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映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』感想&考察

映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』公開から2ヶ月が経ちました。
わざわざ劇場へ足をお運びの上ご鑑賞くださった皆様、本当にありがとうございます。

映画『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』のときも以下のような記事を書かせていただいたのですが、

今作も同様に、原作者うんぬん関係なしの感想と勝手な考察をnoteを書かせていただくことにします。

鑑賞中に暗闇の中で手元を見ずにノートに書きなぐり、鑑賞後になんとか解読しつつまとめたメモを元に、
(締め切り前のため丁寧に整理する余裕がなく…)ひたすらつらつらと書きつづっております。
雑然としており、お見苦しい部分も多々あるかと思います、申し訳ありません。

雑談のようなものですが、それでもよろしければ、ぜひお付き合いいただけましたら嬉しいです。

※以下ネタバレ有りですので、未鑑賞の方はご注意くださいませ。



映画を拝見してまず思ったのが、全体に重たく暗い、湿度の高い映像だなということでした。
戦時中、特攻基地のある町が舞台ということで、緊迫した場面や不安・葛藤に揺れるシーンがそのように映るのは当然のことながら、ふたりで向き合ってかき氷を食べる幸福の絶頂のようなひとときでさえ、その映像はやはりどこか暗く湿っていて、それがこの先のふたりの運命を示唆しているようで印象的でした。

映画の始まりは、真っ暗な画面。
じわじわと大きくなる空襲警報のサイレン音をバックに、小説と同じモノローグで始まる。映画にしては少数派の始まり方ではないかと思う。ここで、できるかぎり原作に忠実にと尊重してくださっていることが伝わってきて、感激した。

百合の進路面談のシーン。蝉の声が不快なほど響き渡り、じっとりした湿気の多い映像。百合の鬱屈した思いがいやというほと伝わってくる。

百合がお母さんに「魚臭い…」と言うシーンがあるが、のちにツルさんの店で魚をさばく日々になる。きっと百合は魚をさばくたびに母のことを思い出していただろう。うまい設定だなあ逆輸入したいなあと思った。
余談ですが、『あの花が咲く丘~』はデビュー作で、執筆時は本当に趣味で自己満足で書いていたのでプロットすら作らず書いていて、今読み返すと拙かったり不足だったりどうしようもないなと思う部分も多いです。そういう気になっている部分を、映画ではうまく補ったり設定変更したりでより良いものにしてくださっていて、すばらしいなありがたいなと思うと同時に、この設定ぜに原作に逆輸入したい…なんて思ったりします。これは夜きみのときも同様に。映画化していただけたことが私にとっても非常に貴重な学びの機会となりました。

自転車で帰宅中の百合の周りに、水鉄砲で無邪気に遊ぶ子ども達。一方戦時中は、両親を失い飢えて、最後は空襲で死んでしまった子ども。空襲のシーンで一刻も早く逃げようと必死な母親に「早く!」と腕を強く引っ張られる幼い子ども、緊迫した空気を察知したのか泣きじゃくる赤ちゃん。水鉄砲で戦いごっこをする現代との対比があまりにも痛く、戦時中の子ども達のシーンでぼろぼろ泣いてしまった。

百合、お母さんにきついこと言ってしまうけれど、雨が降りだしたら急いで洗濯物入れてくれて、根はいい子なんだなと伝わってくる。

百合と言い争いをしてしまったときのお母さんの表情の切なさが胸に迫る。母もきっと自分たちを残して死んだ夫に思うところはあるだろうし、生活が苦しい時は恨んでしまうことだってもしかしたらあるだろう。でも決して娘の前ではそれを見せずにきた。すばらしい母親の振る舞いだけど、弱音を吐かない母の姿が逆に百合には苦しかったのかな。

百合は口調はきついけどお母さん思いな娘で、ぼろぼろになった下着を見て悲しかったんだと思う。父への怒りと恨みは、大好きな母を苦労させてることへの怒りでもある。
働き詰めでおしゃれもできない母を大事に思い心配しているからこそ、「大学行かない。働くから」と言う。お母さんに楽をさせたくて就職を選んでいるのに、そのお母さんから進学しろと言われて苛立ちを抑えきれず、きつい言い方をしてしまう自分に自己嫌悪。
お母さんが大好きなのに素直になれず、自分に苛立ってるんだよね。

