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『風姿花伝』600年変わらない芸事の真髄

音声で聴きたい方はこちら。

世阿弥の『風姿花伝』を読んでのちょっとした学び。

サクッと、おもしろかったところを共有してみます。
ちなみに、『風姿花伝』は600年くらい前に書かれたらしいです。すごい!!


本書に、年齢に応じた稽古の仕方が書かれている部分があるのですが、24、25歳について、このように言っています。

この時期は、声も安定してきて、名人相手の芸比べに勝つこともある。でもそれは珍しがられて勝ったに過ぎない。
しかし、それで観客も喝采し、自身も得意になる。

こういうときこそ、初心の賜物と認識するべきなのに、あたかも芸を極めたように思い上がり、早くも見当違いの批評をしたり、名人ぶった芸をひけらかすなど、なんともあさましい。

辛辣ですね。

「たまたま勢いに任せてやったらうまくいって、調子に乗ってしまう」
現代でも普通にありますよね。

ここを読んで、「600年前から変わってないのか!」とめちゃくちゃ笑いました。

そして、世阿弥さんは、こんなこともいっています。

人によっては、この一事を最後に消え失せてしまう

あるある過ぎる!

じゃあどうすればいいの?

世阿弥さん曰く、

たとえ人に褒められ、名人に競い勝ったとしても、今は珍しがられているだけだということを認識して、こういうときこそ達人に細かく指導を受け、一層、稽古に励むべきである。

とのことです。

当たり前に聞こえるかもしれませんが、多くの人が納得するところではありますね。


もうひとつ興味深いと思ったところは、「期待値コントロール」についてです。

世阿弥さんはこのように言っていています。

「さあ珍しいものを見せてもらいましょう」と期待している観客の前では、どんなに珍しい芸をしたところで、見ていた観客の目に「珍しい」という感覚が生まれるはずがない。
油断している相手に素晴らしいものを見せるから感動が生まれる。

これまた現代にも通じる話で、いわゆる「期待値コントロール」のことですね。
芸事を論理的に紐解いていくと、こういったところに行きつくのか、という普遍性みたいなものを感じました。

このことから考えると、
「ねえ!おもしろい話があるから聞いてよ!」とか言っちゃダメなんですね。


最後に、個人的に刺さった部分を意訳して書いておきます。

老いたことで、若いときにできていたことができなくなったとしても、その時々で気持ちを新たにし、そのときにしかできない芸を極めていくのがよい

「世阿弥」というと、歴史の教科書とかでは、「能を大成させた人」のように、たったの一行で説明が終わっている印象があります。ですがその著書に触れると、一行なんかじゃ収まらない学びがあることに気がつきます。

知らないだけで、まだまだおもしろい人たちっていっぱいいるんだろうな。

何かのお役に立てれば幸いです!

ではでは!


こちらは、FiNANCiEというサービス内「sloth with creators (SWC)」に投稿した記事を、加筆修正したものです。

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