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ラブライブスーパースターis何が面白いんだ?って話を5thLive絡めて垂れ流す

Liella! 5thライブ福岡講演両日拝見してきました。
今回はまさにここまでのLiella!の歩みの総決算
ラブライブスーパースターの軸になっている理念とコンテンツの魅力を生む数多の要素が結実したライブとなっていました。

ということで今回はクソ長いのですがLiella!の魅力とは何か、それが今回どう結実したのかについて考えたいと思います。

Liella!の活動理念


さてラブライブスーパースター、Liella!の魅力を考えるにあたり
まずは根本にある活動理念を確認したいと思います。
というのは営利非営利問わずどんな集団でもそうですが
活動に意義、理念があるかというのは追い求める結果と進むべき道の選択をする時に指針になり、集団を一つにするために欠かせないもので
また見ている我々もその理念への共感や達成度への感動が応援する熱量に影響するからです。

ではLiella!においてそれが示されたのは1期8話で描かれた「結ヶ丘は人と人を結ぶ場所」と2期8話で描かれた「道」である部分でありました。

1期8話で判明した結ヶ丘の設立は恋ちゃんのお母様の願いであった「結ヶ丘を人と人が結ばれる場所であってほしい」という想いによるもの
またその想いはスクールアイドル活動による経験を基にした原動力から生まれたものでもありました。
その想いを学校の生徒全員と共有し、それを継いだ恋ちゃんを仲間に加えたことで、Liella!の活動の理念を「活動の中で結ヶ丘を人と人が結ばれる場所にする」据えていくことになりました。

その理念が軸となり、以降は目標を定め、その中での葛藤や喜びが描かれていくわけですが
2期では1期8話で描かれた要素に加え、結ヶ丘は「道」であるとかのんちゃんは考え、Liella!メンバーと共有しています。
(そういえば全校生徒のサポートもあった当回では1期8話よりもより結ヶ丘の生徒との結びを強めた描写も見られましたね)

道とはそこで立ち止まらず先へ続く場所、夢へと続く場所。
人々が結ばれ、そして夢へと向かう場所、それが結ヶ丘
であるとかのんちゃんは話しています。

っつーことで、Liella!における活動理念とは
「結ヶ丘という道で出会った人々を結び心を一つにする」
と、雑ではありますがそうまとめておきたいと思います。

追記
2期のくうすみ回では1期生のみで出るか、2期生全員と出るかという葛藤も描かれましたね。あれこそまさに活動理念がそこにあるがゆえの葛藤でしたね。勝たなくてはならない。しかしラブライブにおいて想いの結実、その表現の場であるステージにおいてLiella!自身が結ばれていないのでは活動する意味を失ってしまい本末転倒である、っていう。

スーパースターにおける絆の要素


ラブライブシリーズが常にそうだったように
スーパースターもまた「絆」や「縁」の要素を魅力の大きな柱に据えているわけですが
ではそれを描く中でよりその「絆」の力に説得力を持たせているのは何か。
他シリーズよりわかりやすく強く描かれている要素は何か。

私は長所と短所の要素かなと考えています。
スーパースターのキャラクターを見てみると、皆1人でいたときは長所であった部分は活きず、短所であった部分は更に歩みを遅らせる要因となっていたように思います。
スーパースター1話におけるかのんと可可が一番わかり易いと思います。

かのんは高い歌唱力、リーダーシップがありながら過去のコンプレックスと元々の性格で夢への一歩を諦めてしまっていました。

可可はたった1人で海外から日本へ来て活動するような猛烈なエネルギーを持っていながら、有り余るエネルギーは暴走しがちで夢への一歩を掴む事が出来ずにいました。

そんな2人が出会い、お互いの想いをぶつけ合いLiella!の前身となるユニットを組みます。
そこでは可可の暴走するエネルギーはかのんを引っ張る力となり
かのんの引っ込み思案な性格は可可の手綱を握る要素になっていました。
スーパースターにおいては短所は消滅すべき悪として扱われず使い方を変えることで武器に変わっていくのです。

