「人生は匍匐前進!」じゃなくていい
教員人生最後の授業。
そこで僕が生きてきた中で一番伝えたいことを伝えることができた。
「人生は匍匐前進」そう聞くとあなたは何を思い浮かべるでしょうか?地べたを這いつくばってでも前に進むこと。どんな困難にも負けずに突き進むこと。人に見つからないように身を隠すこと。等々、さまざまなことを思い浮かべると思います。
そもそも匍匐前進を知っていますか?元自衛官で芸人をされているやす子さんを一度はテレビで見たことがあると思います。基本的には地べたにお腹をついて這いつくばるというイメージでしょうか。ですが、実は匍匐前進には5種類もの種類があります。細かい説明は省きますが、(興味を持ったら調べてみてください)それぞれに違いがあります。それは進む速度です。敵がいる危険性に伴って、姿勢を変え、進む速度を変えるのです。
つまり、これを人生に置き換えると、「あなたなりのスピードで進んでいいんだよ。」「目標達成のためにはゆっくりでもいいから着実に進んでいけばいいんだよ」みたいな捉え方ができるのではないでしょうか。
しかし、匍匐前進をしている最中に訪れる困難はたくさんあります。たとえば、見たこともない巨大な昆虫が目の前で行く手を阻み、足が何本も生えたすばしっこい虫が身体中をかけ回る。また、雨が降り泥だらけになった沼地、木の枝や石が散乱したでこぼこ道。時には毒蛇や毒蜘蛛が出現する場合もあるでしょう。あなたはどのようにそれを乗り越えますか?
「それでもなんとか頑張って突き進め。」「どんな困難にも耐えろ。」「諦めなければ必ず道が切り開ける。」このような言葉は自衛隊であった私自身、嫌というほど聞きました。そして、僕自身このような環境の下で育ってきて、それが大事なこと、正しい道なんだと思っていました。でもこれは、「敵がいる」または、「その敵に命を狙われている」といった大前提があるからであって、だからこそ、敵に見つからないように、「もっと姿勢を低く落とせ」や「もっと効率よく早く進め」といった指導がなされるのではないでしょうか。
考えてみれば、そもそも我々が命を狙われることはほぼありません。だったら先ほどの教えがすべてではないのではないでしょうか。「どんな困難にも耐えて苦手は克服して前を向いて突き進む」といったこと以外でも、我々が生きる道はあるのではないでしょうか。
その一つが、「助けを求める」ということです。
世の中には、自分が何事もなく普通やっていることでも、その人からしたら、吐き気がするくらい苦手なことだと思っている人がたくさんいます。むしろ、苦手なことがに人なんていないのです。そして裏を返せば、その苦手と思っていることが、ある人からしてみればものすごく得意で、好きすぎて気がついたらやってしまっているということかも知れません。
人前で話すのが苦手で、考えただけで気絶しそうな人。かたや、人前で話すことが楽しすぎて、多くの人に見られているというだけで興奮してしまう人。また、人の気持ちを推し量るのが苦手で、ストレートに自分の感情をぶつけてしまう人。逆に、人の表情や行動を観察するのが好きで、無意識にその人が何を考えているのかなんとなくわかってしまう人。このように、人は誰でも苦手なものがあれば得意なものが必ずあるのです。
そのように考えてみると、苦手な人はそれを苦手だという勇気、そして、それを得意な人にお願いするということがものすごく大事になってきます。つまり、苦手な人からしたら、その苦手なことを喜んでやってくれる、得意な人からしたら、こんな楽しいことをやらせてくれてありがとう、となるわけです。こんな素敵なことがあるでしょうか。しかし、多くの人はこの助けを求めるという簡単なことをできていない気がします。それは、前述した「どんな困難にも耐えて苦手は克服して突き進む」という考えが、どこかで刷り込まれているからではないでしょうか。そして、なんとなく自分はこれが苦手だと伝えることが恥ずかしい、苦手だけどできているフリをしてしまっている人が多いのではないでしょうか。その一種のプライドのようなものを捨ててしまえば、こんな素敵な関係を築くことができるのに…。
