ご挨拶(主催者ではない)

はじめまして。光栄なことに、仲村様に勧誘していただきました。欣喜雀躍。わたくしは主に本の下らぬ感想を投稿していく予定です。取扱はほぼ和歌と入試国語と夢野、末尾に雑談。余力がありませんので、先行研究や専門書に依った真面目な考察はできません。


と言いましても、最早感想と言えるのであろうか、こりゃあおまえ、覚書だろうよという風になりそうです。和歌に関しましては、この言葉が良いだの、この表現はよく見るだの、この花・地名・枕詞の縁はなんだのと喜び、面白がっているにすぎません。掛詞に気付かなかった己の阿呆な脳味噌に鞭を入れたり、縁語に気づいては嗚呼巧い!と大興奮したりしているだけでしょう。当時の迷信、慣例、引き歌なんかがありましたらとんでもない収穫です。
やはり三十一字の中に要素が多いせいです、和歌が学生に嫌われる所以でしょうか。金葉集はちょっと奇を衒った歌目当てに読んでいるのですが、こちらは初見だと意味が分からぬものも比較的多く感じます。和歌嫌いの受験生さんにお見せしたら頭を角で殴られそうです。仕方あるまい。

当たり前ですが、歌集を読む際は、愛する辞書、または便利なインターネット様にお願いし、ことばを調べながら読みます。わたくしが高校に通っておりました頃、安い!薄い!軽い!の三拍子で岩波の古今集なんかを読んでいましたが、あれは全訳が付いていませんし、注釈も僅かです。それはもう、読書というより読解でした。必死に助動詞を覚え、やっと読解に入った学生が読むにはあまりにも不親切である。まあ無駄がなく、いい色ですし、思い出の本です。

一方で、注釈が手厚いものも嬉しいことに手がかかります。新古今集は大体二千首ですけれども、注釈に本歌・類歌が載っておりますので結局その数倍は読むのです。やっと恋部を抜けましたが、通学時間だけでは有り得ない程年月を要しました。
つらつらと弁明しておりますが、どうゆこうが歌集を読むことに知識の吸収はつきものだということです。要は感動を伴う勉強ですので、ぽつぽつとした感想しかお出しできません。せめて、夢野久作関連は、もう少し、まともな、文章を、綴るように!だって三十一字じゃあありませんから、さすがに不公平でしょう。

さて、当の夢野久作全集はちょっと猟奇的な絵をした箱の、やや古い全集です。欲しい巻だけ中古で購入しました。そうしましたら、一巻に月報がついてないお詫びとして、おまけするなんて言って頂きまして、久生十蘭の短編集を貰いました。わたくしは好きな和歌はおろか、それ以降の作家さんにとんでもなく疎いもので、全く存じ上げませんでした。こいつは夢野が読みたいのなら傾向が似た奴を選ぶかあ、と判断なされたのでしょうが、恰好良いものです。

似た話で、古本屋も素敵です。綺麗な全集やら大系が菓子のような値段で購入できました。このような運命的な出会いをしておりますと、新品で買うのが馬鹿馬鹿しくなってくるのでありますが、なるほどそれは本来わたくしが真っ先に感謝し、信頼すべき出版社への裏切りでもあります。学生なのでお許しくださいませ。
話を戻しましょう。十蘭は一先ず昆虫図だけ読みましたが、まあ気分が良かったです。蛾の目(羽ですけれども)や腐敗臭が本からぐじゃぐじゃと這って出てくるかのようです。あの短さでこれかい。よいことだ。ドグラ・マグラの某絵巻製作に似たものを感じます。