2期5.6話の夏美回でもそうでした。夏美といえば金にがめつい、目的のためには手段を選ばない、培った商売や配信のノウハウでLiella!を利用する。
そんなあくどい印象が強いですが
向かうべき道を示し共に歩むことでそのエネルギーの矛先を合わせていけば、そういった要素はLiella!の武器となっていかんなく発揮されるわけです。(というか加入前もLiella!としては結果的に認知度を増し仲を深める効果しか与えてないわけですが)

こういった形で短所も長所に、長所はさらに活きる形に、と示される事で
絆を結ぶ効果、その価値に説得力がもたらされるんですね。

欠点のあるキャラにバチを与えたり思い知らせたりして改心させ
キャラクターの根本を変えてしまうような勧善懲悪的でない物事の解決の仕方。エネルギーのベクトルを共に歩むことで夢に向けるという解決方法はLiella!、結ヶ丘という場所においては本当の意味であるがままを受け入れられる、多様性を尊重できるどころか場であると感じさせる要素となっています。

そういった「絆」がもつ力と「結ヶ丘は人と人を結ぶ場所」というLiella!の活動する軸を落とし込みつつ、Liella!のこれまでの活動やキャストの背負っている要素を考えていくと今回の5thはより意味の深いものに感じられると思います。

Liella! 5th LoveLive

さて今回のライブを構成する要素は

Liella!の完成形(枠組みとしての)の提示
始まりからここまでの進化
Liella!の活動理念の具現(シンクロパフォーマンス)

この三点にあると思います。
ってかLiella!が初めてここまでしっかり過去を振り返るセトリを組んだのは初めてでしたね。
私は4thにその要素を絡めてくるのかなと思っていたのですが、4thは新要素であるユニットと3期生を含めたメンバーでの形の形成がメインで
メンバ一人一人の新たな一面を見せるという目的が大きかった気がします。

5thではついにその完成形を見ることとなりました。
ではその完成形とは何でしょうか。
人数が揃ったから?思想が一つになったから?それもありますがそれだけではないと思います。
私はいかなる形であっても会場を1つにできるグループになったことがそれにあたると考えています。

ここでLiella!の各公演が抱えていた意味を一言で振り返ってみると
1stはLiella!という新グループの顔見せ行脚と経験値の蓄積
2ndは1期生の1年間の仕上げ、アリーナがある大きい会場の経験、2期へ向かう体制の構築
3rdでは加入した二期生とのパフォーマンスの確立、学年やソロ、曲ユニット等広がる構成の基盤の確立
4thでは3期生の顔見せとユニットの枠組みも打ち立てて新たな一面を提示してきました。

こう見ると1~4thまでの中でほとんど過去を振り返る瞬間がなかったこと、常に新しい要素を取り入れしっかり落とし込んできたことが分かります。
学年、ソロ、曲ユニット、グループユニット
あらゆる形に挑戦し、その中で確かにつけてきた力が形になって
5thでは披露されました。

1~3期生ごとの序盤のパフォーマンス
円盤曲での組み合わせ
どの形を示しても、どの曲を出しても会場が冷めないクオリティ。
アニメコンテンツで劇中にもないバラードやって場がもつどころか目を見張らせるのふっつーにすごい。(語彙

全員揃った時には11人の迫力、より複雑になるパフォーマンスでとんでもない掛け算に。
さらにでかいのは
思い出の詰まった過去の曲達を、歌う事を切望されていると分かりきっている曲たちを封印しながら常に新しいカードの魅力で戦い続けてきたという事で
もう過去のどのカードを切っても観客からは歓喜の声が上がる状態に仕上がってしまいましたよね。

また封印していたことで当時のパフォーマンスは当時のまま記憶に残っており、現在のバキバキに鍛え上げられたパフォーマンスとクオリティの差で積み上げてきた力を見せつける形に。

