私と次郎_ののこさんの写真

2020年1月8日 相模原障害者施設殺傷事件の裁判が始まった


実は、いろいろな人がこの事件を考え、語り、今日ばかりは、報道もいろいろとあったことから、私は、今日この日感じたことを、書いておこうとは思っていなかった。裁判が始まろうと、その内容がどうであろうと、私のすることは決まっている。障がい者と健常者の間にある壁をぶち壊し続けることだけだ。

お風呂に入って、湯冷めしない間に寝なければ!という今になって、ふつふつと湧いてくる感情があった。怒りだ。口に手をあてて、うおーっと叫びたいほどの怒りだ。

それは、裁判が終わって、事件のあった施設の施設長の記者会見を思い出したからだ。

裁判中に取り乱した容疑者に対して、「なんと愚かな」というようなことを言ったのだ。

報道をあまり見ていない方に説明すると、容疑者は、裁判が始まって15分くらいで、関係者に対する謝罪の言葉を述べた後、口に手を突っ込むような様子でうわーっと叫び、取り押さえられて、一時休廷になったということだ。その後、容疑者不在で裁判は続けられたということだった。夜になってのニュースでは、小指を噛もうとしたという表現もあった。演技では?というようなことを言うキャスターやコメンテーターも居たけれど、私はそうは思わない。冷静でなど居られないだろうと思うからだ。その様子を見て「なんと愚かな」という感想を持つ施設長は、愚かでない人間なのだろう。

私は以前、施設長の手記を読んで、スマホを取り落とすほどびっくりしたことがあった。そこには、つらつらと、「なぜ事件が起こってしまったのか?私たちの時間は止まったままだ」とか書かれていて、その見事な被害者面に、びっくり仰天したのだ。

他人事。

その鮮やかな身のかわし方に、その心ない言葉に、身の毛もよだつ思いだった。

その記憶と、今日の会見が重なって、私は、うおーっと叫びたいのだ。

施設長個人に対する感情ではない。この社会がそのようにふるまえる人で成り立っていることに対する怒りだ。

「私には責任はありません。」という人たちで成り立っている社会はへどが出る。

「私にも、責任の一端があるのではないか?」という問題の立て方をしなければ、なにも、自分事として、考えることなど出来ないだろう。

容疑者ひとりに罪を負わせて、殺して(極刑)終わり。そんな社会に生きていることが苦しくてならない。

私が心から願うのは、これ以上、人が人を殺すようなことのない社会になってほしいということ。しかし、そんな願いと裏腹に、このままでは、介護殺人は確実に増えてゆくだろう。介護施設の非人間的な扱いに、心も体も壊してゆく介護者。そんな施設は可哀そうだと家族で抱え込んで、殺しそうになっている家族の介護者はいくらでも居るだろう。実際に、今の日本では殺人件数は減っているのに、家族間の殺人は増えている。その理由も介護疲れなどで。


IQ18の次郎と二人暮らしの私には、次郎にとって私が一番危険な存在だという自覚がある。私も、疲れて追い詰められれば、何をするかわからないという危機感がある。だから、必死に次郎の自立の道を模索しているのだ。この危険な親である私から、次郎を引き離さなければならない。

けれど、それは、あたりまえの生活を、あたり前にさせてあげたいというだけの、ほんのささやかな夢だ。

そんな夢すら、ことごとく打ち破られ、いつも露頭に迷っている。

私は時々次郎に言う。「笑って死んでやろうかと思うんだよね」と。
次郎はすかさず、『ボクは、死ぬのは嫌だ。』と言う。
私が「それはそうだよね。生きてりゃいいことだってあるかもしれないもんね」と言うと、次郎は盛大に「あはは」と笑って、私を笑わせてくれる。

あ、死ぬなんて怖いことは、とてもとても出来ないので、ご心配には及ばない。本当に死のうという人は、誰にも気づかれずに実行するので、死にたいとも言わないものだ。死にたいということを言う人は、生きたいと思っている人だ。

※ご指摘頂いたので、「死にたい」と口にする人が死なないと言うことではないことを付け加えます。死にたいほど苦しい状況を、ほっとかない社会でありますように。


どうか、これ以上、社会が、障がいのある人に無関心でありませんように。
どうか、介護に携わる人が、人として大事にされますように。
どうか、社会保障の為に!と作られた消費税が全額、社会保障の為に使われますように(そうでないなら、消費税は廃止されますように)。

何年か先に、「あの事件で、皆が目覚めたんだよね。」と言える社会になりますように。

皆が目覚めた社会というのは、非人間的な状況に目をつぶらない社会だ。

あまりにも、見たくない状況の広がる世界は、人々の視野狭窄を招くけれど、どうか、目を見開いて見てほしい。

そんなにむつかしいことではないはずだから。

あなたの優さを思いだすだけでいいのだから。

それは、気持ちよく幸せなことだから。


最後に、19人の死を無駄にしない生き方をすることを誓って、筆を置くことにする。


書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。