HiGH&LOW THE WORST以降のファンたち~轟は村山のストーカーなのか(1)

まずは長々とHiGH&LOW シリーズの鬼邪高への雑感を書き記してみた。

最後の章までは読み流していただきたい。

1/3「HiGH&LOW 」鬼邪高の村山との出会い

筆者がHiGH&LOWに出会ったのは2016年頃。熱烈なLDHファンである家族に勧められたのがきっかけだった。

筆者はライダーや戦隊ものといった特撮が好きだ、出演俳優にも見覚えがあった。

なるほどゴーカイブルーじゃないか、そこがSWORDのO、鬼邪高、村山良樹への贔屓のはじまりだった。

村山は当初やられ役だった。鬼邪高は悪役からスタートしたと思う。仲間を想う主人公のコブラにはタイマンで負けてしまう。

しかしなんとも格好良かった。不良漫画を読んで育った筆者には、悪役にはじまりタイマンで打ち負かされ挫折から立ち上がる漢、というのはとんでもなく魅力的な展開だった。

容貌はゴーカイの時のようなクールイケメンではない、ぬるっとして不気味な少し陰鬱なヤバそうなやつ、ギョロリとした目、絶対に街中で出会いたくない。不良漫画のセオリーである強敵コブラに負けて善化する展開はすぐには来なかった、村山はひとつ挫折してまだまだ燻っていた。

その目が開いたのはドラマ2の後半だった。

転校生、来(きた)る。

なるほどなるほど、敵役として役目を終え、今度は悩める主人公として新たな敵役であるこの転校生を打ち負かす。

コブラに相談する村山はもう悪役の顔をしていなかった、そしてこの転校生をギリギリで打ち負かす。倒されていた仲間たちも大いに沸く。仲間の大切さに気付いて完璧に善化した村山良樹の誕生だ。

そして映画、HiGH&LOW THE MOVIEへと続いた。

この時点で筆者は、この敵役であり新たなかませ役である転校生をのことをそれほど意識していなかった。ラストで九龍にやられ校門前で倒れる彼は、番長村山に負かされた上に、さらに鬼邪高としての「負け」の象徴として画面のなかにいた。(実際、演じた俳優もインタビューで轟は村山のかませ犬、として演じていたと語っている)。

打ち負かされて消えていく、ひとつの装置なのだと漠然と思っていた。

しかしそうではなかった、映画で彼はモブの中に埋もれることなくダンプカーの上にいた。

轟、轟洋介…全日制の生徒…、なるほど彼もSWORDのOのメインメンバーとして、鬼邪高の仲間として確立したのだなと。

しかし、しかし、またもやそうではなかった。

轟洋介は次のHiGH&LOW THE MOVIE2以降からすっかり姿を消してしまう。

HiGH&LOW シリーズは登場人物も多く、作品によってはほとんど焦点が当てられない勢力も多い。LDH作品なのでLDHのメンバーは見せ所があるが俳優勢まですべてカバーするのは難しいだろう。

鬼邪高、村山は役回りとしても見せ所としてもシリーズを通してかなり優遇されていたように思う。毎作品強く印象に残る。シリアスの中で三枚目的なおどけた要素になり、喧嘩のシーンになると特徴のある漫画っぽい戦い方をする、怖くて楽しいキャラクター。

不気味で陰鬱な悪役の村山が、顔は怖いがハチャメチャに楽しい喧嘩番長村山になったのは嬉しかった。

後から知ったのだが、これには鬼邪高の俳優たち、山田裕貴さん、鈴木貴之さん、一ノ瀬ワタルさんたちの「なんか悔しいな。咬ませ犬じゃん!」からはじまったプライドをかけた演技が成した成果だったというのも熱い。