母と娘、思い合っているのにわかり合えない苦しさ。彰と百合も同じだ。

ちなみに父親の設定は原作にはなく、映画での大きな改変。この設定、すばらしいと思う。百合があれほど特攻に怒る理由付けとして説得力がある。勉強になりました。

百合が家出したときの雨のシーンがとても印象的。暗くて湿っぽくて冷たくて寒い、肌感が映像と音で伝わる。

ツルさんの第一声で、ツルさん大好きになってしまった。声だけで優しさとあたたかさと包容力が伝わってきて。鶴屋食堂に通う兵隊さんたちも皆そうだったんだろう。

百合が「魚臭い」と言い好きになれない魚が、戦時中は『お宝』と言われている。百合のお母さんがスーパーで魚を下ろす仕事をしているという設定も原作とは違うけど、これも本当にすばらしいと思った。
余談ですが、この『あの花が咲く丘で~』はデビュー作で、執筆していたのは約10年前、完全に趣味で書いていたし、小説を書き始めて1、2年だったのでとても拙かったです。勢いだけで書き上げたようなものでした。去年映画化された『夜が明けたら~』はデビュー後2作目で、これも構想自体はデビュー前でした。そんなこんなで、両作ともに自分としては非常に未熟で、★★

千代ちゃんが石丸を見るときの笑顔があまりにも可愛い。なんて素直で可愛い子なんだろう。

彰は、水上さんの仰る通りロボットのような固さがあるけど、過去の話をするときだけは血の通った表情をする。
彰が故郷について語るシーンで、雪遊びの話をするところ、ずっと会えていない妹への愛情、懐かしさが伝わってくる。
少し黙ったあと、ぽつりと呟いた
「しばらく雪見てないなあ…」
というセリフの切なさ。きっともう二度とふるさとの雪を見ることはないと分かっている顔。

彰が、ちょっと距離感バグっている(失礼)というか、百合との距離を急激に詰めてくる不器用な感じ。これはもしかして彰の初めての恋で、どうすればいいか分からず、一緒に過ごせる時間も限られているし、勇み足になっているのかな。彰はずっと人を恋愛的な意味で愛してみたかったのかな…と思った。

百合が特攻隊という言葉を出したときの、彰の表情の変化。無表情で唾を飲みくだす。一度は揺れてしまった感情をなんとか立て直そう動揺を押し殺そうとしているのが伝わってくるようで。

「十五夜なんてずっと先だなあ」
という石丸の台詞に切なくなった。
私達の普通の感覚では、1ヶ月なんてあっという間。それがずっと先と感じるほどの命の短さを覚悟してしまっていること。次の満月はたぶん見られないと知っている。そして石丸がその状況を明朗な笑顔で「生殺し」と言うときの切なさ。

千代ちゃんをお嫁さんにしてあげてと百合が言ったときの、石丸の表情の強張り、なんとも言えない。

警官に見つかったとき、とっさに子どもを逃がし、警官の前に立ちはだかる百合。子どもを守ろうとしている。守られてばかりだった百合の成長を感じる。
そして、百合の優しさがあの子にとってぬくもりになったと信じたい。

百合の「日本は敗ける」という言葉に警官が逆上したのは、警官自身、日本の敗色を濃厚に感じていて、受け入れたくない思いでいるからか。
この映画は色々な形の愛が描かれていると思う。恋愛、親子愛、家族愛、友情、隣人愛、愛国心。警官の忠誠心も確かに愛ではあるのだけれど、情勢が追い詰められると愛国心も狂気になる。

「あの警官をあんなふうにした、……何かが悪いんだ」
この間がすばらしいと思った。彰の中では何が悪いのかきっと答えはあるけれど、あえて口にしない。聡い人なのだと伝わってくる。

「神様になる人ですよ」「神様なぐっていいのかよ」と街の人達からかばわれているときの、しかし寂しそうに俯く彰の後ろ姿、背中にただようやるせなさ。

野球のシーン、とてもいいなあ。これは小説で文章で書いても決して出せない良さだと思う。

かき氷のシーン、『雪』を見つめて故郷に思いを馳せているであろう彰。雪の味を訊かれて『幸せの味』と答える切なさ。二度と戻らない幸せに思いを馳せているんだろう。

空襲のシーン、爆撃音、炎の音、火の色、視覚と聴覚に襲いかかる迫力と恐怖感、臨場感に圧倒された。これは文字では決して表せない恐ろしさでした。
足をはさまれ死の恐怖に陥った百合が、お母さん!と叫んだ瞬間にぼろ泣きしてしまった。

