私がもし表現規制本気派だったら

・2019年11月21日23時22分、加筆修正再投稿。

こちらに
「これからの『フェミニズム』について考える白熱討論会」(https://korefemi01.peatix.com/)
の顛末をTwitterで眺めていた気付きをメモする。
メモといっても規制派はこう進めたいだろうなというただの空想だ。
ただ、規制派の対抗馬のを推したい自分にとって、あまり空想通りの対抗馬の走り方が進むと空恐ろしさを感じてしまう。
青識亜論氏は本当に表現の自由を守る事に本気な人なのか心配になってしまうのが正直な私の感想だ。

以下、
「私がもし表現規制本気派だったら」を記す。
(私は表現規制については「反対」である旨を大きくここで強調しておく。)

この空想は、とても単純なイメージ操作についてのものだ。
元々、社会的に「良いイメージ」の固まっていないオタク文化など「一人の代表者の自滅」を誘えばいいだけなのだ。
いかにオタク文化が正しい事を発信していようが、代表者のイメージが落ちれば、そのカテゴリーに所属する人間のイメージも損なわれる。
一度損なわれては、それを払拭するのは非常な労力と時間が必要になる。
「歴史的に見れば正しかった」は、これ程の情報社会になった現在では大負けだ。

少し具体的な、表現規制推進派のフェミニスト(自称)側にたった空想を添えると。

いかなる問題にもまず、敵対勢力を据えないとなので。
①対抗馬にはまず男性オタクをターゲットにする。
②正義感のとても強い理詰めタイプの男性オタクを釣る。
③討論の場に釣る。
④討論後に不信感を煽る。
⑤次以降の討論で比較的社会的地位のあるフェミニストを充てがう。
⑥録画環境のある中でわざと怒らせる。
⑦グチの連呼をしだす様をお茶の間にお届け。
⑧男性オタクのイメージを自分で落としてもらう。

こうして既存のフェミニストないし、男性オタク懐疑派を、表現の自由堅持派から分断する。
こんなにもちっぽけな手順で、大衆心理はフェミニスト側に傾けられる。
男性オタクにとって相手が「女性である」という構図だけで既に大衆心理はフェミニスト側なのだ。
理詰めタイプは論理の構築は大得意でも、聴衆や視聴者の心を掴めるかといえばそうでもない。
「お気持ち」を批判する存在を、
「感情的になっている絵面」で潰すのはあるあるだ。
一度イメージの悪くなった存在は、無関心層に「こんな奴がいる」と吹聴して回れる。
これが広まると「けしからん!」と思い込みをしやすいタイプの「立ち上がる市民」が釣れる。
こうした人々は電凸現凸はがき凸など大得意なので、こうした不利益もたらすオタク文化は煙たがられるようになる。
大衆は再びオタク文化嫌悪を深めるのだ。
そして、表現の自由堅持派からもオタクには任せられないといった風潮に持っていくだろうという空想する。
⑤以降がこれからなので空恐ろしい。
全て私のちゃんちゃらおかしい空想で終わって欲しいものだ。

-以下加筆-
もう一つ空想を付け加えたい。
そもそもなぜオタク文化が槍玉に上がるのかと言えば、オタク文化愛好家の大抵が、
「矢面に立った時に大衆心理を掴めるスキルに乏しい」からなのだ。
少ない労力で勝手に崩れてくれる。これ程やりやすい相手はない。
そして、ここからは完全な空想だが、最近急速に漫画表現を公共から追い出そうとする背景には、
「これからいっぱい海外からお客様が来るので、取り敢えず早く片付けときたい」があるような気がする。
アニメ漫画が「子供だけのもの」という文化圏に育ち、その人たちにとって幼い見た目に感じる描かれ方に不慣れで不寛容な人々からのクレーム対応をしたくないのだ。
そこで手っ取り早く対立図を作って社会問題化し、
「結構オタク文化ってどうなの?」という帰結に大衆心理を誘導し、企業や団体に自主規制してもらうか、取り敢えず都だけでも規制の条例など作っちゃったりする。
近年のメディアの動きは、
「ネットやSNSで話題→TV番組で取り上げ」の流れがほぼ定型なので、
今回のオタク文化叩きは、
①SNS等で自称フェミニストアカウントに、オタクを見つけ次第インネンを付けてもらう。
②何故叩かれてるのか寝耳に水のオタク勢が強く反発。 
③対立図が出来上がる。
の流れの一部なのだろう。

そして、具体的に規制に持っていく為には、社会問題化して「対抗勢力が議論をしオタク側が敗北した」にしないといけない。
オタク文化側を守る為には、ここで
「メディア露出をし続ける事になる筆頭」を
「慎重に選ばなければならなかった」のだ。
しかし、筆頭を買って出たのは、自己陶酔に陥りやすい理詰めタイプ。
もう既に規制の方向で決まってしまったようなものだ。

更に空想を深めてみよう。
国連の持続可能な開発目標、SDGsの中に
「ジェンダーの平等」が挙げられている。
日本も目標を実現しなくてはならない。
国家にとってこういった目標は単なるタスクであり、山積する問題をとっととこなすべく動いていく。
既に地方の人権会館は男女共同参画会館へと看板を変えているし、教職員向けや一般向けの講座が着々と開かれている。
ここまでは、大変良い話しなのだが、空想すると見え方が変わってしまう。
「人種問題」には、「エセ人権屋」がつきものなのだ。
「社会問題を日本は積極的にこなしております」という格好をさせる為に、そのニーズに応えて機動的屋号を変えてお商売をしている人たちの様なものだ。
「お上のお仕事」に一枚噛めると、お上が社会問題を解決している間、お銭が安定して入るという地方伝説めいたものもある。
今回の出来事とお銭の話しを混ぜると更に空想出来る。
「青識亜論氏はなぜフェミニストの対抗馬を買って出た?」
一度、フェミニズムに対抗するオタク代表者としてメディア露出を果たし、炎上でも何でもして話題を呼ぶ人物になれば、今後そうした話題の番組にはその人物がキャスティングされる。
「対フェミといえばキャラ」とでも言えばいいだろうか。
TV番組のキャスティングの決定自体は、そこそこラフな基準であるので、「といえば」が確立されていればいるほど重宝されるだろう。
注目を集めて世間で大なり小なり騒がれるようになれば、彼(と彼の一派がいるならば)にも、お銭がやってくるかもしれない。
本当に全くの空想であるが。

私の空想でない気持ちを述べると、結構のところ、青識亜論氏が対抗馬を買って出る理由が、表現の自由を守る結構に繋がっていないと疑わざるを得ない点に尽きる。
これフェミというイベントが、八百長炎上でないなら、石川氏が掌返しの感想を述べたとした時点で、告訴すれば良かったのだ。
私は、特に八百長とイチャモンを付けたい訳ではないが、そう言われても仕方ないスムーズな動き(「きっかけ言葉」を受けての討論会発案及び番組企画決定の報告のツイートなどに散見される演出臭さを指して述べている。)をしている。
困ったことに、彼が上手くメディアで立ち回る姿は、少し空想出来ない。

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