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自己肯定感を上げるために

はじめに

ここ最近、"自己肯定感"という言葉をよく聞く。
「自己肯定感が低いと悪循環に陥るから自己肯定感を上げていこう」だったり、「自己肯定感が高い人のこんなエピソードがあって見習いたい」みたいな文脈が多いと感じる。
では、自己肯定感を上げるにはどうすればいいかを考えた時に、月並みながら"他者も肯定すること"が鍵になると思っている。

この話は結論だけ言うと以下の2つに要約される。
①自分の成し遂げたことを評価しよう
②他者の成し遂げたことを評価しよう

では、この2つの結論にどのようにして行き着くかを体験談、具体例を示しながら説明していく。

①自分の成し遂げたことを評価する

まず、現代において"自分の成し遂げたことを評価する"ことが難しくなってきている。
なぜかというとインターネットにより他者の頑張りが表面化されやすくなったからである。
学校のクラスでチヤホヤされるくらい絵が上手い人もインターネットに舞台を移せば自分より絵が上手い人が五万といるという状況、これがすべての特技において発生している。

数字で考えると例えばスマブラSPで脱初級者とされるVIPはボーダーが上位5%とされている。
私(26歳)が小学生の頃は男児は全員スマブラ64,DX,Xのいずれかは確実にやったことがあった。仮にある小学校のある学年に100人男児がいるとしてその100人の中で五本指に入る実力を持っているとする。
所謂、"地元最強"に近い立ち位置になるが、これがネットに放流されるとただの"脱初級者"扱いである。
このように"地元最強"というのが土俵を変えるだけで"脱初級者"になってしまうのがインターネットの力であり、SNSの発達により表面化されやすくなっているのである。

ある分野で上位5%以内に入るというのは一部の天才を除けばかなりの訓練が必要な領域なのである。
しかし、SNSでわざわざその特技に取り組んでいる事を表明して、仲間を探しているような集団は確実に全体から見た偏差値50を超えた集団である為、度々その上位5%という本来輝かしい実績が当たり前のスタートライン扱いをされたり、やっと達成したことを自虐に使われたりしてしまう。

正直、これについては自分にも心当たりがある。
完全な自分語りになってしまうことを前置くが、自分が入れた高校や大学の合格を当たり前にできたことと勘違いして、それよりも難易度の低い大学に入った人達を軽視していた事があった。

なぜこのような愚かな軽視が起きてしまうかというと単純な話である。
「自分が成し遂げたことは簡単だった」
→「それも成し遂げられない人は未熟」

という思考をしてしまっている。

この思考、まず「自分が成し遂げたことは簡単だった」という認知が歪んでしまっている。
例えば、自分の具体例で考えるなら、中学時代は部活に入らずに勉強時間を確保した上で、普通の中学生を越える量の勉強を1年生の頃からしていた。それだけの努力があって成し遂げたことだった。

周りを見ていても達成した途端に「○ランクまではお遊び」みたいな発言が飛び交うが、当然それはある程度の努力をしてそのランクに到達した人の言っていることであり、「もっと自分が成し遂げたことを評価してあげて欲しいな」と常々感じている。

②他者の成し遂げたことを評価する

これについては"自分の成し遂げたことを評価する"の裏返しにある行為だ。
「自分が頑張って出来たことを他者が成し遂げたら凄いなと思う」「自分がまだ出来ていないことを他者が成し遂げたら凄いなと思う」、それだけの話である。

この時、重要なのは以下の思考を避けることである。
「この人には出来ているのに自分は出来ていない」
→「自分は才能がない」

まず、他人が成し遂げたことも努力の末にあることは先程説明した通りで他者についても同様である。そこで「自分も多少時間はかかろうが努力さえしてしまえば近い領域まで辿り着けるだろう」と考えるのが得策である。

しかし、中には例えば「○時間(短時間)のプレイで○ランク(高ランク)に到達しました」という自己肯定の仕方をする人もいる。
実力上げの効率が良いのは認めるし、もうこれは素直にこの人の才能を認める他ないが、自分に才能がないと凹む必要はないと思う。

極端な例えになるが、将棋を知らない藤井聡太と私に100時間与えて将棋の訓練をして対局したら藤井聡太が勝つに決まっている。
この事実に凹む人がいるだろうか?当たり前過ぎて凹むこともないと思う。

藤井聡太クラスの天才がSNSにたくさんいるわけではないにせよ、それに準ずるレベルに才能を持っている人は度々見かけるし、そういう人は目立つ。
相対的にその人よりは自分の方が才能がないというのは事実とはいえ、「自分に才能がない」と考えるよりは「あの人は才能があるなぁ」と捉える方が健全である。

おわりに

この記事を書いている時に思い出した歌詞がある。桜高軽音部のDon't say "lazy"の一節である。

大事なのは自分 かわいがること
自分を愛さなきゃ ひとも愛せない

Don't say "lazy" 大森祥子

当時この曲を聴いた中学生の私は「自分を愛さなくても人は愛せるだろ」と思っていたが、大人になって何となくわかった気がしている。
一番身近な存在である自分の良いところを見つけられなければ、他人の良いところなど到底見つけられないということなのである。

今回も備忘録的に10年後に自分が読んだらどう考えるかなという想いで書いた記事ではあるが、誰かに何かしらのきっかけになれば幸いである。

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