人数も増えてシンプルに迫力が増したことに加えて
「結ぶ」というラブライブスーパースターのテーマにおいてもこの数年の変化により強いメッセージ性を観客に浴びせてきます。

過去曲から最新の曲の全てに至るまで必殺技になり得る状態。
学年ソロユニットetc.いかなる形、どんな曲でも観客を冷めさせないパフォーマンスを発揮する状態。

それがLiella!というグループの枠組みとしての完成形です。

これがもし!仮に1期曲を毎公演出していたら
それはただの定番曲となっていたでしょう。そっちに力を割くことでユニットやカップリングの魅力も半減していたでしょう。
何より今回の5thライブがいつも通りのライブになってしまい
そこに新曲を足しただけのヌルいライブになっていたことは想像に難くありません。
全員が揃い、あらゆる形を盤石に、そして今こそ解き放つ必殺の過去曲、新鮮な新曲にはファンを狂乱させる破壊力がありましたよね。

他作品を上げるのは野暮かもしれませんが
サンシャイン5thは劇場版を背負っており
虹においてはアニメ二期を背負って(うろ覚えですが)いましたね。
ご近所さんはデカいテーマを抱えてファンも満足のライブをブチかましていたわけです。

そこに負けないくらいのライブをするには。今後の展開を見据えた時にさらにギアを上げていく構成にするには。と考えた時に
アニメ3期構成や1〜3期生構成、何年越しという規模のプロジェクトで見せていくものをプランニングしている運営の培ってきた手腕と
可能にさせるまでに広がったコンテンツの規模、先輩諸氏の手腕、歴史の重み…
手のひらで転がされるオタクことワタクシの視野なんて本当に狭いものだなと痛感した所でした。

本気のコンテンツ、ラブライブスーパースター


次にこれは感性による部分なんですが
コンテンツを作る人の熱量を感じるかどうか
っていうのは物事を愛する上で非常に重要だと思います。可愛いだけじゃ、上手いだけじゃダメ、っていう。

言い換えると本物を感じるかどうかって話にもなってくると思うんですが
私個人に限らずこれは時代の動きとして最近のコンテンツ作りに重要な要素になっているように思います。

というのも
音楽界の第一線で戦うアーティストがアニソン界隈に参入したり、一流の作家、作り手が集まって最先端の技術がある場所でアニメを作っていたりと、極端に質の良い物が溢れ始めて視聴者の舌が肥えてきているという点や

作り手と視聴者をつなげるものが作品のみだった時代からSNSや動画、特番、ネット記事等を介して作り手の想いを価値として視聴者が受け取りやすくなった時代ってのが個人的には大きく感じられていて。

子供だましではない本物を作ろうとする、また本物だと思わせる熱量の重要性って話です。
歯車の目をしてない熱に満ちた存在だからこそ応援したくなるし、憧れるし、自分もああでありたいと渇望して進む力を湧かせる事が出来ると思います。

Liella!にはそれがある。と疑い深く斜に構えた冷めたオタクである所の私がそう言い切るのは伊達さゆりと鈴原希実の二人の歩みによる所が大きいです。

ほんの数年前まで2人は完全に普通の子で、ただ夢だけ持ってラブライブの門をくぐっているというのはご存知の通り。
そんな子が見せる1stライブでは公演ごとに仕上がっていくパフォーマンスに目を見張った経験は記憶に新しく
結成1年も立たないカウントダウンライブでは
桁外れに多かった1stの公演で固めた地盤で、たった5人で他グループに引けを取らない活躍を見せました。

そこからさらに進化した1期生の仕上がりを見せつけた2ndを経て
3rdからお披露目となった2期生のパフォーマンスは登場時から破格のクオリティで、準備してきた期間の厚みを感じさせました。
それでありながら、千秋楽ではそれでもまだ足りないと悔しさを口にするメンバーも多かったように思います。
(3rd千秋楽についても激しく語りたいのですがまたそれはどこかの機会で…)

