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司法・予備試験:刑法論文「型」その1

こんにちは、Tです。
今回は、刑法論文の「型」について説明していこうと思います。
刑法は、論文の中でも比較的点が取りやすいと評価されています。しかし、ネットや書籍にある情報では、なぜ刑法が点を取りやすいかについて、「一定の作法が決まっているからだ。」という情報提供で止まっている記事が多いかと思います。そこで、なぜ刑法が比較的点を取りやすいのか?また「型」とはいったい何を指しているのか?について、3部構成で具体的に説明させて頂ければと思います。

1:刑法における、最初で最後の「型」
 結論から述べますと、刑法の論文に普遍的に共通する型は、
「構成要件に該当する・違法・有責な行為」となります。
この形で論文を書いていくことが求められており、むしろこれ以外の方式は必要ないです。いわゆる優秀答案の核になる考え方であり、この3要素を正確に、かつ精度を上げて記述することができるようになるかが、刑法論文を書くうえで最も重要になります。
以下では、上記3要素をより具体的に精査していくことにします。なお応用として犯罪阻却事由(原自行為)等の要素があるのですが、まずは上記した型を身に着けてから取り組むことを強く勧めます。

2:「構成要件に該当する」
 このパートで求められる記述は以下の三つです。このパートごとにIRACをすることが求められます。
(A):実行行為性
(B):行為と結果の因果関係
(C):構成要件的故意の有無

A:実行行為性
 「思考の型」
I:本件、主体の~という行為に実行行為性(条文)が認められるか?
 「~」の判断基準が問題となる。
R:「法益侵害惹起の具体的危険性を有する行為」(普遍的)
A:あてはめ
C:よって~の~という行為には実行行為性が認められる。

上記したのは、刑法で問われる実行行為性の思考プロセスを、普遍性を保つために抽象化したものです。論文の余白上当然、取捨選択は必要ですがこのような思考プロセスが踏まれている答案が優秀答案になっていきます。
ではより具体的に、上記思考プロセスを使って実行行為性につき記述します。

例:甲はVを死んでもかまわないと思い首を絞めて殺した。甲に何罪が成立するか?

I:甲がVの首を死んでもかまわないと思いながら絞めた行為につき殺人罪(刑法199条)が成立しないか?まず、甲の行為に実行行為性が認められるかが問題となる。

R:その点、殺人罪の保護法益は人の生命であるところ、「殺し」とは生命活動を停止させる危険性のある行為を指すと解する。

A:そこで本件を見るに、首という人体の急所を圧迫する行為は、生命活動を停止させる危険性のある行為である。

C:よって、甲の行為は「殺し」にあたり殺人罪の実行行為性が認められる。

 ここで注意すべきなのが、実行行為性とはあくまで、法益侵害惹起の具体的危険性を有する行為であるという点を意識しながら、具体的に条文解釈を行うことにあります。より詳細に説明します。
 初めて実行行為について習うと、実行行為性について規範や論証を覚えるのは良いのですが、刑法各論における条文解釈論と接合する意識を失ってしまうことがあります。
 つまり、傷害罪を例にとるとわかりやすいのですが、
R:「傷害」:人の生理的機能を害すること。という規範を覚えていても、これが刑法論文上どこで使うのかいまいち意識できておらず、実行行為性について述べなくてはならないと思いながらも、自分が実行行為について本当に述べられているのか、牧歌的実行行為性の規範を用いていないため、疑いながら進むことになります。
 ですので、あくまで「法益侵害惹起の具体的危険性」という実行行為の本質的規範は、条文の中で具体化されているよという視点を持つことが大切になります。
 よって、実行行為性が上位概念であり、条文解釈「傷害」「殺し」「~交付させた」等が、より具体化された実行行為であることを踏まえて、論証を覚えていく、又は日々のインプットやアウトプットに取り組むと、実行行為性について自分は覚えているんだと感じることができ、前述した刑法の「型」により深く則っている実感が得られると思います。
また、「実行の着手」については規範が多少変化したりしますが、刑法の「型」においては記述する位置に変化はありません。あせることなく、処理してください。

