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6日間で170kmの道のりの熊野古道を歩いて。


 
 今回の旅ではケータイを持たずに旅することにした。
そこで感じたケータイなしでの旅の感想を書きたいと思う。ケータイを持たずに旅をすることの良いととこと悪いところを書きたい。

結論から言うと、ケータイを持たずに旅することは、めちゃくちゃおすすめ。

①人との交流が必然的に増える。
②ボーとする時間が増える
③曖昧である
④生きる力をケータイから奪い返す。
⑤SNSから離れて、自己実現へ


①人との交流が必然的に増える。


 まずこれが一番のメリットであり、デメリットであるとぼくは思う。
僕自身が旅で求めることに、”人との交流”がある。
その人との出会いがケータイというスーパー便利なものがあることで、なくなってしまっているように感じる。
GOOGLE MAPを開けば、道に迷うことはほぼ無い。GOOGLEに天気を聞けば、明日の天気が分かる。
おすすめの宿だって、おすすめのレストランだって、なんだって、人より正確に教えてくれる。
GOOGLE先生に聞けば何でも解決してくれるし、旅で暇になったらYOUTUBEだってある。

ケータイがないとなると今あげたことを人に聞くことによってしか解決できない。
道に迷ったら人に聞いたり。腹が空けばおすすめのレストランを聞いたり、宿だって、人に聞くしかない。
時間だって今何時ですか?って聞くしかない。
旅の前半が人にこれらのことを聞くことにすごく抵抗あり、恥ずかしかったり、何か変に思われたりしないかなって思ってた。
しかし、後半になるとそれも慣れて、何の抵抗もなく聞くことができた自分がいた。

そして、人との会話が生まれれると楽しい。
そして、予想外なこともたくさん生まれた。

キャンプ場でテントを張るまで時間があったので、ボーとしてて、暇だったので、近くにいたお兄さんに声をかけてみた。
そしたら、近くで民宿をやっているそうで、家までお邪魔することになって、酒を飲みながら色々語りあったり。

民宿のおばちゃんがご好意で晩御飯をご馳走してくれたり。
宿のオーナーさんがテラスでテントをはらしてくれたりと。

すごく優しくしてもらえた。それもケータイがあったらこんな素敵な出会いはなかったと思う。
ケータイはすごく便利で現代社会ではなくてはならないものだと思う。
しかし、旅の時はケータイがない方が楽しくなるんじゃないかなって思った。

②ボーとする時間が増える



 旅の醍醐味はボーとすることにあると僕は勝手に思っている。
電車の中でボーと景色を眺めたり。ボーと歩いたり。

ケータイがあるとボーとすることができなくなったりすると思う。
なぜならそこにはYOUTUBEや音楽やインスタという娯楽があるから。
そしてボーとするよりYOUTUBEで好きな動画を見ている方が楽しいからそうしてしまうと思う。

しかし、そのボーとする時間にこそ旅の醍醐味が詰まっていると思う。
そのボーとする時間が自分の将来のことや大事なものを考えるかけがえのない時間になっていると思う。
その醍醐味をケータイがないことで味わえると思う。

③曖昧である


ケータイで調べるとほぼほぼ確実で正確な情報が瞬時に手に入る。
しかし、人に聞いたり、自分の勘に頼ったりすることで、情報が曖昧になる。
それは自分にとってはすごくいいことだと感じた。
熊野古道を歩いている時に、目的地までの距離を人に聞いたり、自分の感覚で判断していた。
その曖昧さが、凄きよかった。
なぜなら。目的地までの距離があと8.3KMであと1時間かかると具体的な数字を提示されると何だか嫌だ。
作業的に歩いてしまうような気がする。だけど、あと6KMかもしれないし、あと3KMかもしれない。
そして目的地にすんなり到着したり、めっちゃ時間がかかってしまったり。
そんな曖昧さがすごく楽しかった。

④生きる力をケータイから奪い返す。


時計もケータイも持たずに歩いていると、時間はもちろん分からないし、雨がいつ降ってくるかも分からない。
だから、朝日が登ってくると自然と目が覚め、火が沈む頃になると眠たくなってくる。

そして、今日は曇りだから日が落ちるのが早いなとか、今日は天気がいいから日が落ちるのが遅いな〜とか体感としてわかってくる。
そして、街にある時計を見て、自分の中で予想した時間を当てる。それが案外楽しい。

また、天気も自然を見て判断する。
例えば、雨が降りそうな時は鳥が鳴き声を鳴らしながら、低空飛行する。
彼らも雨が降ると雨宿りをするからである。
そしたら、必ず雨が降る。そして、雨が止みそうになる時も鳥が飛ぶ。
そんな自然の摂理に合った光景を見ていると楽しいし、生きてるな〜と感じる。

⑤SNSから離れて、自己実現へ


 毎日の生活の華やかな一場面だけを切り取って投稿されるインスタやFB。
そして、自分も負けじと華やかな一場面を切り取ったのか、作り出したのかわからにような写真を投稿する。

そして、いつしか自分は他者からの見え方を意識して、自分の行動をしてしまっていたのかな〜って思う。
人間本来、他者から認められたい承認欲求はある。しかし、それがSNSの台頭で過剰になりつつある。

また、自分の人生でやりたいことをやるという自己実現から、他者にかっこいいと思われたいが為に行動する承認欲求の塊みたいになってしまっていないだろうか?
人間は本来、自分のやりたいことを実現する為に生まれて死んでいくんだと思う。すごくシンプルだと思う。
しかし、人からの見え方を意識した途端に人の人生はすごく複雑なものへと変わっていくのではないだろうか?
ケータイから一旦離れて、見えてくるものは多いと思う。

さいごに



ケータイに私たちの生きる術や力を明け渡してしまってはいないだろうか?
ケータイがないことで、地図を読む楽しさ、道を尋ねる楽しさ、天気を読む楽しさ、ボーとする楽しさ、
ケータイがないと生きていけない人間にはなりたくないと思った。

ケータイがないことで気づけたことが今まで書いたことだ。
それと同時にケータイの良さもある。旅先で出会った人とSNSで友達になれたり、正確な情報が素早く正確に手に入ることで自分は熊野古道を歩けた。
つまりは付き合い方が問題であるということだ。

ロングトレイルという旅に出かけるのであれば、ケータイの電源をOFFにして旅したり、家に置いて旅したりしてみてはいかがでしょうか?

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