わたくしは、アングラに惹かれる単純な若者として夢野の作品を読み始めました。どうしてもそういった売り文句、二つ名で宣伝されていますから。短いと聞きましたので、瓶詰の地獄が最初です。そうしてざっと読みましたら手紙の順番はちょっと鍵になっていますし、かと言えば矛盾にも見えますし、あら、なんだかきちんと推理風じゃあないですかと驚きました。ふたりの生きる世界が地獄というよりは、それを読んでいる我々ないし捜索者、親族たちが真相を知り得ないことへの、渦巻く不安のほうが爛れたジャム漬けの地獄という感じに思われます。極論、船も瓶も全て疑わしいので、読者もあの世界の人間も特にはおらず、ただ兄妹の純粋な地獄(禁忌や幻覚や欲望)が詰められているというだけでも好ましいです。まあ、概念的な話にはなりますけれども、……。

妹の肉体的美しさへの眼差しも、直接的すぎない程度で魅力的でした。その後もう少し短編を読み漁りまして、あくまでこれは個人の感覚ですけども、夢野久作のエログロの類、ちょっと様子のおかしい描写について、わたくしは作品の中でエッセンスとして軽く消費することができませんでした。おお、あの作品は猟奇的だよ、ガハハ!なんて、アクセサリーのように消化できれば、アングラ・ゴア系を好む人たち(尖っていて、ステキに見えますね。こればかりは本当です。)のように捻くれ、小洒落た若者になれましたでしょうに!しかし、今思いますと、意を決し全集を購入している時点でそれは諦めるべきだったのですが。
作中、狂人や女は異常に求心力を持った存在として出てきますので、それは公共の施設で彫刻や裸婦像の女なんかを見ている時の心地よさに似ています。惨さよりも、美しさとその存在に圧倒される己の痛みが人間の肉体的美(つまり、命でしょうか?)を求める本能を見ているようで心地が良いです。グロテスクではないのですが、破壊描写が露骨な微笑なんぞは一番それに近い気がします。短いですが一番共感します。美しいものには勝てません。

初心者ですから、この感覚は変わるかもしれません。ただ、集大成のようなドグラ・マグラでも女や解剖の描写は魅力的でしたので、既にわたくしのこの感覚は根強いでしょう。あれは博士によれば遺伝ですので、強調されていることを忘れてはいけませんが、……。なにか思うところがありましたら、ええ、迅速に撤回させていただきたく存じます。
ドグラ・マグラですが、人にはそれぞれ読み方がありますから、ある方には長ったらしい気の違った文がお辛いでしょう。ただまあ、ありゃあ発狂なんぞしません。トンチキチャカポコ横文字歌唱で疲弊するのでしょうが、まだ序盤だった気しますので通り抜けて頂きたい。論文やら手記を入れてしまう型の作品は個人的に好きです。
世界観は夢野、僅かに謎解きパート、構造がやや複雑で面白く、時間と空間はぼんやりとしているものの、テーマはごく究極的な作品かと考えております。発狂するなら時計の方です。読了感を求める方には向いていなさそうです。(余談:唯一私が幼少期から購入しております現代の作家に森見登美彦氏という方がいらっしゃいますが氏の『熱帯』は穏やかでコミカルにも関わらず構造で発狂しかけました。よろしければどうぞ。)


ところで、一切の需要もないプロフィールには記載しておりませんけれども、メタフィクションなるものに個人的に興味を持っております。ゲーム作品なんかでは時折用いられる手法でしょうか、私は物語の破壊の手段になりかねないこの概念が非常に好きです。最近のライトノベルなんかでは当たり前の視点かもしれません。メタとは違うかもしれませんが、これを通じ、ドグラ・マグラにドグラ・マグラが登場したことをもう一度理解しておきたいです。国内の有名な方ですと筒井康隆氏を読まねばなりません。こちらもまたいつか投稿できれば良いのですが。


長くなりましたが、仲村様に感謝すると同時に、また同好会マガジンに関わるこれからの皆さまにご挨拶と発展の祈願をさせて頂きたく思います。お世話になります。
最近は梅雨の恵みにより、お庭のかわず様たちがげこげこ、げこげことお元気です。放置していた器の中に大量にお子様を解き放っており、このままでは騒音騒ぎでオールナイトになってしまいますから、安全なところへご出立予定です。(@shirasugeno)

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