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割れないダンゴの如し人生観。

人生とは 一寸先は闇。
ある事を境に、
予期せぬ出来事が 、時としてこの身を襲ってくるものです。

 物事の結果というものは、
必ず、それ相応の原因があって然う成っています。
すなわち、
原因無きにして 、結果だけが存在するという事は、万に一つの確率も有り得ません。
※無論、 原因が分からないのと原因が無いというのは全く意味が異なります。
仮に、自分にとってこの結果の姿、形、色、環境、境遇、場所、心、世界…が好ましくない姿であるとするならば…
それ相応の原因が過去に必ず存在しているはずです。
また 、そう考える事が理に叶う無難な見方だと言う事です。
世間でよくある話が、自分の都合の良い事の結果は、
例えば、 この勝利は自分が日々頑張ったから当然だ!
と 、日々、頑張った原因があるから結果があると認めているのですが、
逆に、自分にとって望まない結果が目の前に現れれば、
こんな姿になったのは私が何を 悪い事をしたというのだ❗❗❗
と猛反発、原因と結果の関係を完全否定するのが巷でよく見る姿ではないでしょうか。
然し、この 因果の法則、道理には例外、偶然、矛盾は一切有り得ません。

また、
人間とは、それぞれ 人生、 様々な運命と言う重荷を背負って この世に生まれて来ているとも言えます。
そこには他人の人には分かりかねる境地もある事でしょう。
例えば、 先天性の重篤な難病。
なぜ…自分がこの病気に成ったのか…
ここにも 因果の道理が有ります。
どういう事かと言えば、
最大の原因は、自分がこの世に生まれて来たという事実。
それは然うです。
生まれなければ病気になる訳が有りませんから…
では、親はと言えば、
原因を助ける縁に当ります。
それに付け加えると、
人間は、 オギャーと生まれた瞬間から老いがあり、 時として病気があります。
その病気が風邪や インフルエンザやその他ではなく 難病だった…
その違いだけの事です。
すなわち、
然う言うものの見方を為れば、病気を患う事、自体至って極普通の現象と言えます。
また、然う言うものの見方を為れば
諦めも付くでしょう。
諦めが悪いから満たされない心…不平不満、 怒りの心を宿してしまうものです。
ここで言う諦めとは、
世間で言う マイナス的なイメージでは無く、
本来の語源は
……………【諦観タイカン】………
と言い意味は真理を明らかに為る。
すなわち 、真理に逆らったものの見方考え方をするから問題が起こる訳です。

一見すると、自身にとり、 これはとんでもないマイナス要因と思わざるを得ない…
という事で有ったとしても、
物事の姿には、全て 明るい見方と暗い見方、プラスの見方 マイナスの見方が必ず出来ます。
例えば、
慌てて家を出て走っていたら道端に転がっている石ころにつまずいてひっくり返ってしまう。
さて、これを A さん と B さんが体験しました。
A さんは何でこんなところに石を誰が置きやがったんだ❗
どこのどいつだ❗
A さんは とても怒っていました。
石にコケた事は災いです。
B さんは こんなところに石にも気がつかないのか …
今日は いつもより気を引き締めて 気合を入れて頑張ろう❗
石にコケた事は幸いです。
皆さんもどちらが良い考え方かはわかると思います。
石にこけたという現象。
それをどう考えるかによって、 その後の 心の在り方、展開は天と地の差に成る訳です。
自身の身に起こる全ての現象において この理屈は同じです。

暗いものの見方をすれば、暗い 考え方に成ります。
暗い考え方をすれば、暗い表情 暗い言葉と成ります。
暗い言葉はそのまま 弱々しい マイナスの行動をとって行くものです。
為すべき事を為さず、
やらなくても良い事をやってしまうものです。
すなわち、事の判断を逆さまにしてしまうのですから…
それがそのまま望まない事の結果、姿となるのは当然です。
却って、
明るいものの見方をすれば、明るい考え方に成ります 。
その明るい考え方が 表情 となり 言葉となり行動へと繋がって行くのです。
それがそのまま 物事の結果の姿になる訳です。
因果の法則、道理に狂いは全く有りません。
すなわち 、スイカの種をまいたら必ずスイカが実るのです。
ナスビは、例外、 偶然はなく 絶対に成りません。