1st.2nd.3rd.4th.5thと公演を重ねていく中で幾度と涙を流しながら時に悔しい、時に乗り越えた今が嬉しいと語り成長していくメンバー

毎回次には必ず成長を遂げている姿を見て、キャストの本気とその思いを叶える運営のノウハウにはコンテンツの熱を感じざるを得ませんでした。

具体的に例を上げるなら
4th名古屋公演day2の伊達さゆりです。
正直伊達さゆりのソロ歌唱部分には3rdまではハラハラして見る場面もちらほらあったりして、彼女自身からも3rd千秋楽では悔しさをにじませるMCがあったりしたのですが

4thから歌唱部分に少しずつ変化が見られ、名古屋day2ではその覚醒ぶりに安心して聴きたいという気持ちの先、狂喜して聴くことができました。
ちゃんと悔しさをステージで表現し、その先で壁を乗り越え目標を達する力を見せてくる。
ただ泣いて媚びて庇護欲を掻き立てる可愛い女の子であるならその姿に熱なんか感じるはずもなく
必ず進化した姿を見せる本物の思いが説得力となりコンテンツの熱量に厚みを持たせファンもそれを理解しやすくなっているのは間違いなく

そこから今回の5thにおいては久しぶりの1期曲の公開と。
1stのあの頃、凄まじいグループが生まれたと驚いたあの5人から
さらに遥かに成長した姿を見せつけ
そして5人から11人へと発展したグループが織りなすステージの迫力の差を感じさせる構成となっており
あの頃から積み上げてきたもの、結んできたものの総決算でぶん殴ってくるわけですから
そりゃもう、たまらないものがありました。

(手に力が入りすぎてブレードの発光部分を止める輪っかがバッキリ割れ
折れてしまったのもやむなしといったところ。翌日2時間半並んで新しいブレードを購入、勢い余って色々購入してしまうのもやむなしといったところ)

1st、2ndと必殺技ノンフィクションに毎度ひっくり返ってたのは鮮明に覚えているのですが
5thで放つノンフィクションは必殺技というかもはや奥義やんけという域でしたね。いやぁーーやばかたね。。。

ラブライブが描くシンクロパフォーマンスの今とは?


なるべく抽象的にせず言語化することを心がけたいのですがここからが難しくて。グループとして行うシンクロパフォーマンス、キャスト個人が見せるシンクロパフォーマンスというのがあると思います。
どちらも共通するのは「理念の具現化」です・

さてずっと話している通りLiella!は「結ぶ」ということを大きなテーマとして掲げています。先ほども書きましたが
1期8話において明らかになった学校の始まりは
恋ちゃんのお母様が命懸けでも叶えたかった願いの元にありました。
「結ぶ」という思い。

ことウィーンマルガレーテとLiella!を結ぶWISHSONG、SSSには意味を感じざるを得ません。
というのもアニメ2期で徹底して描かれたのはウンマル(ウィーンマルガレーテ)ちゃんのスクールアイドル、リエラと真逆な立ち位置でした。
1つ例を挙げるなら1期3話において代々木フェスで「優勝できなかった、活動が続けられるか分からない、でも後悔していない、最高のライブができたから!」と感想を述べたかのんと対比して描かれる
2期の代々木フェスで優勝しても浮かない顔でトロフィーを持つ姿ですかね。

圧倒的な実力、カリスマ的なパフォーマンスによって「自分の」世界を作る
夢のための、勝利のための通過点でしかないアイドル活動。
まさにアンチスクールアイドルといえる存在でした。

でもそんなウンマルちゃんはLiella!と共に4thから続く幕間の物語の中でスクールアイドルとは何を大事にしていてなぜ活動しているのか、その内容を実際の活動を通して理解していきます。
結果、あのウンマルちゃんすらも結ヶ丘において結ばれていくと。