とはいえ、人生そんな味方ばかりが現れるわけではありません。世の中には人の言うことをすぐに否定したがる人、そもそも根本的な考え方が合わない人、常に上から目線で自分が全てだと思い込んでいる人、そんな人が一定数存在します。そう言う人が周りに現れた時、一体どのように対処すればいいのでしょうか。
一つはそっちの道は通らない。そして、自分の味方をしてくれる人とだけ一緒にいるということです。命は狙わないにしても、敵はいます。そんな人とは関わらないのが一番です。そして、そんな人ではなく、なんとなく一緒にいて心地の良い人、一緒に笑い合ってくれる人。そんな人と常に一緒にいればいいのです。
しかし、気をつけなくてはいけないのは、そうしていても敵を作ってしまう場面があるということです。ついつい心地の良い人と一緒にいると、嫌な人のことの愚痴を言いたくなるものです。そして、その愚痴がまわりまわって自分の元に返ってくることが往々にしてあります。また、少しでもそりが合わないからといって、関係を作るのを避け続けていると、周りからすると絡みづらい、何か抱えている人、何を考えているかわからない人だと思われてしまいます。
では、どうすればいいのでしょうか。実はとっておきの方法があります。どんなに敵に囲まれても、敵にライフルで狙われても、マシンガンで連射されても助かる方法が。
それは、「ありのままの自分で生きる」ということです。ありのまま生きるということは、ありのままの自分を素直に受け入れるということ。要するに、自分のダメなところも良いところも全部ひっくるめて自分なんだと気づくということ。そして、そんな自分を心から信じ、好きになるということです。そうすればどんな弾を打たれようと全く当たりません。つまり、周りの目や誹謗中傷に見向きもせず、自分らしく生きられるようになります。だって、あなたはあなたのままで素晴らしいのだから。
「私が好きなことは歌うこと、だから歌手になりたい。歌手になって多くの人を感動させたい。私の歌声で、自分い自信がない人を心から元気にさせたい。中学生の時に不登校になった経験から、そのような人を少しでも救いたい。」
このような思いを本気で心の底から叶えたいと思っている人がいるとします。あなたはその人を笑いますか?それとも、少し話を聞いてみようと思いますか?
少し前の時代では、歌手になることは非常に難しく険しい道でした。しかし、時代は変わりました。駅で路上ライブを行う人。Youtube配信で世界中に歌声を届ける人、講演会を主催して歌と共に想いを届ける人。立派な歌手にはなれなくても、歌で感動させることは思いがあればできます。そしてその思いが本気であれば、多くの人の心を動かします。そして必ず現れます。
「何か力になれることはありますか?」
学校や社会の集団の中で生きていくと、どうしても思ってしまいます。「こんなこと言ったら馬鹿にされるだろうな」「自分はあの人よりも才能がない」「あの人に嫌われたらどうしよう」…。しかし、残念ながらそれは大抵の場合思い込みです。多くの人は自分のことしか考えていません。そして、だいたい「今日の晩合板は何かな?」「まだ授業おわんないのか」「どうやったらモテるかな」といったことが頭の中をぐるぐると回っているだけです。
そう、人は自分のことが一番大事。だったらその自分が何が好きで、何がやりたいことなのか、ということにもっと目を向けて見てはどうでしょうか。それを他から否定されようが関係ありません。あなたはあなたのままでいい。ちょっと落ち込んでいるあなたも、いつもより元気なあなたも、朝起きるのが苦手なあなたも。そんなあなたを素敵だと言ってくれる人が必ずいます。
「人生は匍匐前進!」じゃなくていい。時には逃げ出したり、助けを求めたりしていいんです。前に進むことが全てではありません。あなたの心に耳を澄まして、あなたの好きな時に好きなだけ進めばいいんです。いつの間にかあなたの周りは愛と感謝で溢れているはずです。
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