便利って辛いよね
人に共感されづらい悩みとかってあります?
網戸が外れたり、トイレが壊れたり、体調が悪かったり
こんな感じの日常にある些細な悩みは大抵Yahoo知恵袋で解決できますよね。
今なんて、なんか検索したらAIが解決策をまとめてくれています。
便利な時代なんだと思います。
人と話していても、あれ、なんだっけ?という疑問が生まれれば、スマホを片手にそのことを調べながら会話を続けていきますし。
それが当然の僕らの世代は恵まれています。
だけど、以前同い年の友だちがこんなことを言っていました。
『自分が今聴きたい音楽をすぐに聴けるのってなんか辛いね。』
その言葉に論理的に納得できる理由はないけども、なぜか直感的にものすごく納得しました。
少しずつ話を進めていきます。
単純に昔は音楽にしても映画にしても、その出会いはハプニングの側面が大きかったと思います。
DVDショップやレコード屋でのジャケ買いなんかもよくあったんだと思います。
今はサブスクでなんとなく好きな傾向の作品を観ることができます。
そこにハプニングはほとんどない。
ですが僕は中学時代の友だちの家に入り浸って、B級作品を観ていた少年なのでハリウッドの名作なんかは逆にあんまり知らなかった。
ピラニアに人が喰われる映画を観て目を輝かせていました。
このように僕はどっぷりアルゴリズムに乗っかっていたわけではないですが、それでもやはりある程度は好きな傾向の作品を観ていたと思います。
まぁ先ほどの友人の言葉で言えばそれは「辛い」状態なんだと思う。
何が辛いのか言語化が難しいけど、
生まれた困難を簡単に誤魔化せることが
辛いのではないか。
と思います。
いや、誤魔化せるなら誤魔化したいでしょ。と思いますけど
映画、音楽、本なんかの作品たちは
その人と少し遠い距離から味方になってくれると思います。
その出会いで生きる活力が湧いたり、アイデアが生まれたり、生き方が変わったり
もたらす影響は計り知れません。
しかし、その出会いが何かに恣意的にコントロールされている状況がその友人にとってはたまらなかったのだと思います。
アルゴリズムもそうだけど、そもそもスマホを持っていることで生まれる便利な状況すらも好ましくなかったんだと思います。
僕も分からんでもない。
20代前半の頃は衝動的にスマホをゴミ箱に投げ捨てたり、川に投げ込んだりして最終的に拾うという行為を何度か繰り返していました。
便利なんだけど、〇〇。
この〇〇が分からなくて混乱して暴れ回ってしまうほど、この薄い板に翻弄されていました。
やべぇやつ。
しかし、問題はここからです。
これだけ便利で、多くの人と繋がれるネット社会においては多くの人の営みにたくさんの意見が飛び交っています。
そのため、ほとんどの悩みや苦しみが相談され、解決されているはずです。
聴くべき次の音楽が用意されているように、無機質であれどその寄り添い方に救われることももちろんあります。
それでも、僕が悩んでいることの相談も答えもほとんどが出てきません。
どうしたら良いんでしょう。
冒頭の問いに戻ります。
人に共感されづらい悩みってあります?
日本でもほとんどの人が存在しているはずのネット社会で、誰もこれについて悩んでないの?とか考え始めると
その事実にもう気が狂いそうになります。
それが、分かりやすい悩みではないからというのもあります。
例えて言うのであれば、
じゃがいもの皮を剥くためにどんな心の準備が必要ですか?
という悩みだったりします。
もちろん僕もじゃがいもの皮を剥く前の心情に悩んだことはないのですが
こんな感じのことを真剣に悩んでいます。
分かりやすく「この人のことが好きで、どうやってアプローチすれば良いですかね?」とかだったら良いんだけど
逆にそこにはあんまり悩まない。
みたいな逆張り面倒ニキになってます。
でも、1人でいる時にさっきのじゃがいも心持ち系の質問を真顔で調べているので
別に逆にいきたいわけじゃ決してないです。
その作業を何度か繰り返して、結果的に誰も解決策を教えてくれなさそうなので絶望して寝ます。
しかし、それが何日か続くと寝れなくなります。
何してんだよ。
まぁそんな感じです。
そんな時に救ってくれるのがネットじゃなくて、音楽と本だったりします。
しかも、偶然の出会いが多い。
たまたま友人に勧められたとかラジオから流れてきたとか。
確かにそんな出会いばかり強烈に覚えています。
好きなタイミングに好きな音楽を聴けることを辛いと言っていた友人の言葉が、最近ようやく腑に落ちてきた気がします。
ネットの海で溺れかけたら、直感で音楽とか本とか映画とかに避難した方が良いかもしれないですね。
きっと良い出会いがあると思います。
おやすみなさい。
寒くなってきたからお風呂入ってあったかくして寝るんだよ。