そしてファンがずっと熱心に盛り上げた成果だとも思う。

当初LDH目当てだった勧めてくれた家族も、いつしか筆者と同じ鬼邪高推しの村山ファンになっていた。

ここまでが、「HiGH&LOW THE WORST」以前の所感だ。

2/3 そして鬼邪高主人公「HiGH&LOW THE WORST 」へ

そんな人気の高まりからか、まさかの鬼邪高が主人公になるという。しかもクローズ ワーストとのコラボ。重ねて言うが筆者は不良漫画で育ってきた、こんな熱いコラボがあるか?LDHの力に感謝。

じつは、HiGH&LOW THE WORST EPISODE.Oの時点では村山が主人公ではないことに少しばかり落胆していた。ドラマでは喧嘩シーンもないため、期待していたアクション…ゾンビでコワモテヒーロー村山がバチボコに殴り合うということもない。かつて打ち負かされた相手のコブラが助太刀に来るなどといった胸熱展開もない(相談相手になっていたのはちょっと嬉しかったが。)

鬼邪高校という校舎の中で新なキャラクターたちは全日制のアタマの座を狙って小競り合いするのだが、なぜだかタイマンは始まらない(結局映画も、全日制の中ではタイマンによる勝ち負けは徹底して避けられていた。)

鬼邪高は定時制と全日制がある。村山は定時制、今回の主役は全日制だったのだ。しばらく全日制の存在すらうっすら忘れていたので驚いたが、クローズコラボならそもそも本当に高校生たちの喧嘩じゃなくてはならない。定時制で成人の村山たちではないのだ…そりゃそうだ。

ヤクザ九龍との戦いに忙しい村山たち、その時期に鬼邪高全日制はどうしていたか…それがこのドラマだった。

そして再登場したのが彼、轟洋介。

数年間その姿が消えていた彼だ。筆者は、轟は村山に打ち負かされたあとは仲間、または手駒のような位置になったのではないかと思っていたがそうではなかった。

村山にタイマンを挑むという。

あらすじは割愛するが、轟は村山に服従はしておらずドラマの中で全日制は定時制から切り離されていた。村山の下について、コンテナ街の戦いで真に仲間になった、と思っていたがそうではなかったのだ。

これが、HiGH&LOW THE WORST を作るに当たって後付けされたものなのかはわからないが、轟洋介が数年間消えていたのは、村山によって切り離されていたからだ。

思えば最初のタイマンの時には轟は15歳か16歳ということになる。轟が村山とほとんど互角に戦っていたので強さだけでいえばOの戦力として重宝しただろうにそうはならなかった。全日制だからダメ。村山は新しく入ってくる全日制の一年生を気にしている、今後も轟のような生徒が現れて、轟のように抗争に付いてくる可能性がないとも限らないからだろうか?制作の事情としてはクローズコラボにあたって全日制の中でキャラクターを増やして回すためだろうか?

他勢力にもかなり若そうなメンバーがいるのでそれを問題にするのか?と思ったわけではないが…。

そもそもハイローの戦闘キャラクターたちはみんな、成人と言っても九龍に言わせれば「ガキども」でありコブラをはじめ「大人になりきれていない大人」が大半で、学ランを着て学生を名乗る村山などは特にその筆頭だ。大人になれていないことを、本当の本物の子どもである轟の出現で自覚した…という構造になっている。これ、最初から考えられていたのだろうか?村山がずっと卒業卒業、と言っていたがそれをTHE WORSTに繋げるのが上手すぎる…。

重ねて言うが、クローズコラボのために存在を復活させて後付けされたものかもしれないが、ドラマではそうやって辻褄を合わせていた。

そして、かつて悪役だった村山たちもそうだったように、悪役として登場し負けてしまった轟。彼の不幸は、村山が轟に勝ったように次に何者にか打ち勝つ展開が用意されないまま、SWORDのOの仲間にもなれないまま消えてしまった事だ。そんな轟洋介のファンたちが何年も途切れることなく応援していたというのを俳優のインタビューで知った。ここでも鬼邪高はファンに生かされた。

