花が開くのを観た話

はじめに

この記事は自分の持つもやもやを吐き出すための記事で、誰かに読んでもらう事を想定していない。
特定の誰かに届くのをむしろ忌避するものなので、できる限り言葉を濁して書く。
そんなものを何故書くか、というと、自分がそれを吐き出さずに心の中に留め置くことが、今後のしこりになりそうだったからだ。
きっと自分は後から何度でもここに戻ってくる。そんな気がする。

本文

結論から書くと、私は特定のモノに対して、こうだ、と持っていたイメージを突き崩され、壊された。
いい方向なのか、悪い方向なのか、今はそれすらわからない。
感情が入り乱れて、整理ができないためだ。

今まで、そこには今にも咲きそうな不可解な蕾があった。
それは、ちょっと不思議だけど普通の蕾だ。
周りの人間もみんなでそれを見ていた。
その蕾がどうなるのか?を観続けてきたつもりだった。
だってそれは、いつか花になると思っていたから。
その花が開くのを楽しみにしつつ、私は観ていた。

結果花は咲いた。
けど、花が咲くって事がどういう事か、私は自分で理解できていなかったし、その花が不可解なものであるという事を忘れていた。
私はてっきり蕾がそのまま花になるのかと思っていたが、別の房から新しく花が生えてきた。
どちらも同じ所から生えているものではあるが、それは別のものだ。

私はその新しく咲いた花を、同じ種類の花と認識することができるし、素敵な花だと思う。
だけど、それは私が心の中に置き場所を作っていた蕾とは違う花だった。

自分の中でその蕾が締める範囲が大きかったこともあって、新しく咲いた花に衝撃を覚えつつ、
「もともとの蕾はどうなるのだろう?」
「何故蕾がそのまま咲かなかったのだろう?」
「鉢植えがなくなったのは理由があったのかも?」
という困惑と疑念でいっぱいになってしまった。

結論として、私が見ていた「ちょっと不思議な普通の蕾」は造花だった、と言われたような気がした。
その認識が正しいのかはわからない。
多分違うんだろう。
どちらも正しくその樹から生えた花であるため、どちらも生花せいかなんだろう。
そう信じたい。
だが、私にとっては「その樹を含めて」が一つの蕾だったつもりだった。

だから、今後その蕾がどうなるのか?を私は観続けることになるんだろう。
その蕾が造花でないことを確認するために。
もし造花であったとしても、前提も結果も何も変わらない。
ただ私の蕾に対する向き合い方が間違っていたのだ、と気づかされるだけだ。

私は、その蕾から「そうだよ」と、元気をもらっていた。
蕾の横から咲いた花が「そうなの?」と私に問いかけてきた。
そんな気がした。
その先にあった、『もしも』が、突然私を襲った気がした。

私はその場における自分の在り方がひどく歪んでしまった
目の前の蕾と花を観るのではなく、見守ってしまった。

だから、私は今この文章を書いている。
あの時、自分がどう思ったのか、あの場において、私は何だったのかを整理するために。

私が「初めまして」を言えるのは、もう少し先になりそうだ。
だって、
お別れを告げるべきなのか
新しい友人ができたのか

私にはまだわからないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?