特攻隊で出撃を目前に控えた彰が「命が一番だろ!」と百合を怒る、やるせなさ。

出撃が決まった夜、
「本当に兄弟だったらいいと思っている、みんな家族だと思っている」
などと板倉が語ったのは、彼自身ずっと逃げ出したい気持ちと闘っていて、ダメだこの大事な仲間たちと一緒に行くんだ、と自分に言い聞かせているのだろうと感じた。

板倉が逃げようとした時に加藤が
「貴様逃げるのか、敵前逃亡など許されん、帝国軍人として恥ずかしくないのか、生き恥をさらすつもりか」
などと激しく詰問するが、これはやはり敵前逃亡という汚名を着た父への怒りとないまぜになっているのだろう。
(この加藤の設定も原作にはないのですが本当に本当にすばらしく、物語に非常に深みを与えてくれていると思います、原作に逆輸入したいくらいです)
なんとしても特攻を成功させるという真っ直ぐで悲愴な覚悟がやるせない。渦巻く感情。
そんな加藤の苦しみを、年長者の寺岡はよく分かっていて、
「父親の汚名を晴らすため、家の名誉のために死のうとしてるんでしょう?」
と加藤に楯突いた板倉に、寺岡は本気で怒った。たぶん妻と子を残して死ぬ自分の悔しさもあるし、責任感と優しさの板挟みでずっと苦しんできたのかなと思った。

この板倉逃亡の橋のシーンでは、沈黙のとき、虫の鳴き声と川の水音がやけに大きく響く。

出撃前夜、4人になった仲間たち、いつも以上に陽気にふるまう。いつもは物静かな寺岡さんが、みんなを鼓舞して盛り上げている。宴会を切り上げるのも寺岡さん。控えめな人だけど、本当に仲間思いでリーダーシップもあるすばらしい人。
もし戦後も生きていたら、きっと社会で活躍しただろく。

石丸と千代の別れのシーン。つらさ寂しさ悲しさを決して見せないように、必死に笑顔を浮かべている千代の健気さ。いつもの明るさをくずさない石丸の優しさと大きさ。
このときの出口さんの演技が、本当に千代が憑依しているかのような自然さで、すごい。
千代が人形を渡し、それと共に石丸が飛び立つというのも原作にはないですが、あまりにすばらしくて、もはや悔しくすらなりました。これも逆輸入したいです。

彰が百合の丘で静かにつぶやく言葉が痛い。
「こうしているとすべて忘れられる。いいことも、悪いことも」
「いいことは忘れちゃだめでしょ」
と百合は何気なく言うが、彰は『いいこと=百合や家族のこと』を忘れてしまわないと苦しかったんじゃないか。
「全部忘れて何も考えたくないときもある」
全てを飲み込み覚悟を決めていてもなお葛藤があったことがうかがえる。

体育の先生みたい、と百合に言われたあと、彰はふいに、過去の夢を語りだす。
「教師になりたかったんだ」
二十歳の学生が過去形で夢を語る、それがとてもつらかった。
今まで一度も負の感情を見せなかった彰が、このシーン、百合の前でだけ、本心を見せる。戦争への恨み、平和への祈り。

彰は子どもたちの生きる未来を豊かにするために教師になろうとしていた。本当に日本の未来のことを考えていた人だった。
「好きな勉強を好きなだけして、好きな仕事をして、好きな人と結婚して、好きなことを自由に言える、そんなすてきな世の中を作っていけたらいい」
この彰の台詞を忘れないでいたい。

夢のように美しい百合の丘。百合が落とした皿が割れる音で、その夢から覚めさせられた気持ちになった。

出撃シーンに関しては、一切メモがありませんでした。
なんだかもう、映画にのめりこみすぎて、画面に映るものや聞こえる声や音以外のことは一切考えられなかった。

防空壕で眠っている百合。現代に戻ってきたことが、音だけで分かる。外から聞こえてくるのは、かすかな鳥の鳴き声だけ。戦時中よりも自然の音が小さくて薄い。こだわりをとても感じた。

帰宅して百合を見つけたときのお母さんの「百合…!」の声に毎回泣いてしまいます。なんていいお母さんなんだ…
お母さんのキャラ設定も原作とはかなり違いますが、これは本当に変えていただいてよかったと思っています。色んな年代の方が見る映画として、絶対にこちらのマイルドになったお母さんがよかった。
百合がとがっていたころから、百合を心配している友達がちゃんといるのも、救いがあっていい。

