そこに居続けたいのかその目標を達成したいのかどっちなんだ

基本的に生きるためには仕事をする必要があり、それらの選択する理由に同じ目標であっても「そこに居続けたい」と「その事柄で事を成しとげたい」の二つがある。

例えば、A君には歌手になりたいという夢がある。

A君はとても音楽が大好きで歌唱力も相当に高い。誰もが音楽で食べていけると認めてもらえるほどに。

けれども残念なことに、運やタイミング、行動力の無さなどが混ざり合いうまく噛み合わず、あまり認知もされずいわゆる売れない歌手として10年が経過する。

けれどもA君は歌手で食べていきたいと固執するあまりその後も芽の出ないまま歌手を続け年齢を重ねてゆく。


夢を追い、ただひたすらに諦めず一つの事をやり通すというのはとても素晴らしく悪いことではない。
けれども、その選択自体はほんとうに正しかったのか?
正解はないけれど、A君自身の人生としてはあまりにもったいなく、A君のありあまる才能を殺してしまうのは社会的にも少しマイナスなのかもしれない。もし違う道を選び、たくさんの人を喜ばせられる人物になり、たくさんの人を救えたかもしれない。

この事から僕が言いたいことは、仕事の選択に手段(職業)を目標にすることは人生の選択肢をあまりにも減らしてしまい、人生の大事な時間を無駄にする可能性があまりにも大きいと思っている。

もしもA君が歌手を夢に持つのではなく、人を喜ばせることを夢に持った場合、歌手というのは選択肢の一つに過ぎないという考えになる。

A君「僕は人を喜ばせたい!ならば、僕は歌うことが得意だから歌手を目指し歌でたくさんの人たちを笑顔にしよう!」

であれば、歌手というものは手段の一つであり、もし歌手という道がうまくいかなかったとしても
「歌は得意だったけれど、あまり僕には向いていないのかもしれない。ならば次はお笑い芸人になり笑いでたくさんの人たちを笑顔にしよう!」
と一つの事に執着せず次への移行をすることができる。

手段に、選択肢自体を目標にすることで結果がでなくても執着し、自ら人生の選択肢を減らし、膨大な時間を無駄にし自分自身の可能性を自ら殺すことになる。

けれど、どういったことをしたいのか、という大枠の目標を立ててから、それらを達成、行動に移すにはどの手段(職業)を選択するかを決めると一つの事柄に執着せず移行がスムーズでよりたくさんの経験を積むことができる。

もしやりたいことが見つからないと悩んでいるのであれば、この世の職業が仮に100種類とし、その100種類から選ぶのではなく、どう言った事をやりたいのかを先に考え、それを100種類の中から手段として選択をすることをお勧めする。

例え仕事の選択肢が1億種類あったとしても、その中から探すのでは選択肢は少ないと言えるだろう。
どういう事をやりたいのかという大枠の目標を立てることでこの1億種類の中からは達成できないと気付けば1億1種類目が誕生し、あなたの選択肢は広がり続けるだろう。

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