夢見 4
時系列が交差していた。
可愛かった豆色の小鳥が3羽
亡くなった母 いまともにあるハリーが同じ空間にいた。
わたしは いまの愛しかたで
それぞれを 愛していた。
かつてのわたしでは どうにもして
あげられなかった
母のこころに わたしにはわからないなにかが届いたのかも知れない。
姉のりずちゃんから 届くものには
母と二人羽織をしているような
届きかたをするものが 時折ある。
わたしには 見えなかったものを
りずちゃんが 体現しようとしているような 二重に重なった 不思議な感覚がする。
それは 鐘を鳴らしたときの空気の
振動のように じわじわと伝わりはじめて きちんと受けとったときには
大音量MAXで まさにそれ!それが伝えたかったのよ!と かなりの重量で
ずっしとりと 届けられる。重い。
受けとれるコンディションでなければ
骨折しそうな勢いだったりもする。
いまはちょっと〜💦と思うときは 忘れないようにと こころの短冊に さらさらと書きのこし 青い空に吊るしておく。
わたしの左右の腕と ハートのチャクラは そんなに重たいパワーを 瞬時にキャッチできるほど パワーマッチョな構造をしていないのだ。
わたしは 風が吹いてきて
吊るした短冊が 空から ひらひらと
ひかりの葉っぱみたいに
舞い降りてくるときを 待っている。
ひらひらと ひろげた両手のなかに
落ちてきたら
それが 頃合いの合図で
身内ならではの 厳愛なのだろうと 両腕をぴりぴりさせながら ありがたく拝受する。
そんな 時間がかかるやりとりも
物理的に離れすぎていて お互いに相手の状況を 毎日確認することもままならないのだから ありなのだろうと
思っていた。
そして りずちゃんは そんなふうに
たくさんの短冊を わたしが
青空とともに 見上げていることを この記事を読むまでは
知らないだろう。
このnoteをはじめたことで お互いに
タイミングを感じたり どんな言葉を
渡したら 追い風のようになれるのか
わかってきたような気がする。
それが嬉しかったことでもある。
わたしのすべては まだ
リペアしたての ぽんこつなので
不器用なことには 変わりはない。
そんななかで いろいろあったりして
がんばっている りずちゃんのいまと
わたしが交差することで 洗うようにしてまわし 4枚羽の扇風機で風を吹きこんでいる 見えない世界があるように思うようになってきた。
2枚羽と書こうかと思ったけれど やめた。
なんとなく 4枚にしたかった。
わたしの羽根が 2枚
りずちゃんの羽根が 2枚
そんな世界のほうが 多くのものと
つながってゆけそうだし
遥か 遠いところまで わたしを
連れていってくれそうな気がした。
些細なきっかけが 多いほうが
好きだから 自分でも ていねいに蒔いておきたいとも思った。
444をみることが ふえたこと
それも なんとなくな理由のひとつ
なのだということにしておきたかった。
わたしは その見えない扇風機に
夢見2号と 勝手に名前をつけてみた。
眠りについて
どこか遠いところへゆく わたしが
夢見1号で 風を吹かせてくれるのが 夢見2号。
すこし古風で 使い込まれていても
理屈ではない 力強い風を起こしてくれる。
わたし ひとりでは 重たすぎて
まわせないけれど
りずちゃんがいるから まわしはじめることができる。
そんな ご縁であることにも
不思議なものを 感じている。
海でたとえれば いま わたしは凪で
りずちゃんは 満ちてゆく波
いい感じで いられて うれしい。
そして 夢見2号機が まわっている。
2号機が おこす風のなかで
母は 豆色のまめちゃんと嬉しそうに
遊んでいた。笑っている顔を見るのは
どれくらい振りだろう。
ハリーとわたしは
小鳥たちに 鼻をかじられた。
甘えてくれるのだ かわいい。
彼らは 母にも甘えて かじろうと
していた。
そのときに 母が うれしそうに
笑っていた笑顔が 素敵だった。
一週間以上働いたことへの
ギフトをいただいたようで
いちばん 望んでいたところへと
着地させてくださったようだった。
もっと 甘えさせてもらったら
よかったな と いまのわたしは
感じていた。
生きている わたしという空間と
繋がっているものたちが
わたしという場所で あり得ないタイミングで いま出会っている。
そんな不思議な夢のなかの世界を
ここは天国かも知れないと思いました。
とても やさしい空気が
流れていました。
この感じを 忘れないでいよう。
たくさんの短冊を 忘れないように
自分で書いて 青空につるしました。
ありがとう。
これが わたしの 母の日でした。
母の 満面の笑みに 感謝した
忘れられない 一日に なりました。
ありったけの 想いを 込めて。
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