B:行為と結果の因果関係
 次に因果関係について説明します。因果関係論は複雑に思われがちですが、非常に単純なパターンで解くことができるので、ぜひ得意項目にしましょう。

まず因果関係の論証についてですが、複雑な学説的見解は抜きにして
「行為の持つ危険性が現実化したといえるか?」という近似判例のこの視点を核の規範にすることが大切です。因果関係論を習うと判例の変遷を軸に相当因果関係説など様々な見解に出会うかと思います。しかし、上記の規範で十分です。なぜなら、近似の司法試験は学説の対立や理解度を示すことよりも、論文構造の正確性や事実関係の評価に重点が置かれており、特に刑法はそれが顕著な科目だからです。
 実務家登用試験という視点上、複雑な学説的理論よりも単純な事案処理能力が見られているが故だと考えられます。(それが日本の法曹界にとって本当に善いかどうかは別として)
 ですので、学説の対立が激しいところこそ、単純な規範を確立してさっさと進んでしまいましょう。理解は必要でも、論文で長々と書くことはほとんどありません。
 では具体的に、因果関係を論じる上での処理を考えます。

問:甲は薄暗い車道でVを殴打し気絶させた。その後、甲はVを放置して立ち去ったため、Vは車に轢かれ轢死した。甲の罪責を述べよ。

検討罪状:傷害致死罪(205条)
I:V死亡の直接的な原因は車に轢かれた事であるが、甲の殴打行為により気絶したことが原因とも考えられる。そこで、甲の殴打行為とV死亡の結果との間に法的因果関係を肯定できるか?検討する。

R:その点、行為の持つ具体的危険性が現実化したといえる場合に、法的因果関係は認められると解する。

A:そこで本件を見るに、薄暗い車道において、被害者を気絶させかつ放置する行為は車に轢かれる危険性を惹起する危険な傷害行為である。(行為自体の持つ危険性)
そして、Vは甲によって引き起こされた気絶状態の中、車に轢かれたことで死亡した。(現実化)

C:よって、甲の殴打行為とV死亡の結果には法的因果関係が認められる。

このように、論文で因果関係を論じる上で長々と規範を書く必要はありません。それよりも重要なのは「A」あてはめになります。
 より具体的には、「行為自体の持つ危険性判断」と「右危険が順調に現実化したか」という二項目に分けて論じていくことが重要です。
さらに事案を複雑化して考えてみましょう。

問:甲はVを薄暗い車道の隅で気絶させて放置した。その後、甲は立ち去ったが何者かが、Vを車道の中心に移動させた。なお、正体不明の者がVを移動させる様子が監視カメラに撮影されていた。その結果Vは車に轢かれ死亡した。甲の罪責を述べよ。

傷害致死罪(205条)
I:V死亡の直接的原因は車に轢かれた事であるが、甲がVを気絶させ、道に放置したことが原因ともいえる。しかし、何者かがVを車道の真中に移動させなければVは轢かれることはなかったとも考えられる。そこで、甲の殴打行為とV死亡の結果に法的因果関係を肯定できるかが問題になる。

R:その点、行為の持つ危険性が現実化した場合に法的因果関係は認められる。

A:そこで本件を見るに、車道の隅とはいえ、車通りのある道でかつ薄暗い中人を気絶させ放置する行為は、轢死の可能性を惹起する危険なものとは言える。(行為の持つ危険性判断)
もっとも、本件においては何者かがVをあえて車の必ず通る道の中心に移動させている。また、通常であれば人が倒れていれば救助活動が期待される。仮に救助に出ずとも、放置するのが相当であり故意に気絶した人を車道の中心に移動させる行為はもはや殺人行為としか言えない。よって、甲による殴打を起因とするとはいえても、もはや甲の行為の有する危険性が順調に現実化したとは言えない。(危険性の現実化)
 以上より甲の行為とV死亡の結果に法的因果関係は認められない。

