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明智光秀の父は誰だったのか?土岐明智氏の流れを汲むという説への疑問

はじめに

 2020年1月から1年間、明智光秀を主人公としたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が放映された。大河ドラマが放映されると、主人公のゆかりの地には観光客が押し寄せ、経済的に潤った。それは結構なことである。しかし一方で、観光客を呼び込むため、自治体によっては根拠のない俗説を強調することも珍しくない。こちらは、悲劇である。
 
 もう一つの悲劇は、本能寺の変の関連本の問題である。プロ・アマ入り混じって関連書籍が刊行されたが、出鱈目な内容のものも少なくない。すでに否定された説を壊れたカセットデッキのように、何度も繰り返し述べている例も見受けられる。念のために申し添えると、これまで指摘された黒幕説は、すべて否定されている(この点は改めて検討したい)。
 
 光秀を語るうえで、重要なポイントは出自の問題である。光秀が土岐明智氏の流れを汲むことは、所与の前提とされている。はたして、それは正しいといえるのだろうか?今回は、まず光秀の父について考えてみよう。
 

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