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ロンドン旅日記0日目

8年ぶりくらいにロンドンへ行く。ただいま羽田空港。楽しみすぎて吐きそうである。落ち着かないのでこれを書く。

もう帰国して15年以上経つのに、未だに「ロンドンに帰りたい」「ロンドンにまた住みたい」と頻繁に思う。

思い出は美化されるものだし、当時は色々大変だったけれど、生活していた数年間は、私の人生の中でもかなり重要な期間だったし、素晴らしい時間だった。

一番の理由は、とにかく楽だった、ということに尽きると思う。何者でもない私。日本的なしがらみや目線やプレッシャーのない世界。息が出来た気がした。

日本で中学から高校1年まで通っていた母校のことは大好きだし誇りに思っているけれど、はっきり言って当時の私には合っていなかったのだと思う。学年に1人いるかいないかくらいの留学する人以外で、その学校を転校した人を知らないのだけれど、私は転校を視野に入れて他の学校を見学したりしていた。そんなタイミングで父親に転勤の話が持ち上がり、両親は日本に残っても一緒に行っても良い、と私に選ばせてくれたけれど、私の答えは一択だった。行くしかないでしょう。まさに渡りに船だった。

ロンドンへの引っ越しは、小学生のときに家族で韓国に旅行したことはあったけれど、飛行機に乗った時のことはほとんど覚えていなかったので、ほぼ初めてに近いような国際線でだった。12時間ほどのフライトがもうすぐ終わろうとし、イギリスの大地が窓から見えた時のことを、ものすごく鮮明に覚えている。一面緑の景色を目の当たりにして、私は「ああ自分はなんて小さな存在なんだろう」と思ったのだ。別に悲しいとか、驚いた、とか、そんな感情は伴わず、素直にああ、そうなのだな、と思った。その印象はとても強い。小さな世界でしか知らずに生きてきた自分を客観視出来たような気がした。

日本で生活していた頃、どこにいてもどこにも帰属していないような気がしていた。
他の誰でもない存在になりたかったけれど、何者にもなれなかったし、何者でもなかった。
でもいつも誰かの娘であったり、誰かの妹であったり、なんらかのレッテルがついてまわった。
幼さが故の過剰な自意識である。本当に幼い。でも当時の私には死活問題だった。

そんな色々な煩わしいものが、ロンドンの生活では意識せずにいられた。私は異端であったけれど、異端として扱われることはなかった。異端は異端のまま、そのままで扱われたのだ。

振り返ってみると、日本の教育しか受けたことのない人間が、いきなり全部英語で授業がなされるインターナショナルスクールに通って、international baccalaureateのコースを取るって、結構頑張ったと思うんだよな。その何かを成し遂げた経験も、自信になっているのかもしれない。

反抗期バリバリだったから、両親にはとても迷惑と心配をかけた時期でもあったのでそこは申し訳ないのだけれど、豊かな文化や色々な思い出に、その心地よさが加わって、私にとってとても幸せだった時期になっている。だから何度でも帰りたいのかもしれない。

思い出の場所をぐるぐるする予定だし、旅程の半分は姉と一緒だし、とにかく楽しみでしかない。

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