この事例は、何者かによる異常な行為が介在しています。しかし、処理手順に大きな変更はありません。
まずは、被告の行為自体の危険性を判断し、そのあとに右危険性の現実化過程を論じるだけです。ここで、大切なのは介在事情は、2番目の「現実化」過程において論じる必要があるということです。それさえ意識できれば、あとは介在事情をみてその異常性が高ければ当初の危険性が現実化したとは言えないと流し、そこまで異常ではないなと思えば危険の現実化を肯定すれば大丈夫です。とにかく最初に意識すべきは、介在事情の論ずる位置です。インプット段階では介在事情が異常か否か?というところに目が行きがちですが、論文上一番大切なのは論じる位置であることをまずは意識しましょう。
 
 付論:介在事情が異常であっても、実行行為に誘因されたといえる場合の処理についてはぜひ上記構造を押さえた後に、平成15年7月16日判例等を読み解いてみてください。誘因事例の限界事例として押さえておくと非常に勉強になると思います。

C:構成要件的故意について

構成要件的故意は、正直それほど多く書くことはありません。ただし、それゆえに書き忘れが目立つ項目でもあります。必ず一行でもよいので言及しましょう。特に錯誤関連の問題が出た場合は必ず問題になるので一言触れてください。

問:甲は泳げないVを殺意をもって崖から海へ突き落とした。しかし、Vはおぼれ死ぬのではなく航行中の船に轢かれて死亡した。

I:甲はVはおぼれ死ぬだろうと思っていたが、Vは船に轢かれて死亡した。甲に殺人罪の故意(刑法38条1項)は認められるか?因果関係の錯誤における故意の認定が問題になる。

R:その点、故意責任の本質は反規範的人格態度に対する責任非難にある。そして、因果について錯誤があっても認識した因果と実際の因果が相当程度重なり合えばなお規範への直面性を観念できる。

A:そこで本件を見るに、Vの死亡は甲が海に突き落としたことに起因する。また、Vの泳力が低いことを甲は認識していた。そして、泳力がないゆえにVは船を避けることが出来なかったのだから、甲の認識した溺死とV死亡の原因には相当因果関係があるといえる。

C:よって、甲は規範の問題に直面しなおVを殺害したといえるので故意は認められる。

構成要件的故意の処理のコツは、被告人が認識すべき「規範」内容を明確に意識することです。漫然と故意の論証を覚えているのでは危険です。
具体的には1:実行行為2因果関係3結果(法益侵害対象)の三つが規範を構成しています。これらの対象を明確に認識している場合、「規範」が被告人の前にあったといえるのです。
もう少し具体化すると
1:実行行為とは、「この行為は法益傷つけるんだろうなあ」という認識の有無
2:因果関係とは「この行為したら、こういう法益侵害結果が起きるんだろうな」という認識の有無
3:結果とは「自己の行為による被害対象が誰か?」という認識を指します。未必的故意や概括的故意の論点はここに入ります。(欠くことは本当にほぼないのですが。)
そして、これらの認識の是非は前述した「型」を守ればすでに書いてあります。
なぜなら、実行行為性を認定すれば、それを実行行為と認識できない犯人が論文の問題になることはほぼないからです。また、因果についても判例が法的因果が肯定された場合に故意を阻却することはないので、もはや書くことがなくなります。なので、そっと一言だけでも認定することを忘れなければ構成要件的故意は大丈夫です。しかし、被告人が直面している構成要件的故意の具体的内容を想起できるように思考訓練をすることは怠ってはいけません。
付論:厳密に言えば、原因において自由な行為の処理においては構成要件的故意の成立も問題になるはずですが、複雑な議論になりすぎるので判例学説通り、原自行為理論の適用でさらっと逃げてしまうのがコツです。

まとめ
まずは、刑法論文における型のうち、「構成要件」について記述してみました。
 コツは構成要件の内容である1実行行為性2法的因果関係3構成要件的故意の順序を守って記述していくことです。
この順序を崩すことなく記述することができれば多少規範や論証に間違いがあっても大きな減点は避けられます。
次回の2部においては、「違法性」に付いて「型」の説明をさせていただければと思います。それでは失礼致します。
                                以上


 




 

 

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