鬼邪高は間違いなくファンによって押し上げられた存在だと、筆者は感じた。ファンがいなければシナリオに恵まれなかっただろうと思う、それは村山も轟もだ。

THE WORSTで村山が卒業することも、轟が帰って来たことも、鬼邪高ファンにとってこれ以上ないファンサービスだ。

一方で、LDHの申し子楓士雄が天性の主人公として現れたことで轟はもうチームのアタマとしての主人公にはなれない。そして定時制と全日制の線引きはクローズ世界とSWORDの線引きであり、轟はこれでもうSWORD世界から消えてしまったな、とも思った。轟は、SWORDのOではなく鬼邪高校全日制の最強の助っ人として完成した。結局、轟は村山に勝てなかったし作中で主人公楓士雄とタイマンしなかった、永遠に助っ人のまま。

村山が轟を打ち負かしたあとに、ナンバー2として轟を重用していたら大いに役に立ち案外楽しくやれていたんじゃないか、SWORDの中で使い道があったのではないか、と思うとやはりこれも勿体なく感じる。が、キャラクター整理で消されていた轟がクローズコラボのために帰って来たのもまた事実なので、非LDHの轟が主人公にはなれない以上、結果的にはこれが落としどころなんだろう。

映画のあと、またドラマepisode.0に戻って考えてみる。

ドラマで村山は、先輩として大人として自覚したので「自分に似ている」轟にも同じような気付きを得てほしくて説教する。割と厳しく叱るが、轟に直接的な指示がないので何をどうすればいいのかいまいち伝わらない。結局なにをすべきだったのか筆者にもいまだわからない…。とにかく、村山は轟に対してなにか明確な「こうなれ」という理想を持ち続けているらしいのだが…。

轟は一応、説教される以前にも行動はしているが(八木高の一件はなかなか熱い)、どう考えてどう動いているのか説明しないので人には伝わらない。八木高と揉めた生徒に「なんで揉めた?」と理由を聞くが答えに理由などなかった…どうすりゃいいんだ。そして村山が期待した形で結果が出ていないのでそれはもう、厳しく叱られた。叱られている時、わからなくなってる轟は見ているのがちょっと辛い。

轟以前に全日制の頭だった辻と芝マンもまた、二人きりで派閥もなくただ一番強いだけであり、不良たちをまとめようとはしていなかった。そもそも全日制アタマとしての形には正解がなかったのではないか…?

定時制の生徒たちは村山がコブラに負け轟に勝つことで壁を乗り越えたあと、その変化を察して自分たちも勝手に組織意識に芽生えて付いてきた。村山が周りを見た時に、同時に周りが変わっていたのは幸運だ。

しかし全日制の不良たちは、集団意識がない。学内、それも全日制内での強さを競う喧嘩集団としての一派しかない。対外的な組織意識がないので、定時制も全日制も関係なく「鬼邪高」を対外的にまとめたい轟とは見ている方向も単位も違う。轟にとって、全日制で一番を競うことも、他校と喧嘩して勝つ事も、全くの無意味にしか思えなかっただろう。轟はもう大義のあるSWORDの戦いを知ってしまっているからだ。「なんで揉めた?」「格下には興味ねぇ」…もう轟は子ども同士の大義のない喧嘩ではなく生き残るための戦いを知ってしまっている。

轟が大人みたいな背中と結果で語るやり方したところで全日制では意味がないと、村山は思っている。(それが高校生なのにできてるのが鳳仙というまとまりある組織なのだが…)村山にとっては子ども同士で一番を決める大義のない喧嘩がうらやましい。うらやましいので、それができる立場の轟にはそれをやってほしい…ただそれだけなのかもしれない…。

ただし村山は、他校(鳳仙)との河原戦では大義のない喧嘩を仲裁している。村山にとっては「一番強いやつ決めようぜ」という喧嘩の理由はセーフなので、大義があると思っている喧嘩でその大義が間違っているという意味で「大義がない」と言ったのかもしれない。あれが単純に高校同士のよくある不良のカチコミだったなら、大義がなくても村山はわざわざ止めはしなかっただろう。轟にとっても鳳仙戦は楓士雄云々だけでなく、あくまでも鬼邪高としての大義があるかさと思ったから参戦したのだ。

