わたしへ
わたしはわたし以外誰を語れるのだろうか
この文章はわたしを語るものであり以上も以下も以外もないことを断っておく
ジャニーズ事務所とLDHに所属するアーティストが好きで応援していたわたしは性加害や差別、人権侵害という存在に出会う
出会い自体は初めてではないはずだがその存在が輪郭を持ち初めて触れることとなった
上記にあげたものの存在とは何か
そんなつもりは無かったと気にしすぎだと誤解だと語る時には"見えない"もの、のように感じた
そして見えないものは存在を簡単に否定される
果たして存在とはわたしが見えることなのか
見えないけれど存在するものをわたしは消してしまっていたのではないかと自分の力が怖くなった
見えないけれど存在しているものをどう扱うか
それはその存在が見えている人の言葉を知ること
見えないものの存在を知るために言葉があり
言葉は輪郭を与えわたしは触れることができた
触れることができても見えない存在のままかもしれないが、触れることが出来るなら存在を消さぬよう自分の力を自覚することが出来る
一番身近な見えない存在はわたしであると考える
わたしにはわたしが見えないがわたしは存在する
わたしには見えないわたしの輪郭を知りたい
そうやってわたしにとって見えない存在を尊重することが誰かにとって見える存在を尊重することに繋がるはずだ
そして誰かは誰かにとってわたしであると気づいた時、社会はわたしと誰かではなくわたしの集合になった
テレビやスマホの中にいるのは、横断歩道を挟んで信号を待っているのは、遠い海の向こうにいるのは誰かではなく景色の違うわたしだと
だからわたしはわたしを語るのだ存在を消さぬよう
わたしより
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