プロジェクトX再開

出汁はもちろんカシミール

 楽しみです。日本が失われた10年と言われた2000年から5年間放送された素晴らしい番組でした。それが、30年近い年月を経て復活し、平成時代の「プロジェクトX」を見せてくれます。
 そういえば、僕個人がプロジェクトX的なネタで、何かしら映像化できないかいろいろな人に当たってみたが、全くウケなかった題材があります。それは「黒澤とゴジラ」です。文字にして改めて読むと、ウケなかったのも納得ですが……

 主な登場人物は、本多猪四郎、黒澤明、そして橋本忍です。
 戦前1934年、日大芸術学部第一期生だった本多が東宝に入社。その後、黒澤明も東宝入社。ほぼ同年代の本多と黒澤は共に山本嘉次郎監督のもとで切磋琢磨する。東京育ちで画家志望だった黒澤と山形湯殿山の住職の息子だった本多とは、全く違う氏育ちのおかげか、馬が合い、お互いをリスペクトする関係だった。そして、いつの日か「クロさんの映画を俺が手伝うよ」「イノさんの映画を俺が手伝うよ」と語り合う親友となっていた。
 そこへ徴兵。本多は最初に徴兵されたのが歩兵第一連隊で、そこの将校たちが起こした二・二六事件の影響で、その後終戦まで計3回も戦場へ送り込まれ、最後は満州で捕虜になり、やっと帰国したのが1946年だった。
 その頃、親友の黒澤はすでに監督デビューし次々と企画を進めていた。本多が初監督作のドキュメンタリー映画『日本産業地理大系第一篇 国立公園伊勢志摩』を完成させた頃、黒澤はすでに『野良犬』を完成させていた。
 その1949年、31歳の若者、橋本忍がサラリーマンの傍ら「羅生門」という脚本を書き上げ、それが後日黒澤の手に渡る。そして東宝争議で東宝を離れていた黒澤は『羅生門』を映画化し、ベネチア金獅子賞、アカデミーの外国語映画賞(当時は名誉賞)を受賞する。
 そして、橋本のアイデアを基にした侍主人公の企画が黒澤の次の企画として動き出す。いくつかのアイデアで行き詰まったところに、不思議なプロデューサー本木荘二郎のアイデアで、百姓は野武士を退治するため、同じように飢えた侍を雇って撃退したという話を脚本にまとめ始めた。そのタイトルが『七人の侍』。
 その頃、本多のもとには特撮怪獣物の企画が舞い込む。当時、特撮ものはキワモノであり一流のクリエイターがやるものでは無いと思われていた。しかし本多は満州からの引き上げ時に見た広島の風景が忘れられず、また、戦中、徴兵と徴兵の合間に帰国していた時に体験した空襲の恐ろしさをこのキワモノ映画に入れられないかと考え『ゴジラ』(タイトルは後に付けられた)を、見事な反戦映画に仕立てていく。
 撮影に入るとやることが無い脚本家の橋本は、同じ砧村(現在の東宝スタジオ界隈)で撮影が続く黒澤組と、その後撮影が始まった本多/円谷組を見学しながら、その両方のクリエイティブの凄まじいエネルギーを浴び続ける。
 予算もスケジュールもはるかにオーバーし撮影中止寸前までいった『七人の侍』は、黒澤の機転もあり東宝の幹部たちを騙し続け、何とか撮影完了し完成。1954年4月に公開され東宝作品として異例の大ヒットとなる。
 その半年後、完成即公開された『ゴジラ』が北米も含めて大ヒット。この年、初めて東宝は日本映画界のヒットメーカーとなった。
 本多と黒澤の友情は、俳優志村喬を『七人の侍』の現場が終われば、『ゴジラ』に快く送り込むなど、離れていても続いており、それを橋本忍は見つめていた。
 その後、黒澤は世界の巨匠へ、橋本は黒澤のもとを離れて『日本のいちばん長い日』『砂の器』『八甲田山』などの脚本を書き日本を代表する脚本家になった。本多は、子供向けにシフトしたものの『ゴジラ』シリーズに精いっぱいの社会性を入れ、その後70年続くゴジラ・ワールドの基礎を築く。
 
 1954年から25年経った静岡御殿場でのロケ現場。メガホンを持つ黒澤明の傍らに本多猪四郎の姿があった。二人の助監督時代からの約束から40年、ついに二人は一緒に映画製作に臨んでいた。黒澤作品久々の時代劇アクション『影武者』である。
 その後二人は黒澤作品最大予算で最高傑作とも言われる『乱』や、ハリウッドが応援した『夢』などでも現場を一緒に過ごした。

 ここからは架空の話ですが……
1990年アカデミー名誉賞を、スピルバーグとルーカスからもらい帰国した黒澤。日本でもその祝賀会が行われ、そこに本多、黒澤、橋本がグラス片手に談笑している。話はおのずと1954年に公開された『七人の侍』と『ゴジラ』の話になる。
 橋本「あの時は、お二人とも『今度は勝ち戦だった。そして勝ったのは我々だ』と思われたでしょうね」
 本多「いやいや、クロさんは『勝ったのは東宝だ』と思っていたよ」
 黒澤「イノさん、それは違う。『勝ったのは日本映画界』だよ」
 たしかにあの年、日本映画界は世界の頂点に立っていた。そこには、本多と黒澤の才能に吸い寄せられるように集まった日本映画界の若きエネルギーと魂が宿っていた。

こんな話を考え、色々な人にプレゼンしたものの「ジジィしか見ない企画ですね」「地味で狭い。誰も興味持ちませんよ」などぼろくそ。海外の人には気に入られるかと思ったら「アクションがない」「日本映画のビハインド・ザ・シーンとか世界では見向きもされない」とこれまた一笑にふされました。それでも粘って、監督をドラマにするなら福澤さん、映画にするなら原田眞人さんで、とか、黒澤監督は背が高く眼光鋭い阿部寛、本多猪四郎は人柄が良く松重豊、橋本忍は菅田将暉で、志村喬役を岡田准一、本木荘二郎を山田孝之とか妄想キャスティングを付けましたが、全く相手にされませんでしたね。当たり前ですが。
 アメリカでは『ゴッドファーザー』のできるまでの物語が連ドラになってヒットしたりするように、過去の名作やその誕生秘話を楽しむ人が多いですが、日本はそんな過去の栄光より「転生モノ」「異世界もの」で現実を忘れる人が多いですからね。

明日から始まる新しい『新プロジェクトX』。どんな題材が出てくるのか楽しみです。若い人に興味を持たれるかどうかわかりませんが、せめて昭和世代には見て欲しい企画ですね。



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