どろり。《0:0:1》

(目安:20分)

あれはいつだったか思い出せない程昔でございますが。
世間様でいうところのアバズレ女が孤独死をいたしまして。
その腐った身体から流れ出た汁からなんの因果か私が生まれました。
もちろん腐った汁でございますから人の体なんてものは持ち合わせてはおりません。ですが、こう胸の奥底がいや胸なんてないのですが何か物足りないぽっかりした気持ちを抱えておりまして。
このままここにいても仕方ない気持ちになったのでずるずると身体を引きずって軒下から外に出たのでございます。

 とはいえ外に出てきてもなにをやればいいのかわかりません。
私はただずるずると重い体を引き摺って暗い路地裏へ行きました。なんとなくここに行かなくてはと思ったのです。
そこにはたくさんの売女が自身を買ってもらおうと肌を露出しけばけばしい化粧をして立っていました。
その端の方、私のいる路地裏に近いところにこのようなところに似つかわしくないうら若い少女がそわそわとしながら立っておりました。
それからしばらくして近寄ってきた男に買われたようです。その場を去っていきました。明くる日、私はずるずると日の当たらぬ場所を這っていますと川に出ました。
川辺に降りずるりずるりと泥濘(ぬかるみ)を這っておりますと先の方に何かが倒れております。近寄って見て見ますとそれは昨日の娘でございました。息はしておりません。
私は無性にそれを食べたくなりました。なので私は一思いにそれをごくりと丸呑みにしてしまいました。どうして?とくに理由などございません、化物とは総じてそのような生き物です。
話がそれましたね。ごくりと飲んだ少女はまるでキャラメリゼのように苦くまたほんのりと甘い味わいでございました。驚くべきは身体にも変化が起こりました。
どろどろの腐敗汁で出来た私の体がなんと少女の形になったのでございます。ですが、まだ未完成でところどころ腐った肉が落ちていきます。
そこで私は、また人を食べたい、あわよくば身体を完成させたいと思いました。

人の身体を持った私はぺたぺたと町を歩きます、夕闇に色が染められた時分でございました。
一人の男がにやにやとしながら声をかけてきました。
お嬢さん、そのような姿でどこへいくのか、と。
そこで私は初めて何も纏っていないことに気づきました。
いえ、どこにも行く宛てがないのです、よければ1晩泊めてくれやしませんか。
驚くべきことにするすると言葉が出てきてすっと男にしなだれかかりました。これもアバズレ女から生まれ出たせいかもしれません。
男は気持ちの悪い笑顔を一つ浮かべて私の腰に手を回し男の家まで連れていきました。
ですが、家に灯りを灯した時私の姿を見た男は短くひっと喉から声を絞り出したかと思うとバケモノ…と怯えた声で言いました。
あまりに酷いではありませんか、あの男から私を誘ったというのに。
男は手近にあった酒瓶で私に襲いかかってきました。
しかし避けた時に男は転びぶつけた所が悪かったのでしょう、ぽっくり死んでしまいました。
そこで私は、この男はどんな味がするのだろう、とたべてしまいました。人の体というのは不便ですね、たったあれだけの大きさを丸呑みにすることができないのですから。
なので、腕を1本ちぎって食べてみました。あれは随分と酷い味がしました。まるでドブ川のような香りが口いっぱいに拡がって。
腕だけが不味いのかと思い足も腹も頭も生殖器も身体を構成する全てを食べました。どれもあまりに不味くって。あんなに美味しくないのは後にも先にもあれだけです。