村山の言う、「自分はもうできないから君たち子どもは元気に喧嘩しなさい」というのもわかるし、意味のない喧嘩をする理由がわからない轟が混乱するのもわかるし、やり方が周囲と合わない環境の不幸もわかる。どちらも間違っていないのに収まりが悪い…どうしたらいいのか…と見ているこちらがムズムズとするのがepisode.0だ。

こんな頭ふたりが拗れた鬼邪高が、HiGH&LOW THE WORST の主人公花岡楓士雄の登場によってあっさりと収まるところに収まってしまう。超主人公力。生まれながらの主人公の登場だ。全日制は突然まとまってしまう、まとまる気などなかった不良たちが。

これは楓士雄のかなりチートな設定のおかげでもある。有象無象の不良たちを一応まとめている各一派のアタマは楓士雄の団地の幼なじみだ。中中一派は中学の後輩であっさり司一派と中中一派を継承する。孤高の轟一派を巻き込むことができるのも、辻と芝マンまでもが団地仲間という設定のおかげだ。(団地が便利すぎる…)。そして鳳仙という共通敵の登場。

結果的には、轟の生き方は否定されなくなり自分の能力を存分に活かせたし、村山から見て全日制がそれとなくまとまったことで安心して卒業できた。楓士雄、君が来てくれて良かった!

(正直、村山は自分の卒業にあたって全日制より定時制、すなわちSWORDのOの継承を気にかけるべきだったのでは?とは思うのだが…村山の卒業の決め手が、全日制にあったとはいまいち思えない。)

そして映画のあとから、村山と轟のこの拗れた関係性についてたくさんの記事やインタビュー、ファンたちの解釈を見ることになる。

3/3 轟は村山のストーカーだったのか?

HiGH&LOW THE WORST 通称ザワ、は思った以上に流行った気がする、いわゆるSNS層に。

たまにニチアサや特撮の感想を呟くか、仕事の愚痴くらいしか使い道のない自分のアカウントにも感想がリツイートされてきた。

ファンがザワを勧めるイラストの多さ、とりわけ女性には思いもよらないさまざまな要素が受けていたようだ。

筆者の認識はキョウリュウグリーン…塩野瑛久さん演じる小田島有剣などはそのキャラクターが大変に好評だったようだ。

そしてその容貌がウケたもう一人が、轟洋介。

この二人がとにかく女子から見て見目うるわしいと評判で、なるほど言われてみれば二次元然としているし、何より映画のなかでの存在感が突出している。筆者にとっても、とにかく突出して喧嘩が強いのが格好いいと思った。強キャラはいつの世も人気が出る。

同時に、以前の陰のあるあぶない不気味さからふっきれた、おどけながらも凄みもある不思議なキャラクター村山にもさらに新しいファンが増えたようだった。

感想や考察、ファンアートや二次創作が今に至るまで毎日リツイートされてくる。(筆者のフォロー界隈がザワ落ちした特撮ファンたちと、LDHファンの家族であるからだろうが。)

ツイートやnoteで考察を読んで、なるほどよく見ているのだなと感心したりもする。

そこでまぁ、このnoteを書くきっかけがあったのだかザワ以降、村山ファンと轟ファンで解釈の対立が起きているのか?と感じることが多くなってきた。

「轟ファンは村山と轟の関係を特別に考えすぎている」

そんな愚痴めいた村山ファンの感想をここ数日立て続けに見かけて、これはどういう意味なのかと考えていた。

村山は轟に自身を重ねて打ち倒した、轟は負けても服従することなく再度タイマンを挑んだ、村山は轟を全日制の理想のアタマにするべく説教した、村山は轟をいわゆる仲間にはせず突き放した、それに轟は激怒し村山と轟はまたタイマンをした。

これを特別な関係と見るかどうかはよくわからないし、あまりはっきり語らない二人だ、具体的にお互いをどう思っているのかもわからないが、お互いがそこそこ意味のある存在というのはわかる。しかしそれを唯一無二とするかどうかで解釈が別れる。