まだ本編ではウンマルちゃんがどういった経緯でLiella!に加入するのか
気持ちの変化がどう描かれるのかも定かではない所で、正直幕間のやりとりだけを根拠に彼女の思いを語るのは難しいという所で
エモいエモい!と腹から思えない部分も無きにしも非ず、ですが
それでもスクールアイドルとは何なのか、というものを知った彼女がWISHSONGで想いを結び、SSSで笑顔を見せる姿というのはぐっと感じる部分がありましたね。

またそれだけでなく
今回は封印されていた過去曲を全員で歌ったり、当時と違うメンバーで披露する場面も見られました。分け隔てなく1期生、2期生、3期生、ユニット、カップリング、あらゆる形で楽曲を共有していく。
ラブライブにおいては曲にキャラやキャストの想いが籠もっています。歌うことでそれらを共有し、より想いを一つにしていくわけです。
1期曲を1期の物に、2期曲を2期のものにカップリングは誰と誰が、、、みたいな、今回のセトリはそういう枠組みに縛られずあらゆる価値観で結ばれていく表現も見ることができました。

1曲目のスターライトプロローグからそれは顕著でしたね。
あえて後ろで流す1期のアニメ映像と
ステージ上で行われるパフォーマンスの対比によって
5人のステージからここまで結んできたLiella!が
理念を実際に具現化してきた歴史が表現されている
ように思います。
シンクロパフォーマンスをアニメ映像の再現という枠組みから理念の具現化という域に押し上げてきたラブライブコンテンツの深化
が改めて示された瞬間でした。
(メンバーのこだわりは尊重されて然るべきですけどね。楽曲の組み合わせ、流れに意味があるのはMCで少し大熊和奏さんが触れたとおりです)
グループとしてのシンクロパフォーマンスの今の在り方というのはそういう所に来ているのかなと感じているところです。

キャスト個人が見せるシンクロについて
彼女ら自身が行う活動の中身、またラブライブの活動の先にある個人活動

その中で発する言葉や姿勢にラブライブに込められた人生の生き方みたいな「教え」とも言える部分が表れる事でコンテンツのメッセージを具現化する仕組みに
即ちシンクロパフォーマンスとなっているのではないかという話です。

というのは先ほど書いた一般公募組の境遇、そこからの成長の物語での重なり、MCで語られる彼女らの葛藤や乗り越えてきた経験の中で感じ選んできた道から感じられる部分で
ひたすらに好きなものがあり、活動の中で目標が生まれ、揺るぎない理念を持ち、夢の実像を追い求めて生きる生き様の果てに得られる結果
そこから何かを得てまた更に追いかける夢、さらにその先へっていう。

うーん。。。
抽象的ですいません、MCの内容を書き起こしたりできればいいんですが!

まぁでも書き起こすでもなくコンテンツを追っている方であれば彼女らが日々感じている想いとアニメ作品の中で見てきた物語に重なる部分を感じていますよね。

高校3年間を始まりがあり終わりがある人生と捉え
また人生とは違い終わった先にまた続く人生があることも見据えて
人生で大事にすべき事とはこれだろ!という
ラブライブのメッセージにあたる部分

えっとそのつまり、そうしてコンテンツが示してきた生き方のメッセージを3次元のキャストが活動の中で具現化し、壁を乗り越えていく姿でもって
ラブライブの物語に実在性
といいますか、嘘でないと思わせる。
2次元を3次元に下ろすシンクロパフォーマンスの深化した方向性の1つではないか、っつー話なんです。

ひいてはこれは現実の人間、キャストの人生そのものをエンタメ化するというとんでもない興業という側面もあって、いやぁ業が深いというかなんというか、、、、つまらんわけがないっすよね。