資料館のシーンもメモがありませんでした。ここも、もう、語る言葉がないです。

板倉のその後が分かってよかった…

エンドロール前、本編ラストは空の風景、雲の上の世界。まるで死後の世界のようにも感じた。そこで流れるのは戦闘機のエンジン音のみ。彰が出撃するシーンだと分かる。
そしてタイトルが映し出されて、それによってタイトルは彰の思いなのだと分かる仕掛け。すばらしいと思います。これも映像でしかできない演出ですよね。

美しい青空とエンジン音とタイトルのあと、画面が暗転し、包みこむような優しい歌が始まる。儚くも美しいメロディに合わせて静かに語られる言葉に耳を澄ませながら、たった今観た物語を反芻する、切なくも穏やかな時間。

自宅の近くの映画館で鑑賞したとき、終わったあとシアターから出るとき、私の前を歩いていた中年の御夫婦が、洟をすすりながら何か話していて、どちらからともなく手を繋いで歩いていった。
なんだかそれを見て泣けてきた。
もしかしたらいつも手をつないで歩く仲良しご夫婦なのかもしれないけれど、もしかしたらそのとき久しぶりにつないだかもしれない。

この映画が、見てくださった方にとって、
愛する人を大事にしよう、今ある日常を大事にしようと思うきっかけになれていたら、原作者冥利に尽きます。
何より、過去に起こった日本の戦争について、現在も海外で起こっている外国の戦争について、これからの未来で起こるかもしれない戦争について、見る前とは違う角度で、違う深度で、考えるきっかけになれていたらと願います。


【主題歌についての感想】

『想望』を初めて拝聴した時から、音楽については素人ながら、なんて優しいメロディと美しい歌詞のすばらしい楽曲だろうと思ってました。しかし、主題歌として映画と一緒に拝聴したことでさらに、その真のすばらしさが理解できた気がしました。
映画を観ている間ずっと、胸が押しつぶされそうな、心が沸騰するような苦しさを感じていて、ラストシーンの抜けるような青空の澄んだ美しさと、対象的な特攻機のエンジン音という、もう戻れない引き返せないという深い絶望感に、映画を思い返すこともできないくらいうなだれていました。
でも、主題歌が流れ出した瞬間、その苦しさ絶望感が一気に浄化されて、ふっと心が軽くなったようでした。まるで愛と優しさに包みこまれたようで、やっとこの物語と向き合う心の余裕を取り戻せた、と感じました。
そうして、曲が流れている間はまさに、ゆっくりと物語を反芻し、消化するための時間になったと思います。
あらためて、メロディも歌詞も切なくて悲しい歌なのに、なぜか全体から薫り立つように、出会えた喜びや人を愛する幸せが伝わってくる、不思議な楽曲だと思いました。

私はこの小説を書いた時、特攻を美談にしたくない、してはいけない、そういうふうに受け取られないようにしなくては、という思いでいました。国を護るために戦地に赴いた人々の決意や覚悟は紛れもなく尊いもので敬うべきだと考えていますが、だからといってこの物語を読んだ方がそれを称賛したり英雄視したり、ましてや憧れたりは絶対にしてほしくなかった。(ちゃんとそのように書けているかは分かりませんが…。)だからこそ、『想望』の「君をまだ好きなまま飛び立つ僕はバカだね」という歌詞の一節が、深く胸に迫ってきました。葛藤も後悔もすべて載せて、飛び立つしかなかった無念がひしひしと感じられて、きっとこの歌を聴いて、安易な称賛や無謀な憧れを抱く人はいないでしょう。勝手ながら、私の筆力では描ききれなかった思いとメッセージが、歌という形でしっかりと皆様に届けていただけるに違いないと安堵しました。
あの花が咲く丘で〜はデビュー作であり、たくさんの読者の方が応援してくださり映像化を待ってくださる声も多かった、私にとって特別に思い入れの強い作品です。その映画化にあたって、主題歌としてこんなにもすばらしい楽曲を書き下ろしていただけたなんて、何と言葉にすればいいか分からないほど感激していますし、また応援してくださっていた読者様にもきっときっととても喜んでいただけるに違いないと確信して、これまで以上に公開が楽しみになりました。
本当にありがとうございました!

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