曰く、「村山を変えたのは轟ではなくコブラである」

曰く、「轟を変えたのは村山ではなく楓士雄である」

「ゆえに村山と轟は唯一無二というほど特別ではない」

村山ファンからのこの異議申し立てはどういう意味を持つのか。

まず、村山ファンにとって轟はギャグ要員、あるいは引き立て役なのではないか、と。

特撮でもよくあるのだが、ファンにネタにされ笑われるタイプの踏み台キャラクターは結構いる。轟はそれなのではないか?と。

ある漫画家が「轟は村山のストーカー」という表現をしたのを見た。

要するに、轟は村山に熱をあげて追いかけている、一種のBL的な意味での揶揄だ。しかし村山はそれを気持ち悪く思い、もしくは相手にしてないため邪険にしている。村山はコブラが好きなため轟の一方通行なのだと。

特撮にも多いが、ハイローにもBL的な人気がある。リツイートされてくるイラストはどれもBL風だ。

そこでは村山は小さく可愛く無邪気で、そして轟はキリリと美形だがどこか情けない。耽美の世界と呼ぶのだろうか、とにかくその世界では轟は村山を恋愛的な、または性的な目的で追いかけていなくてはならない。(筆者的にそれはどうなんだと思わないでもないがその世界について門外漢が口を出せるものではない。)

少し、ツイートを検索するとそれは女性ファンの間では共通認識のように語られている。

こうなのではないか…という作品やキャラ考察の合間合間にそういったツイートは挟まれていて時折さっきのような轟ストーカー評が出てくる。

少しツイートを抜き出してみる。「勉強してもMARCH止まりで頭が悪くセンスがダサくて性格の悪い空気の読めないムッツリスケベ童貞で村山には相手にもされないストーカー」…極端なワードだけ拾って繋げるとなかなかひどい言われようではある…。どれも本編にはない情報だ。

これに過敏に反応したのが一人のフォロワーで、彼は特撮においてもBL化とギャグいじりを目の敵にしている。またやっている、と言われて筆者はそこで「いや自分も村山ファンだがそれは違う、基本的に村山ファンは鬼邪高ファンであり轟も仲間だと思っている」と異議を申し立てた。

ツイッターオタク歴も長いのでBL化がどのようにキャラクターを扱っているかなんとなくわかっているつもりだ。あの轟評は、要するに村山を女性の役割として変換して愛でている界隈においての解釈だと。(強き番長村山ファンとしてはあまりその役割にされている様を目に入れたくないのだが…)(轟にしてもそんな邪な気持ちではなく真っ直ぐ頑張っていると思いたいのだ…。)人気のコンテンツではよくあること、特撮でもよく見てきた、女性ファン特有の世界観、人気キャラクターの宿命。

しかし、そうではないらしい。

らしいというのは今回そういったBLファンと話していてはじめて知ったことだからだ。

女性ファンたちが上げている絵も解釈もBL化ではなく、BL要素がない「ファンアート」として上げられている、鍵なしのアカウントではそういう約束事があると。(ファンアートとは妄想を除外した、俳優や公式関係者に向けての応援として描かれているイラストやメッセージのこと)

つまり目にするそれらはBL妄想ではなく本作品の解釈であり、彼女らにとって間違いなく「そう」見えているということなのだ。そして「それ」が俳優や公式の目に触れることは構わないものだと思っている。

轟が嫌いなわけではないのだと思う、ただ「そう」でしょ?と、いじっているだけなのだ。(こういういじりに関しては演じた俳優さんの目に入るのは気の毒だなと思えるものも多いのだが…ニチアサなどは本当に実況などでの中傷がひどいのでどうかエゴサしないで欲しいと願ってやまない)

ここで、なぜ村山ファンにとって「村山と轟の関係は唯一無二の特別ではない」「轟は村山に一方通行のストーカー」なのかをもう一度考えるとそれによって村山に箔がつくと考えているのではないか…と推察する。