現在 、自分の 姿が好ましくないものであるならば 、自分の過去を顧みる。
蒔いたタネは何時か必ず生えるのです。
改めるべき点が見つかれば、
そこから反省をして改めるなら原因が良い 原因 に変わる訳ですから 結果も然り。
すなわち、 良い結果に転じていくのが因果の法則、道理です。
ちょっと アングルを変えてみましょう。
人間とは、 古今東西、 過ちを犯しやすい存在でもあります。
例えば、あなたは今までに…
※嘘をついたことがありませんか?
※人の悪口を言ったことがありませんか ?
※人と争い事、喧嘩はしたことがありませんか?
※今までに小さな蟻1匹でも踏み潰したことはありませんか?
こう言った 極めて些細なことではありますが 、こう言う事を改めなければ…
と自身を素直に振り返る事が無いとしたら…
前向きに明るく生きることが出来ると思いますか?
素直に考えれば答えはわかると思います。
反省をしないから前向きに生きられないのです。
裏を返せば、
素直に自分を顧みて反省すべきは反省を素直にすれば、心は明るく前向きになっていきます。
そうやって、せっかく 前向きに生きようとしても、
世間とは一面において…
過去に自身が蒔いたタネは、
時に、他人から白い目で見られ、非難される…事も有るかも知れません。
今、現在の自分がそれに値しないなら、そんな事ほっとけばいいのです。
然し、 一分でも自分にはまだその至らない点が有り、 それを注意してくれてると見れば、それを素直に受け止め、自分を前向きに更にさす 勉強 材料と考えれば有り難い助言へと転じていきます。
物事の結果、失敗が悪いと言うより、自らを顧みて失敗を反省しないのが問題であり、
過ちを改めざるを真の過ちという。
素直に失敗から学べば、
特に、大失敗から学ぶものは
自身のこれからの 前向きに生きていく上での大きな糧となります。

また、人間とは、 あらゆる事に頼って生きているとも言えます。

例えば、
健康に頼る…
お金に頼る…
環境に頼る…
人に頼る…
神仏に頼る…

普段は何も問題はないのですが…
ある時 、何かをきっかけ条件に、その 頼る 心が迷いを呼び災いを招くものです。
度々、 言ってます様にます様に、
物事の結果、姿には、 全て 原因があるから結果があるという法則、道理に気が付く事が極めて重要です。
すなわち 、然う言う見方をするから然う言う結果に成ってしまう。
原因は外に有るのでは無く、
ものの見方に原因が有ります。
別言すると、
どういう心が問題を起こすかと言うと、
一方へ極端に偏った 硬い 心。
現代の世の中のに多く存在為る、
ON/OFF的なものの見方からの思想。
ONならOK!
OFFなら、もはや神も仏もないものかぁ…
時として、絶望論です。
たった1回の人生を サイコロの目を 頼りにしているような物。
更に、アングルを切り替え別言すれぱ、
どれだけ 硬い ダンゴを作ったとしても 、上から落としたり強い衝撃を与えれば割れてしまうものです。
人間とは 、良くどんどんと割れない 硬いダンゴにしようと思うものです。
然し、絶対に割れないダンゴを作れるのでしょうか。
それこそ無理な話。
では、どう為れば良いのでしょう。
答えは簡単。
柔らかい ダンゴに為る訳です。
この理屈と心は良く似ています。
実の処、良くも悪くも、
結局、自分の心が勝手に作り出していると言えます。
その為にも、
ポイントは、
他を頼らず
自らを拠り所にして
正しいものの見方、考え方を身につける。
どの様な環境 、場所、 立場、 仮に貧乏であったとしても…
どんな事があったとしても、
✦へこたれない
✦落ち込まない
✦へこまない

これまで言いました内容は全て皆さんにとっては、
………………(知識)…………………
です。
知識とは頭の中で覚えている事です。
例えば、ケーキを作る際に欠かせない物は塩と砂糖とでは
どちらでしょう?
皆さんは恐らく一度は食べた事が有るから答えを知っている訳です。
すなわち、体験して知恵に成っているのです。
処が、まだ離乳食を食べていない赤ちゃんに耳元で100回ケーキを作る際には砂糖がいるよ…と言ってもどうでしょう。
これと同じです。
重要なのは、この事柄に気が付きご自身で体験を重ねて
……………【知恵】………………
に為る事です。
然う為れば、短いような長いような人生の道を、
強い心で生きる事が出来て、災いがどんどん消えてゆきます。

貴方の人生はきっと明るい未来と幸福への道が待っています。


…………………………………
誠にありがとうございました。








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