近況報告

Twitterの本アカが凍結された。

由々しき事態である。
当アカウントの拙い記事を読んでいただけているのはTwitterでの宣伝によるものが大きい。でなければ、私のような無名の物書きの記事など触れる機会すら消滅してしまうだろう。

それなのになぜ、あの忌まわしき、くそったれの、オタンコナスのXとやらは、私のアカウントを凍らせたのか。
甚だ遺憾である。

さて、ここで話を変えよう。
以前公開したビートルズの「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」について駄弁る記事や、最初に出した記事が割と伸びていて大変恐縮である。
音楽というものを語るとき、必ず筆舌に尽くしがたい感覚を、”どう説明すればよいか?”で血迷ってしまうものである。そもそも音楽というのは元来形のないものである。たとえベルリンフィルハーモニーの荘厳な演奏も、ビートルズの軽快で楽しいサウンドも、まるで海中の泡沫のように、いつしか無音になるときがくるのである。消え去ってしまうのである。
そんな形のない、しかし確かに存在しているものを言語化するのは非常に難しい。私のような語彙力の乏しい物書きには向いていない作業である。だが、何かいい表現だったり、その音に適した言葉を見つけた時は興奮する。
職業病みたいなものである。文章書くの職業でも何でもないけど。

一応、そうして頑張って記事の一つ一つを推敲しているので、これからも私の書いたものを読んでいただけると非常に嬉しい。

ここでつぎの話題に移行しよう。

塩田ドキュメンタリーというものをやる。

私個人のことについて喋るだけの連載である。
たとえば、私の考え方。情報。価値観。そういうものを、文章に書き留めて、残しておく。ただそれだけのものである。
私は自分語りは割と好きなほうだ。自己顕示欲が強いと思われるかもしれないが、でもやはり、自分について知っていただけて、それでいて自分の価値観も理解してもらえたら、それはこの上ないぐらいに嬉しい。
だからこそ私個人について書き留めておく必要があると思った。
私が事故でポックリ逝った時なんかにそれを読ませれば、確実に「塩田1960」という人間がいたということの証明にはなるだろう。
歴史上に存在するあらゆる人物はそのようないろいろな形の「記録」によってその存在が証明されている。

私も自分についての記録を少しでも残しておきたい。最初からこのインターネットに存在もしていなかっただなんて、少しだけ寂しいし。

今回はそういう感じである。Twiiterの本アカが凍結された!おこ!と、記事読んでくれてありがとう!と、塩田ドキュメンタリーっていう連載シリーズをやるよ!というもの。

よかったら塩田ドキュメンタリーの記事も、上がったときに一度読んでいただければ嬉しい。

2024/5/11(土)

塩田1960




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