轟は村山の格下でなくてはいけない、強さも人気も立場も。轟は村山に負けなくてはいけないし、気持ちのベクトルも村山が優位でなくてはいけないので轟だけが追わないといけない。村山ファンにとって、シリーズの主人公であるコブラには負けても鬼邪高の中ではダントツで1番じゃないといけない。その気持ちは同じく村山ファンである筆者にもわからないでもない、彼は唯一のキングで、卒業してからも慕われておりこれからも1番強くなくてはいけないとさえ思う。(これはごく個人的な希望であるのでそうてなくても勿論構わない、次世代に負けることもまた変わることであり成長だとも思う。)

村山からも轟を特別視した相互関係だとしたら、その優位性が失われる。そしてザワで轟の人気が高まったことで村山の鬼邪高人気一強感が脅かされて轟いじりに拍車をかけたのではと想像する。これは村山はストーカーされるほど魅力的だと言うこともできる。(追記:実際「轟 ストーカー」と検索して出てくる最新のツイートに対してリツイートした方が「村山が魅力的だから」とそれを肯定しているので確信を強めた。)

一方で、轟ファンにとっては逆で、キングに特別視され評価も期待もされているとすることで轟に箔がつく。全日制の誰に認められるよりも、それがザワ主人公の楓士雄であっても余りある。SWORDの一角を担う、大人気のキャラクター村山に贔屓目で見られている特別感が得られるだろう。

(ところで、轟が村山にしつこく何度もタイマンを要求したと女性ファンの間で共通認識になっているのでは?と今回友人と話したのだが、それは二次創作の中の話ではないのだろうか?轟のことを忘れていた筆者の記憶自体が曖昧なのは否めないが、タイマン自体はシーズン2に1度、THE WORSTで1度の計二回、タイマン要求はシーズン2に1回、THE WORST EPISODE.0で1回の計二回…しかないと記憶しているのだが…このあたり何か間違っていれば教えていただきたい。執拗に追いかけているという認識の中身が女性ファンたちと我々に齟齬があるように思う。筆者などは不良ものやスポーツものでいういまだ勝てない好敵手、強豪相手、それに勝とうと奮闘しているようなものだと認識しているのだが。)

鬼邪高はファンによって押し上げられてきた、と先に言ったが、村山ファンも轟ファンもつまりはあまりにそのキャラを想いすぎて、常に作品での彼らの立ち位置や価値を注視し高めたいと思っているのだな…。

いずれにしても、公開アカウントであまり相手のキャラや俳優に関わることを貶めたり性的に揶揄するのは、愛ゆえであっても控えてほしいとは思うが…。


そう言ったところで家族がこうも言った。

「眼鏡だからだよ」

眼鏡だから…?

眼鏡キャラは往々にしていじられやすい。変態にするのがオタクの習性だから、と。

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 (追記:轟の俳優が、轟にとって村山は元カレみたいなものだと言った記事を教えてもらった。どちらかといえば轟役の前田公輝さんはかなり轟の方を感傷的で受動的なキャラクターにつくっているのかもしれない。村山役の山田裕貴さんはインタビューでも村山になにくそ負けるな、一発かまそう、と男臭く鼓舞して演じているので非常に対照的だ。マイナビインタビューでは、村山の轟への期待や熱心な想いが見られて、卒業の理由もはっきり轟が鬼邪高をまとめてくれたら…と語ってあり驚いた。思ったよりも関係性を意図して演じていたようだ。前田公輝さんがそれを村山からの愛情、と言っていたのがなるほどBLファンが増えたのもこういう演者の思い入れを感じ取ったからだろうか…鋭い。結局、轟ストーカー論のBLファンは轟が村山を追いかけている構図が好きなようだが、THE WORSTでは逆転して轟が村山からの熱烈な期待を受けてどうしたらいいのか戸惑っている構図になっているということか…それによってTHE WORST以前と以後でベクトルが逆転し、しかも轟が楓士雄の方を向いてしまったので村山ファンと轟ファンの間で解釈の齟齬が生まれているのか…?再考の余地ありなのでまた改めて。)



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