独白

人を平面上の存在だと捉えることは必ずしもそうとは言えないが、基本的にはおすすめできない。

人の人格は、立方体でできてるように感じる。

しかし、二次元で捉えがちな俺たちは、結局その自分が見ている視点を一つのものだと疑わないように感じる。

例えば、陽気でコミュ力が強そうな人間に見えても、家庭環境は荒れており、その反動としてその人格が出ていたもので、内面は暗く、陰鬱な雰囲気に覆われていると言ったところだろうか。

それだけではない。
どんなに謙虚そうで、断りづらそうな人格に見えても、裏では傷を負っていて、平気そうな仮面をつけて生きている人だっている。

初めの印象で、その人の内面は大体決まるというが、あくまで空間にある平面を定義づけただけで、それがその人の全てだと誰が言えようか。

もっと多面的なものであると理解している方が、さまざまな角度からその人を観察でき、また正しいアプローチを導くこともできるようになるだろう。

しかしこの問題は限りなく難しかったりする。

その当人があらかじめ平面を作り上げてくる可能性があるからだ。

これが人間関係でいう、壁にあたるだろう。

あくまで推測でしかないが、こういう人間は2パターンいて、自分に自信がないが故に、平面を作り上げる。コミュニケーション力があり、容姿端麗で、などなど。
生まれ持ったものと努力とかがあれば、平面は誰にでも作れる。

もうひとパターンは、そもそも最初から関わる気がない人。
選別して、その世界だけで生きる。

それだけでいいから、自分の中の要素は最低限しか用意しない。こういうのは壁があるじゃなくて、感じが悪いとか、苦手とかそういう要素になってると思うな。

もちろん壁を作らない人だっている。
元の自分のままである程度突破できちゃう人。
俗にいうようキャってのはこの語源かもしれない。

前置きは長いが、ここからが独白。

浪人期が終わり、世界が変わったように見えた大学一年生の春。
これらの理屈に倣って、すぐに友達はできた。

俺はこの2年間、明るくて、特に何にも考えてなくて、人と対話を図れるような人間であったはずなのに

お互いに共依存すると、てんでダメになる。

自分の中にあるさまざまな弱さが出てくる。怠惰、気にしがち、いろんな人の言葉の裏にある意味、自分のこの先、やらなきゃいけないこと。

そんなたくさんの不安に潰されそうになる。

それを、相談しあうことで発散しようとする。

けどその選択肢は危険で、相手がいないと自分の価値を示せなくなり、不安は増長する。

そうなったらもう帰ってこれない。その人なしでは生きれなくなる。

そんな他人に任せた人生はいかにも危なっかしそうに見えるが、主観になったらそうはいかない。この人はより自分を幸せに導いてくれるのではないかという微かな期待を胸に、また依存していく。

そうなるとギャンブルと一緒だ。もう病気なんだと思う。

そんな自分の弱い部分を、数年越しに掘り起こされた気がして、すごく不安を感じる1日だった。

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