができます。
世界は主にこの3つの勢力が経済圏の覇権を競いました。暫く激しい応酬が続きましたが、まずウの国の経済成長が鈍りはじめます。労働者を保護するあまり、労働対価の競争が起こらず、労働者の賃金が上昇していかなかったのです。次第にB領域でも報酬が制限されてしまい、格差は拡大しませんが、その分投資も拡大せず、経済成長が鈍化してしまいます。
次にイの国に危機が訪れます。行政介入によって資源の流通量を無理やり増やしましたが、資源が枯渇し始めたのです。解決する為には更に充分な投資が必要でしたが、もうそれに向けるだけの資金が残っていなかったのです。
最後に残ったのはアの国です。アの国ではB領域内で経済成長を続けています。ハード経済の方にも幾分か投資はされますが、資源をすぐさま枯渇させる程の消費拡大は起こらなかったようです。流通している資金がどんどん増えていって、簡単に他の国の資産を購入できる規模まで超え太っています。これはまさに封建社会の時と同じです。特定の勢力(特権階級)が殆どの自然と資金(つまり資産)を所有できるだけの資金を貯えたのです。

しかし、この勢力は過去の封建社会とは違いました。この者達は未だに産業革命時代の妄執に取り憑かれたままです。そう、投資による開発です。この勢力は封建社会の終わりの時と同じようにソフト経済で貯えた資金を存分にハード経済に差し向けました。労働は自動化され、資源の開発は地球圏を突破し、資源の流通量の拡大と共に更に人口も増えていきました。労働者はもはや働く必要は無いのです。今まで起こっていた経済循環が大きく変わります。労働がなくなり、労働対価の流れも失われました。つまり、ハード経済とソフト経済を結ぶ仕組みが取り払われたのです。労働者達は豊かな生活が保障され自動で生産される商品をただただ消費していきます。その一方でソフト経済も継続していきます。ハード経済と切り離されたので貨幣を製造する必要はありません。人類はB領域でのゼロサムゲームという遊びに興じていくのでした。

おしまい

*解説4
如何だったでしょうか? これでこの物語は終わりです。私の頭ではこのような結末しか考えつきませんでした。最後にもう少しだけ労働者に焦点を当ててみたいと思います。これまでの労働者が置かれた立場を振り返ってみてどの社会が一番幸福だったでしょうか?人それぞれとは思いますが、まずウの国に注目したいと思います。ウの国は労働者優先の社会です。ウの国は経済成長で負けてしまっただけで、国民は最後まで幸せだったでしょうか? 私はそうは思いません。ウのかなでは格差が限定されます。これはまさに農耕社会で負けてしまったリンゴの家族と一緒です。その為、経済成長そのものが鈍化します。そんな中、他国に勝つ為には投資の為の資金をB領域に貯めねばならず、労働者の賃金は上昇しなかったでしょう。このような社会では労働者のイノベーションを起こす力も弱く働きます。賃金上昇が期待できないからです。また、生活の保障もイノベーションの力を強めることはできません。小さな成長も弱く、大規模投資も出来ないまさにジリ貧だった事でしょう。
産業革命では封建社会で形成された格差がブレイクスルーの原動力となりました。大きな開発には大きな投資が必要だからです。投資にはリスクが伴います。単純に購入できる金額だけを貯えれば購入できるほどイノベーションは安くはありません。私にはソフト経済による格差も次のイノベーションへの仕込みに思えてならないのです。
結局労働者の幸福とは何なのかという事を私は決め切れていないのです。一人当たりの消費資源なのか、必要となる労働力の少なさなのか、人口なのか、所有する資産の量なのか、はたまた別の何かか...
ただ、もしこの世界と同じような自動化されて働かなくても良い社会を目指すのであれば、資本の集中が必要であると思われます。

最後にもう一つだけ、物語の最後に簡単に語りましたが、ソフト経済はゼロサムゲームです。ゼロサムゲームとは相手から奪い取るものですが、ゲーム理論にあるように信頼によって最大幸福を得る道ももしかしたらあるかも知れません。
コレを読んだ皆さんが世界の未来を考察し、新しい答えを生み出して頂ければ幸いです。

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