おえおえと吐き出して外に出ましたならば戸の外にそれは可愛らしい女が立っていました。
私を見て顔色を変え部屋の中に飛び込んでいきます。
しばらくすると中からは慎太郎さん慎太郎さんどうして、と絶叫のような咆哮のような鳴き声が聞こえてきます。
声が止んだので興味本位に覗いてみますと女は男に寄り添うように割れた酒瓶の欠片で首を切って死んでおりました。
そこで私はあまりに空腹だったのでその女を食べてしまいました。先程とはうってかわってみたらしのような香ばしさの奥に喉が焼けそうなほどの甘さがやってきます。
あれはおいしかった。
二人目の女を食べてすぐまた身体に変化がありました。ぼたりぼたりと落ちる腐った汁の出る量がやや減りました。そして心なしか頭がすっきりとしたのでございます。
それでも心の空虚は埋まりません。
それからは何人も何人も食べました。だからほら私は今こうして貴方とお話ができているでしょう?人を食べると少しずつ知能を得られるようなのです。
それでも私の深く空いた心の穴は埋まりませんでした。
あれは何人食べたあたりだったか、街中で男が声をかけてきました。
君に一目惚れをした、と。なんとなく面白く感じたのでその男と暮らしてみることにしました。
思えばあの頃が生きてきた中で一番穏やかな時間でございました。男は仕事が終わると寄り道一つせず私のもとに帰ってきます。
そして帰ってきてからはなにが面白いのかにずっとこにこと笑っているのです。
始めはいつものように食べてしまおうと機会をうかがっていたのですが男の解けそうな笑顔を見ると明日喰らってやろうまた明日喰らってやろう…と引き延ばしてしまい気づけば一年共に暮しました。
あの日は、初めて男のために飯を作り帰りを待っていた時でした。男と共に働いている人間が息を切らせて家の戸を叩きました。よく見ると体はボロボロでところどころ骨が見えています。
その人間が言うに山で落石があり男が巻き込まれてしまった、ということでした。私は走って男のもとへ向かいました。男は虫の息で誰から見てももう長くないことは明らかでした。
男は私を見るとぽつりぽつりとこの一年の思い出話をしました。出会った日のこと、家に帰ると私がいることが嬉しくて走って帰っていたこと、ふらりと街を散歩したこと。
楽しかったなぁ、その一言を最期に男は死んでしまいました。私は悲しくて悲しくて仕方なかったのです。ですがそれと同時に今まで収まっていた空腹が鎌首をもたげむくむくと蘇ってきました。
少し、ほんの少し…。頭を撫でてくれた腕を食べました。
あと少しあと少し、と抱きしめてくれた胸を、囁いてくれた唇を、それは今まで食べてきた人間の中で頬が落ちるほど蕩け涙が出るほどおいしかったです。
気が付けば男の姿はもう残っておらず代わりに残ったのは恐怖に滲む男を助けに来た町人たちの声でした。
石を投げられつるはしで襲われそうになった私は命からがら暗闇に紛れなんとか逃げ延びました。
それからの私は変わらず人を食べておりましたがあの男よりもおいしい人間にあたることもなくまた心が埋ることもありません。
あれからどれくらいの年数が経ったか、一人の男に出会いました。華やかでありながら孤独な人間でありました。
河原で小さく黄昏る男を見て私は声を掛けました。どうしてかけたのか今でもわかりません。
ただなんとなくあの時の男と重なって見えたのかもしれません。
それから男は心を許し私はまた人間と暮らすようになりました。しかし最初こそ優しかった男ですが月日が経つにつれだんだんとそっけなくなりました。
そうするとまた今までなりを潜めていた空腹が心の穴が顔を出すようになりました。
あれは、良く晴れた夏の日でした。あの日は食料を買いに町の市場へ行きました。帰りに寄り道をして川辺へ行ったんです。
え、どうしてそんなところに行ったのか?あのあたりよく身投げした遊女が揚がるんですよ。その日も私は食事をしに行ったんです。
するとね橋の下草の陰からなにやら声が聞こえてきます。近づいてみると裸の男女が仲睦まじく絡まりあっておりました。
まぁ、よくある話ですがね、そのうちの男というのが共に暮していた男でございまして。
男は私を見るなり違うんだ…この女が…やら愛しているのは君だけなんだ信じてくれ…などなにやら譫言(うわごと)めいた言い訳を並べ連ねます。
私は一言そうですか、と言い去ろうとしますとお前のそういうところが嫌いなんだなにを考えているのかさっぱりわからないお前は俺のことを愛しているのか、と私に向かって騒ぎました。
必死に騒ぐ男をよそに女はのそのそと服を纏います。
そしてあんたのとこの旦那さん中々いい具合だったわよ、なんて言うもんですからいくら私と言えど聞き捨てなりません。
なにより空腹も穴も大きくなっていましたので我慢なんてできようはずもなかったのです。
私は女の腕をひっつかんでそのままちぎって食べてしまいました。
これもまた随分と酷い腐った生魚の味がいたしました。
腐敗汁から生まれた私だからこそたくさんの人間を食べてきた私だからこそわかります。だって私と同じ臭いがしましたから。
そうきっとこの味こそがあばずれの味なのです。きっと私も食べられれば同じ味がするでしょう。
あぁ、そういえばと思い振り返りますと男は倒れておりました。
元より気の小さい男でしたので目の前の出来事が受け入れられず気を失ってしまい打ちどころが悪かったのでしょう。
一口かじってみますとそれは…いえ、とてもまずかったです。胸が苦しくなるくらいには。
日中に起こったことにより目撃者多数で捕縛され今こうして私はあなたの前にいます。ねぇ、刑事さん?

女はじっと私の目を見つめてにっこりとほほ笑んだ。
私が言っていることは嘘だとお思いでしょう?でも本当のことなのよ。
でも告白ついでにもう一つ…
女は私の手を握り指をそっと自身の唇に這わせ指を軽く噛んだ。
私ねあなたのことが好きになってしまったみたいなの。


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