あとがき?まとめ?というか雑談

結局何が面白いん?って話なんですけど
現実じゃありえない見た目のキャラが現実じゃありえない現象を起こしたり物理法則を無視したりするうそっぱちに見える世界の中に
昔の、今の、将来の自分が抱えているものが鏡のように描かれる
なんならそれをキャストの中にも見て乗り越える姿を見せてくれる
その姿に自分も!という力をもらい、物語の中で描かれるメッセージを自分の人生訓として落とし込んでいく、と。

もはや本当の意味で宗教ゆえにハマってる感じなんですよね。
キャラクターという神がいて、神話にあたるストーリーがあって、神そのもの、また教えを体に下ろして布教するキャストがいる。
聖書から教えを得て人生の指針にする。
いややば。
てかそりゃ宗教なんだからハマるわけですよね。アイドル(偶像)って言葉も信者って呼ばれ方にもなんだか真実味が、、、。

と、
話はそれるんですが
コンテンツのファンっていくつか種類がいますよね

自分は物語を信仰して人生を沈める信者型なんですが、それゆえに
ずっとこう5人原理主義者だの、この曲は何人曲だのどうするのがいいだの愛しているからこそ叩くんだ!とみたいなタイプのオタクを見て
Liella!の理念を全否定して自分の思想を優先して、もはや何がファンなんだよ。。。
みたいな気持ちになってたんですよね。
でもあるオタクの話を見てすげぇ解像度上がったんです。

さっさと結論言うと、コンテンツは彼らにとっては宗教じゃなくて、政治運動だったっていう話なんすけど
ていうのは自分にとっては神であり神話である部分が
彼らにとって政治家であり国家だったんですよ。

神の在り方そのものを尊ぶ信者型と、己の理想のコンテンツ像を追い求める政治運動型の違いっていったら伝わりますかね?
政治運動だから我らが愛するコンテンツはこうあるべきなんだ、我らが変えていかなくてはならない、良いものはいい、悪いものは悪いっていう使命がある、国民ゆえに言う権利があるっていう
だーーーーからそんな思想になるんだ!っていう。
すげぇ腑に落ちたんですよね。

そりゃお互い理解しえないなと。

我々からは神や聖書を否定する背信者に見えるし
彼らからは政治を盲目に肯定する愚民に見えてるんですもんね。

いやーまぁどっちがいいかって一概に言えないんでしょうけどね
やっぱ甘いのも苦いのも楽しめる信者型、最高じゃないですかね^^
私と共に信仰を深めてまいりましょう^^

(ピンポーン)今、幸せですか?^^

冗談です(滑る以外にこの話がまとまらんかった)

え、、、えっと
まとまりのつかないこの話もそろそろ締めたいのですが

さて、、
Liella!の掲げる理念とそれを具現化するに必要な力が整った今
あの5thライブとして具現化されたんだなってのがシンプルな感想です。
その姿を指してLiella!というグループの完成形を見たという話でした。
本当に良かったです。感動しました。(語彙

そして5thは新たなスタートですよね
これまではある意味盛り上がって当たり前の展開でもありました。
ゴム人間の登場からギアセカンド、ギアサード、ギアフォース、フィフスみたいなスタイルチェンジによる圧倒的物語の盛り上がり所だったので。

ここから何を見せていくのか、どう進化していくのか
想像もつきません、ここが頭打ちでは?なんて思う人がいるかも知れません
が、私の信仰心には一寸のゆらぎもございません!

だってずっとこの先何を見せてくるんだ…?!って想像してもまともに当たんなかったし当たったとて想像より遥かにデカい質量でぶん殴られてきたし!
そんなザマで毎回感動させてくれるコンテンツが楽しくてたまらないです!!!楽しみで仕方がない!!!!

えーっと、終わり!!!!!!!!!!!!

追記

2024/4/13/10:00
5th直後の感想を見直したら思ってたよりハチャメチャな文章で何が言いたいんか分からない内容になっていたためちょこちょこ書き直したものになります
にしてもとっちらかってるわ意味不明だわでチョベリバ、というところ。
まぁいいや、自己満足よ

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