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次郎が教えてくれたことシリーズ③人の言うことが出来ない次郎が幸せな理由?!

IQ18次郎は、買い物が好きで、一人で買い物に出かけ、お買い得品を見てまわり、メニューを考え、必要なものを買ってくる。そして、料理も好き。気づけば、餃子を包むのも上手になったし、味付けだって、結構いけてる。

『よく、そこまで、出来るようになりましたね!!』というのが、多くの人の反応だ。

私が心掛けたことは、ただ一つ。

何も教え込もうとしなかったことだけだ。


障がいによって、特性も違うから、一概には言えないけれど、次郎を見ていると、教えられたことを、覚えることが苦手なようだ。真似てなぞることも苦手だ。ラジオ体操も真似て同じような動作が出来ないし、文字も数字もなぞって書けるようにはならなかった。お風呂で体をなぞって洗うこと。濡れた体をタオルでなぞって拭くことも出来ない。歯磨きも、歯をなぞれないから、一部しか磨けない。

出来ないことを書き始めると、出来ないことだらけだ。

いくらやっても出來るようにならないから、私は教えることを止めた。

そうそう、私はつい「何も教え込むことはしなかっただけ」なんて、かっこつけて言うけれど、なんのことはない。教えて出来るようになったこと、がないのだ。

例えば、次郎と一緒にお風呂に入っていた18年間、毎日毎回、お風呂上りに、「♪お手て拭いて♪肩拭いて♪お腹拭いて♪お尻拭いて♪タオルを伸ばして♪背中フキフキ・・・・」と自作の歌を歌いながら教えたけれど、出来るようにはならなかった。

私が、変形性腰椎症で、次郎の入浴介助が出来なくなってから、ヘルパーさんに介助をお願いするようになった現在も、次郎は体が洗えないし拭けない。気づけば、水滴を背中いっぱいに付けたまま、シャツを着ようとしている。思わず「風邪ひくよ!」と声をかけるも、本人、さっぱりなんのことやらだ。


『教えれば出来るようになるなら、苦労はしない。』これは、多くの知的障がい児の親が思っていることだと思う。なかなか成果が得られない。

これを逆にして考えると、『苦労しないためには、出来るようにしようと、教えないこと。』めっちゃ、思い切ったこと言ってるなーと自分でも思う。しかし、少なくとも、親が苦労することを止めることは、子どもにとって、ハッピーなことではないか??

次郎が学校教育を受けているときに、私が保護者として、『出来ないことは、出来なくていいです』と言っては、驚かれてきた。熱心な先生に「お母さん、諦めないでください。がんばりましょう!」なんて言われもした。『諦めてるんじゃない。次郎の出来ないことより、出来ることに注目してほしい』と思ったものだが。説明する言葉を持たなかった。


今になってこんな説明ならわかるかな?ということがある。

それは、人間のIQ(知能指数)を、パソコンのGB(容量)と置き換えるのだ。

単位はなんでもいいけれど、IQ18が18GB(ギガバイト)としよう。IQの平均は100だ。IQが140もあれば天才と言われる。それを、100㎇や140GBと想像してみてほしい。次郎の場合、少しの容量18GBしかない。

周りの大人があれもこれも本人の為にと、様々なスキルをインストールしようとしても、なかなかインストール出来ない。

しかし、次郎は大好きな買い物や料理は優先してインストールした。誰に教わったわけでもなく、まな板を欲しがり、食料品売り場で粘った。私にしてみれば、困ることでもあった。次郎は、私を困らせながら、買い物や料理のスキルを上げていった。

やはり大好きという気持ちが、18GBしかない容量を最大限に有効活用する動機ではないだろうか。

そして、その大好きなことをすることこそが、幸せではないだろうか?

そう、何かが出来る出来ないが問題なのではなく、

好きなことが出来ているか、出来ていないか?が最重要課題ではないか?


自分を振り返っても思う。
私は、子どもの頃、まあまあ、いろいろなことが大人の言うように出来た子どもだった。出来たがために、出来ることが当たり前で、褒められたこともない。食糧難を経験した親に育てられたので、何でも食べられることは必須だったから、好き嫌いがない。好き嫌いがないというのは、良いように言われるけれど、嫌いもないかわり、好きもないのだ。今だ、好きな食べ物を聞かれて困る。食べられればなんでもいい。
食べ物に関係なくとも、自分の好きを言うことはわがままで、わがままを言ってはダメだと教えられた。そして、私は教えられたように出来た。

結果、自分で思うのだが、私は幸福感が薄い。生きるのが、少しうっとおしい。(この辺の話は、教育勅語にもかかわる話しなので、改めていつか書きます。私は教育勅語はNO!と言いたい)

私は、自分の幸福感の薄さが子どもに移らないかと心配をしてきた。

毎朝、新しい一日をワクワク始める子どもたちの目の前で、私はどんよりとした一日を始める。子どもたちが、そんな私から自立して、自分の人生を歩み始めてくれることは、心配が減ることだった。

けれど、相変わらずどんよりとした私のところに次郎は居る。

こんな私と25年も一緒に居るのに、ハツラツとした次郎の一日が始まることに心底ほっとする。

次郎が私の憂鬱をなぞり覚えることがなくてよかった。


人に言われたことが、出来ることなど、クソくらえ!!

自分の好きなことが出来ていることが、幸せなのだ。


だからだ。

次郎はいつも幸せそうな顔をしている。

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。