やりたいことを先延ばしにしてもいいのかも

2022年の誕生日にどうでもいいことを考えた。

今私はいつでも好きな時に好きなことを、自分の感情のままにできる生活をしていて毎日幸せを感じるし、これまで生きてきた中で1番充実しているのは間違いない。

会社を辞めてから毎日やってきた税理士試験の勉強を、意図的にこの8月1ヶ月間はやらないようにした。勉強にのめり込んで視野が狭まるのが嫌で、一定期間ほかのことに目を向けようと思ったからだ。

この1ヶ月間で体感した大きな学びが1つ。

望みに望んでいた生活を達成してしまったら、その先生きていく理由を失うんじゃないかということだった。

多くの人間が、自分の自由を奪う家族を持ったり、何十年ものローンを組んだり、やりたいことを老後まで先延ばしして結局一生やらないという選択をする理由というか深層心理がなんとなくわかった気がした。欲をひとつ満たしたらさらに大きな欲を満たすために奔走する、尽きることの無い欲望を持っている理由がわかった気がした。

欲が満ちてしまったら生きる希望や活力が失われるんだと思う。足るを知りすぎては行けないんだと思う。当たり前のことかもしれないけどなんか腑に落ちた。

よく、明日死んでもいいように生きようとか、やりたいことはすぐにやろうとか言うけれど、そんな風に生きてしまったらその後どうやって生きればいい?人間がそう生きたいと願いながらもなかなか達成できないのは、死ぬまで将来に希望を見いだして生き続けるためなんじゃないか?

私も今、自分なりに理想的な暮らしをしているけれど、「次はこうなりたい」という更なる理想に向かって9月からまた税理士試験の勉強を再開するなり、家族をもって支えていくというようなことをしないと容易に生きてる理由を失って絶望して生きても死んでもどっちでもいいみたいな危険な思考になるという予感がして少々怖くなった。

ある程度、不自由な暮らしでも良いし、しがらみがあってもいいし、色々な外的要因を言い訳にしてやりたいことを先延ばしにしてもいいんだと思った。

まあこんなこと考えず、これといった大志を抱かず、のらりくらり、ぼーっと生きて、お気楽モードでいた方が人生楽しいのかもしれないね。

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