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ブライダルチェック、夫の検査結果とその後の会話

私が「多嚢胞性卵巣症候群」であると判明した日の1週間後、夫も精液検査を行った。

この精液検査は、採取から2時間以内にクリニックに届けないといけないので、夫と「家で採取か?クリニック近くのトイレで採取か?」と話していた。が、当日、時間を勘違いしていたこともあり急いで出なければならず、結果的にクリニック近くのトイレにて採取することとなった。

私の友人(男性)で不妊治療を経験した人がいて、もちろん妻が大変なことも認識しつつ、「朝の7時にAV見て出して、そのまま病院に届けるのはなかなかだった」と話しているのを思い出した。妊娠出産となると、まず母体になる妻側の苦労は大変に語られるのは当たり前だし、それでいいと思っているけれど、男性も男性で大変なことはあるよね…と、ひとり休日の朝に見知らぬトイレで採取をする夫を思ったのだった。

その後、近くで夫と合流。
結果は即日出るので聞いたところ「大丈夫だった」とのこと。よかった。私自身、今の時点で子供を持つことに積極的ではないものの、やはり自分の体、何か悪い箇所があるというは悲しくなるということを身をもって経験したので、夫には同じ思いをして欲しくないという気持ちだった。結果を聞いて安心した。

その後はまた夫の買ってきてくれたお気に入りのバインミーを二人で食べた。

「まずは検査して、それから考えよう」と話していたので、その後の話をどう進めていけばいいか、二人ともわからない。ただ、結婚前から、不妊治療はしたくないということと、もし仮に子供が欲しいけれどできなかったときは、養子や里子を考えようという話はしていた。

私自身の病気は、必ず子供を持てない病気ではないものの、色々な体験談などをネットで読んでみると、妊娠の確率としては通常よりは低く、タイミング法より先の不妊治療、いわゆる注射を打ったり体外受精をしたりする人も結構多いようだった。

私は生理が来ないのではなく、1ヶ月以上もずーっと続く方の不正出血タイプだった(今は何年もピルを飲んでいるので正直わからない)。この場合、仮に排卵を時々していたとしても、そもそもその排卵と思しき時に、性行為自体ができないという話も読んだ。排卵しているかわからないまま、自然に任せて、またあの不正出血地獄を続けるのか…と思っただけでも気が遠くなる。


夫の結果が出てから2週間後くらい。二人で休日に散歩をしている時にふと、ちょっと話そうかなと思い、「私は、病気もあるし自分の体で産むことに対しては不安しかない。だから、養子や里子についても少し調べたよ」ということだけ伝えた。夫は「調べてくれてありがとう」と言ってくれた。「そして子供が欲しいという気持ちは今のところ高まってはいない」とも伝えた。

この話をしてから、自分の中で気付きがあった。

もしかしたら私は「産む」ことに対してかなり抵抗があるが、「育てる」ことに対しては「産む」ことよりも抵抗がないのかもしれない。どちらかというと世の中では、お腹の中に自分と愛する人の子供がいるという体験、自分の体から生まれてきた子供に対しての愛、血のつながりのようなものを求める人も多いように思うが、私はあまり気にしていないようだ。思えば、夫となんて血のつながりは微塵もないが最高に愛しているし、家族としてすでに数年間暮らしている。夫の家族に対しての気持ちも、家族そのものである。

もちろん自分たちの遺伝子を分けあった子供が欲しい、という気持ちも大切だと思うし全く間違ったことではないと思っている。ただ、私個人で言うと、家族が欲しいという気持ちがベースだとしたら、血のつながりはどちらでもいいのだろうと思った。

実際、夫の弟さんは里子である。でも、夫の家族や弟さんと接するかぎり、何の疑問も持ったことがないし、明るくて純粋な弟さんは私も大好きだ。夫も弟さんの存在があるから、結婚前の話でも特に抵抗はなかったのだと思う。

これも少し調べてみると、日本は養子や里子の件数が先進国ではかなり低い。無理もない。未だに家父長制の残り香がそこらじゅうから香りまくる日本なのだ。でも、それこそもっと昔の日本では跡継ぎのために養子を迎えることも多かったと聞くので、現代の「自分たちの子供でなければ」というような考えはどこからやってきたのだろう。

私の中の子供欲しい%は未だに上がらないけれど、夫と一緒に「人を育てる」という経験は何にも変え難いことかもしれないな…とぼんやりと思い始めた。

産むことと育てることって実は全然違うことかも?について、もう少し考えたい。

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